パナマ代表監督トーマス・クリスチャンセンとは何者なのか?

日本代表は本日、13日の23時15分からパナマ代表との親善試合を行う。パナマ代表チームを率いる元スペイン代表FWのトーマス・クリスチャンセン(クリスティアンセン)監督は「インテンシティが高く、攻守のトランジションが優れている。」と日本を格上とみて警戒している。

さて、クリスチャンセン監督が元スペイン代表、バルセロナに所属していたことから日本側からうらやむ声が出ている。元スペイン代表歴のある指揮官を呼べるなんてパナマすごい、日本も…というわけだ。だが、クリスチャンセン監督はそういったエリートではない。今回はパナマの鍵を握る指揮官クリスチャンセンの過去を紹介しよう。

クリスチャンセン監督はその名前通り、デンマークの生まれで父がデンマーク人、母がスペイン人で国内のいくつかのチームで下部組織を経た後に1991年にバルセロナの下部組織へ移っている。

バルセロナに所属はしたが…

Bチームに所属していたクリスチャンセンは1992年12月にU-21スペイン代表へ招集されると、1993年にはトップチームの出場が0でありながらスペイン代表に招集されメキシコ代表戦でデビューを飾っている。

だが、バルセロナのトップチームでプレーする機会はなかった。早くからトップチームの練習に参加をしたが、リーグ戦の出場はゼロ。毎年レンタルで他チームへ移籍するが、多くは負傷により離脱という結果を招いた。

トーマス・クリスチャンセン監督が元バルセロナと言われても当時のファンからはピンとこないのも無理はないだろう。

スポルティング・ヒホン、オサスナ、ラシン・サンタンデールとプレーした。1996年1月、レアル・オビエドへ出場機会を求めて移籍したものの無得点に終わっている。その後、ビジャレアルを経てスペイン下部のテッラッサ、ギリシャのパニオニオス、母国デンマークのヘアフォルゲと転々としたが大きな活躍はできなかった。

30歳でブンデスリーガ得点王クリスチャンセン誕生

転機となったのが、2001年1月にボーフムへ移籍してドイツへプレーする場所を移したことだ。

これまで出場機会はあっても得点が取れない、怪我が多くコンスタントに活躍できないクリスチャンセンが、まさかのブレイク。2001-02シーズンに17得点をあげ1部昇格を勝ち取ると、2002-03シーズンに21ゴールをあげブンデスリーガ得点王となった。

タイトルを獲得したのは30歳になったシーズンであり、若くして期待された選手がまさかの30歳でブレイクを果たし話題となった。当時のヨーロッパシーンではイタリアのダリオ・ヒュブナー、ドイツのマルティン・マックスらベテランになってから得点を量産しているストライカーが多くクリスチャンセンもその1人に数えられたのだ。

その後、ハノーファー96へ移籍。初年度こそ9得点をあげたものの再び怪我に悩まされ、2006シーズンを持って現役を引退している。

当時、WOWOWの放映では「クリスティアンセン」と呼ばれることが多く、「ボーフムのクリスティアンセンがパナマの監督になったんだよ」といった方が往年のファンにはわかりやすいだろうか。

指導者としてデビュー

再びクリスチャンセンの名前をフットボールシーンで聞くことになるには少し時間を要す。

2013年にUAEのアル・ジャジーラでルイス・ミジャ監督のアシスタント・コーチとして指導者のキャリアをスタートすると、2014年にAEKラルナカ(キプロス)で初めて監督に就任、2016年にAPOELへ移るとリーグ優勝を飾った。

その後、イングランドのリーズ、ベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズと移り、今年7月アメリコ・ガジェゴの後任としてパナマ代表監督に就任した。

リーズでは約8か月で辞任と結果を残せなかったが、現在プレミアリーグでマルセロ・ビエルサ監督のもと奮闘しているチームの礎を築いている。クリスチャンセンはビエルサが自分がやったことを継続してやってくれているといい「新しいプロジェクトを開始するときは、時間が必要です。特に、哲学を旧来のイングランド的なサッカーからポゼッションに切り替える時には」と語り時間が足りなかったことを説明している。

パナマ代表監督としてのターゲットは2018年に続き2022年のワールドカップに出場することだ。

実はクリスチャンセン自身も父親の仕事の影響でパナマに住んでいたことがあるそうだ。今やスペイン人女性と結婚し2児のパパでもあるクリスチャンセン、第三の母国パナマを率いて日本に立ち向かう。

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