山本美月、好きなものを好きと言えなかった過去と恩人との出会い「自我がなかった」

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「今好きなものを好きと大声で言えず悩んでいる人にとって、この本が少しでも勇気を出すきっかけになってくれたら嬉しいです」

女優の山本美月が、4日に書籍『魔法少女 山本美月』を発売した。30ページにわたる自作の描き下ろしマンガ、原案から衣装、小物に至るまでこだわり抜いた「魔法少女フォト」など、本人が「理想の集合体」と形容する通り、どこを切り取っても真の姿が浮かぶ。

同書の発表時に添えた、冒頭のメッセージ。そこには、どのような思いが込められていたのか。「私は二次創作じゃなくて、原作になりたい」という心の叫びが、“魔法少女”へと昇華する過程を追った。

■“理想の集合体”に苦悩する喜び

――今回の書籍『魔法少女 山本美月』は、いつ頃から準備を進めていたんですか?

確か、『パーフェクトワールド』(19年 カンテレ・フジテレビ系)を撮っている頃だったので……1年半ぐらい前ですかね? 期限も決まっていなかったので、急かされないと進まなくて(笑)。なかなかこういうお話は頂けないので、「好きなようにやっていい」と言われると何でもやりたくなっちゃいますね。それはそれで、すごく難しい作業でした。詰め込みすぎるとテーマがブレてしまうので、「魔法少女にしよう」と軸を決めました。

実は最初、図鑑を作ることも候補案として挙がっていたんです。虫が好きなので、昆虫図鑑とかもスタッフさんから提案されていたんですが、そこまで詳しいわけではない。ファッション要素を入れたかったし、アニメが好きなところも出したかったし、マンガも描きたかった。いろいろな好きな要素を取り込んだ結果が「魔法少女」だったんです。

――それだけ熱い思いが詰まった1冊なんですね。

ものづくりがいかに大変なことなのか、身にしみて分かりました。『魔法少女 山本美月』は私の本ですが、この本にはたくさんの人がかかわっているので、その一人ひとりとイメージを共有する必要があります。例えば私がやりたいことでも、時々「あれ?」って思うことがあって。コストの問題含め、必ず妥協点って存在するんですよね。そういう当たり前のことを知ることができたのもとっても勉強になりました。

良い意味で、人に期待しすぎてはいけない。伝えたことだけ読み取ってもらえるように、自分も用意しなければいけないんだと思います。ちょっと投げ掛けただけで、自分のことを分かってもらえるなんて大間違いですよね。人に伝えることの難しさを学びました。マネージャーさんを介して編集スタッフの方とやりとりしている関係上、やっぱりどうしても「伝言ゲーム」になってしまう時があって。今どういう状況で、今後どうするのか。本当に、「ほうれんそう」って大事なんですね(笑)。

それでもこうして、ちゃんと形になる。自分が思い描いていたことが1冊の本になって出版されて、たくさんの人が手にとってくださるって……冷静に考えるとちょっと恥ずかしさもありますね(笑)。今回は、「理想の集合体」として本当に詰め込んだので、今度は詰め込まない本にもチャレンジしてみたいです。

実はこれに取り掛かる1年前ぐらい、すごく悩みました。本当にやるべきかどうか。そして、きちんと伝わるのか。でも、一度はやってみようと。挑戦してみて、その上で今後もやっていくのかを考えようと決意しました。

■「アニメ好き」公表を止められていた過去

――発売決定の発表で、「好きなものを好きと大声で言えず悩んでいる人にとって、この本が少しでも勇気を出すきっかけになってくれたら嬉しいです」とコメントを出されていましたね。周りにそういう方がいたんですか?

自分自身です。『CanCam』に出始めていた当時、「アニメが好きです」と公表することを事務所に止められていたんです。だから、「趣味はアニメを観ることです」と言っちゃダメで、「趣味は絵を描くこと」みたいにちょっとぼかさないといけなかった。それがすごく苦痛でした。自分を語る上で、アニメをなくしてしまうと、何も語れなくなってしまう。それがすごく生きづらくて。どうにか出せないかと悩んでいた頃、『CanCam』で嶋野(智紀)さんが編集長になった当時、「面白い」と言ってくださって。そこをきっかけに、公表することも許されたんです。嶋野さんがうちのマネージャーさんを説得してくださったんじゃないんですかね(笑)?

