巨人・坂本勇人が放った偉業への1本目 許した元中日左腕の“心残り”とは?

巨人・坂本勇人【写真:Getty Images】

18歳の坂本と対戦した高橋聡文氏「投げるたびにタイミングの取り方が…」

もう13年も前の対戦なのに、マウンドからの情景を鮮明に覚えている。2007年9月6日、ナゴヤドーム。当時、中日のリリーバーだった高橋聡文氏は、延長12回の窮地で登板した。1-1の同点で迎えた1死二塁。高橋由伸(前巨人監督)を左飛に仕留めた後、小笠原道大(現日本ハムヘッドコーチ兼打撃コーチ)と阿部慎之助(現巨人2軍監督)を四球で歩かせて満塁に。ベンチの指示通りで、勝負は次の打者だった。

迎えるは、投手の上原浩治。両チーム総力戦で、ベンチにはほとんど選手が残っていないのは分かっていた。代打で出てきたのは、高卒1年目の坂本勇人。「相手のレギュラーメンバーはしっかりミーティングで対策を練りますが、控え選手についてはそこまで情報なかったですね」。相手は無安打のルーキー。対打者というよりも、その局面を脱することが先決だった。

御法度は押し出し四球。「どんどん真っ直ぐの力勝負で攻めていこう」という思惑通り、右打席に立つ18歳は思い切り差し込まれていた。「自分の中では、三振がとれるかなと思いました」。自信を持って左腕を振ったが、徐々に不安も生まれた。「初球の反応に比べると、投げるたびにタイミングの取り方がマッチしていっていたので、ちょっと嫌だった」。

カウント2-2からの144キロを当てられ、詰まった打球は中堅方向へ。「よし、打ち取ったとは思ったんですが、ちょっと打球の方向が嫌な予感がして……。そしたら案の定、落ちました」。二遊間の頭を越えた中前にポトリ。走者2人が生還し、勝ち越しを許した。

敬遠の指示も「作戦変わらないかな」と強いボール球を投げ込んだ

落合博満監督時代の黄金期を左の中継ぎとして支えた高橋氏。2016年に阪神にFA移籍し、2019年限りで現役を退いた。すべてリリーフで通算532試合登板。特に左の強打者相手に重宝されただけに、坂本との対戦は数えるほどしかない。それでも「バッティングはいいものを持っているとずっと思っていました。特にインコースを打つのが上手かった印象があります」と振り返る。

あの一打が、結果的に偉業達成の第一歩に。ただ高橋氏にとっては、坂本の存在を意識する以前に、勝ち越しを許した悔しさが胸の内を占めていた。今でも、ひとつだけ“心残り”があるという。

「左打者を抑えるためにやってきて、当時は調子もよかったんですよね。だからこそ、左打者と勝負させて欲しかったなって。その葛藤はマウンドでもありました」

左の大砲2人との対戦。特に小笠原は抑えているイメージも強かった。ベンチからの指示は敬遠だったが「この球を見て作戦が変わってほしいな」と強いボール球を投げ込んだ。それでも新たなサインが出ることはなく、ボールを投げ続けた。

もし、満塁策をとらずに勝負していたら――。勝負の世界に、“たられば”はない。試合を決める1安打2打点が記録されたという事実があり、プロ初の快音を放った18歳は、13年後に名球会入りを果たした。ただ言えるのは、高橋氏にとっては別の思いを呼び起こさせる“特別な一打”だったということ。打者にも、投手にも、忘れられない記憶として刻まれている。(小西亮 / Ryo Konishi)

© 株式会社Creative2