元ロッテ右腕が一生忘れないドラフト指名 教室の扉を開けた先に待っていたサプライズ

ドラフト会議で指名され仲間と喜びを分かち合う島孝明さん【写真:本人提供】

東海大市原望洋からロッテ3位で入団、昨年限りで現役を引退した島孝明さんの好評連載第4回

今年もドラフト会議で、多くのプロ野球選手が誕生しました。ドラフト1位で指名された早大の早川隆久選手や近大の佐藤輝明選手を筆頭に、大学生の指名が多く見受けられました。連載『島孝明のセカンドキャリア―Brand New Days―』第4回はドラフト会議に因んで、私が指名を受けた時のことについて書いていきたいと思います。

私がプロ野球選手を意識し始めたのは、東海大市原望洋高校3年の春でした。千葉県大会で153キロをマークし、多くのメディアに取り上げていただき、一気に注目されるようになりました。球団スカウトの視察も増え、日に日にプロ野球に対する意識は強まっていきました。

実は以前までの自分は一度もプロ野球選手になりたいと考えたことがありませんでした。どこか別世界のような感じがあり、自身の将来の選択肢になるとは全く予想もしていませんでした。ところが153キロをマークしたことに加えて、U-18の高校侍ジャパンにも選ばれたことで、プロ野球選手になるという選択肢が現実のものと思えるようになってきました。

プロ志望届を出し、ドラフト会議を待つまでの間はいくつか取材もありましたが、それ以外は、変わったことはありませんでした。日本代表が終わってからも、練習は続けており、時々、後輩たちの練習に混ざりながら、授業と部活を繰り返す毎日を送っていました。

ドラフト会議当日も朝から変わることなく、いつも通りの日常が流れていましたが、直前になってようやく心のざわつきのようなものを感じ始めました。私は全く実感がなかったのですが、当日の朝一緒に登校していた友達からは、顔が緊張していると言われていたので、無意識のうちにそういった感情が表出していたのかもしれません。

ドラフト会議で指名され仲間と喜びを分かち合う島孝明さん【写真:本人提供】

一緒に見守っていた仲間たちと喜びを分かち合ったドラフト会議

学校が用意してくださった特設会場には多くのメディアが待機していました。ドラフト会議が始まり自分の名前が上がるまでの間、高まる期待と一抹の焦燥感が入り混じり、言葉では言い表せられないような感情に襲われながら、今か今かと待ち続けていました。ロッテから3位で指名をもらった瞬間は、安堵と張り詰めていた緊張感からの開放感で満たされ、一緒に見守っていた仲間たちと喜びを分かち合いました。

両親も別室に待機しており、私の会見が一通り終わった後合流し、ここまで育ててくれた感謝の気持ちを述べました。一方、度々、メディアに登場していた姉2人は、運良く、ドラフトの抽選会場に入ることができる権利が当たり、学校にはいなかったので、メッセージのみのやりとりでした。また、私のことを我が子のように思い接してくれたバトン部顧問の先生がいるのですが、指名されたことを報告すると泣いて喜んでくれたのが強く印象に残っています。

野球部のみんなが祝福してくれたことも間違いなく有り難かったのですが、それ以上に感動する出来事が私を待ち受けていました。ドラフト会議で指名を受けた次の日、私はいつもと同じ時刻の電車に乗って登校し教室に向かいました。ドアを開けると、クラスの全員が出迎えてくれて私のことを祝福してくれました。また、黒板にはクラスメート全員からのメッセージで埋め尽くされており、私のためにここまで準備してくれたことにとても感動し、良い仲間に恵まれたことに心の底から感謝しました。

私の同期には佐々木千隼選手や酒居知史選手(現楽天)らがおり、同学年は種市篤暉選手のみでした。初めて顔を合わせたのが入団会見でしたが、シャイな性格と極度の緊張により当日は何を話したのか全く覚えていません。そもそも会話があったのか、それすらも曖昧な記憶となっています。

今年のドラフトでは私と同い年の選手が数多く指名されました。球団やそのファンひいては地元の方など、これまでより多くの人々からの期待を背負ってプレーすることになります。そうした環境の変化に、これまでと違った感覚を覚えることもあるかもしれませんが、そうしたプロ野球ならではの経験も楽しみながらプレーしていって欲しいと思います。同世代から1人でも多く、球史に名を残すような活躍を見せてくれることを楽しみにしています。

【画像】忘れられないドラフト翌日、島さんが教室の扉を開けた際に目に飛び込んできた黒板のサプライズ写真

忘れられないドラフト翌日、島さんが教室の扉を開けた際に目に飛び込んできた黒板のサプライズ写真【写真:本人提供】 signature

(島孝明/Takaaki Shima)

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