――当時の『CanCam』モデルがアニメ好きを公表することは、珍しい時代だったんですか?

たぶん、珍しかったので反響があったんだと思います。そこで楽になったというか。悪い反応はほとんどありませんでした。芸能界に入る前は、「ハガレン」の筆箱とかガンガン使っていました(笑)。下敷きやシャーペンとか、身の回りのグッズも。女子校だったんですけど、同じ趣味を共有できる友達もいたので楽しかったです。

――「芸能人はイメージを売る商売」というのも、一昔前の言葉なのかもしれませんね。最近では肩書に囚われず、自由に仕事を選んでいる人が増えているような気がします。

そうですね。当時の「清純派」というものは、イメージが大切だったのかもしれませんね。私、そういうことに対して、全く分かってなくて、言われたとおりにするしかできなかったんですよね。自我がなかった。最近は自分を出していける場が増えたので、生きやすくなったと感じます。

――そういうところが、最近開設されたYouTubeからも伝わります。タイトルの「山本美月の月の部分」。これは、モデル、女優、趣味……「どの山本美月も自分」という印象を受けました。

そうです、いろいろな自分も全部自分なんです。YouTubeの自分を「月」に置いただけで。私は「月」だけではないよということを知ってほしい。そういうふうに思えるようになったのは、ここ2~3年。やっと自分を持ち始めました。

■「何の仕事をするかではなくて、誰と仕事をするか」

――何かきっかけがあったんですか?

きっかけは……何かあったのかなぁ……。

若い時、「幸せであること」は「人から羨ましがられること」だと思っていました。例えば、「こんなドラマの主演をやってすごい!」とうらやましがられることが幸せだと。それが、自分にとっては幸せなことではないと、どこかで気づいて。幸せは、人によって違うこと。他人の目ばかり気にしていた自分が、「自分の幸せとは何か」を考えるようになって。忙しくさせてもらえるようになってから、気づいたのかもしれないですね。

最近は、一人で海外も行くようにもなりました。一人で学校に入って。海外に詳しい友達がいたので学校を紹介してもらって。2週間ぐらいボストンに行きました。芸能界ではない、私のことを知らない友達とそこで出会いました。生身の人間として対等に話せる人と出会って、みんな意外と優しいんだなと思って。すごく救われた気持ちになりました。それを経験すると、日本に戻った時にすごく心が広くなって。たぶん、無理しすぎてたのかもしれないですね(笑)。

――山本さんご自身もそうですが、変化を受け入れて軌道修正ができたという意味では良い事務所と巡り会ったともいえますよね。

そうですね。今のマネージャーさんと出会えたのが大きいです。弱音吐いていいんだよという気持ちになれて、すごく楽になりました。それまではずっと、強がっていないといけない気がしてたんですよね。

出会いや人は本当に大切ですね。ドラマのセリフでもありましたが、「何の仕事をするかではなくて、誰と仕事をするか」。これは仕事をしないと気づけなかったこと。いろいろな経験があって、それを乗り越えたからこそ気づくことができました。

■プロフィール
山本美月
1991年7月18日生まれ。福岡県出身。2009年の第1回「東京スーパーモデルコンテスト」でグランプリを受賞し、CanCam賞にも選ばれる。以後、ファッション誌『CanCam』(小学館)の専属モデルとして活躍。2011年にドラマ『幸せになろうよ』(フジテレビ)で女優デビューし、翌年には『桐島、部活やめるってよ』で映画初出演。2020年は、『ランチ合コン探偵~恋とグルメと謎解きと~』(読売テレビ・日本テレビ系)で地上波連ドラ初主演を務め、12月11日公開予定の映画『新解釈・三國志』に出演。2021年には映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』も控えている。