【Editor's Talk Session】今月のテーマ:バンドとライヴハウスと観客で実現させた全国ツアーを経て思うこと

Editor's Talk Session

音楽に関するさまざなテーマを掲げて、編集部員がトークセッションを繰り広げる本企画。第12回目のゲストは、コロナ禍で身動きが取れないバンドが多かった8月に全国ツアーを行なったメリーのガラ(Vo)と、そんな彼らを迎え入れた高崎clubFLEEZの店長・本多裕和氏。互いの視点から見た東京と地方の違いや、それぞれの想いをぶつけてもらった。

座談会参加者

■ガラ(メリー)
メリーのヴォーカリスト。常に進化しながら歩み続け、2020年8月から全国ツアー(全17公演)を敢行し、9月には日比谷野外大音楽堂にてツアーファイナルを無事成功させた。

■本多裕和(高崎clubFLEEZ)
高校生の時よりライヴハウスに出入りするようになり、その後、前進となる前橋clubFLEEZに勤務。そして、2004年2月に高崎clubFLEEZを設立。生まれも育ちも群馬県。

■石田博嗣
大阪での音楽雑誌等の編集者を経て、music UP’s&OKMusicに関わるように。編集長だったり、ライターだったり、営業だったり、猫好きだったり…いろいろ。

■千々和香苗
学生の頃からライヴハウスで自主企画を行なったり、実費でフリーマガジンを制作するなど手探りに活動し、現在はmusic UP’s&OKMusicにて奮闘中。マイブームは韓国ドラマ。

■岩田知大
音楽雑誌の編集、アニソンイベントの制作、アイドルの運営補佐、転職サイトの制作を経て、music UP’s&OKMusicの編集者へ。元バンドマンでアニメ好きの大阪人。

こういう時だからこそ ライヴをしなきゃ!

石田
各地のガイドラインに沿って、ようやくライヴが行なわれるようになってきましたが、そうなる前にメリーは先陣を切るように全国ツアーを敢行しましたよね。

ガラ
僕たちは8月1日からツアーを始めたので、緊急事態宣言は解除されてはいたのですが、それは東京だけの話というか。北海道から博多まで行きましたけど、各地の状況までは分かってなかったから、行ってみないと分からないことだらけでしたね。コロナ禍の中を東京からバンドが来るというのが珍しかったようで、“東京から来てくれたバンドはメリーが初めてですよ”って喜ばれることが多かったです。

石田
当然ですけど、ステージにビニールを貼るなど、いろいろ対策をしながら全国を回っていたのですか?

ガラ
そうですね。各地で要請の内容が違いましたし、収容人数も会場によって違いましたから、各ライヴハウスのスタッフさんなどがすごく動いてくれて、安全対策をしっかりと取りながらライヴができました。

石田
久々のライヴはどうでした?

ガラ
初めてでしたよ、歓声のない無音のステージに立って歌って、曲が終わったらパチパチパチパチと拍手の音だけが鳴るというのは(笑)。メンバーの名前すら呼べない感じだったので、最初の1、2本は感覚を掴むのに苦労しました。“みんなにはどう観えてるんだろう?”と意識したり。でも、配信ライヴをやってる人がたくさんいますけど、やっぱり生に勝てるものはないというか…最初の音を出した瞬間のズドーン!ってくる感覚は、バンドで初めてスタジオに入った時を思い出しましたね。シビれましたもん。そういう感覚が来てくれたみなさんに少しでも伝わってたらいいなと思う…やっぱり僕たちは音でしか返せないですし。ライヴハウスと協力して、ちゃんとライヴが行なわれるように一日でも早くなってほしいと願うばかりですね。

石田
でも、この時期に全国ツアーを行なうということで、周りの反対などはなかったんですか?

ガラ
正解も不正解もない中で、自分たちがどうしたいかというのが一番大きかったんですけど、僕らはこのツアーでメンバーが脱退するというのもありましたから。でも、“こういう時だからこそライヴをしなきゃ!”という気持ちもありましたね。“自分たちのできる安全対策をしっかりとして、ちゃんと歌を届けに行くんだ!”という意思のもとでツアーをやろうと決めました。

石田
その安全対策のため、ツアー先の各地で寄付も募っていましたしね。

ガラ
そうなんです。コロナの影響で延期になったライヴのチケット代の返金も含め、人件費や安全対策の費用など、普段のライヴ以上に費用がかかってて。最初はクラウドファンディングも考えたんですけど、みなさんに寄付というかたちでお願いをして、それでよりいい安全対策をしてライヴをやることに決めました。場所によって収容人数が違うので、いただいた寄付によって消毒液を追加したり、メンバーやスタッフと話し合って必要なものを購入していました。

石田
本多さんはこの時期にメリーがツアーでやって来たことについてどう思われましたか?

本多
群馬でも緊急事態宣言があって、高崎clubFLEEZがいつからどう動くかというのが分からない状態の中、バンドに“ライヴをやろうぜ!”と声をかけたところで“今はちょっと控えたいです”と言われるだけで。もちろん“やります!”というバンドもいましたけど、がっつりしたワンマンはメリーが初だったかもしれないですね。それまでは地元のバンドたちと探り探りでライヴをやってました。今もそうですけど、公演をひとつひとつこなすことによって、ソーシャルディスタンスやガイドラインを守りつつの私たちなりの対策の仕方が知れたり、“お客さんはこう感じているからこういうふうにやっていこう”というのをシミュレーションできて、いろんなことを現場で体感しながら学んでいます。だから、メリーにライヴをやってもらって、そういう不安に対して勇気となるパワーをもらいました。お客さんもしっかりと入って、“やっぱりこれだよな!”というのを痛感した一日になりましたね。メリーがライヴをやるまではドカーン!っていうのがなかったから、あの時は男泣きのモードに入りましたもん。今までやれたものが思うようにできなくなって、まだミニマムなものかもしれないけど、ここまで戻ってきたというのは嬉しく思いますよね。

ガラ
みなさん手探りでやられているし、僕たちも最初はそうだったんですけど、メリーが東京から行ってライヴをすることで、“コロナ禍の中でライヴをやる”ということに対して、ひとつのモデルみたいになれればいいなという想いはありましたね。誰もが“どうしたらいいんだろう?”という気持ちだったと思うので、ちゃんと安全対策をして、そこにお客さんも入れてライヴをするということが、ファンにとっても、自分たちにとっても、ライヴハウスにとっても、未来に向けた第一歩になればと思ってツアーを回ってました。

石田
突破口じゃないけど、誰かが動かないことには状況は変わらないですからね。

ガラ
相手は未知のウイルスなので、やっぱり誰もが不安だったと思うんですよ。その中で、誰かがやってくれるのを待ってる空気も感じていたので、“だったら自分たちがやる!”と思ったというか。そういう意味では、今年になってライヴができなくなって、当たり前が当たり前じゃなくなるこの状況の中、僕たちは何をやってる人で、何を伝えられるのかっていうのを再確認した一年でしたね。

石田
そういう話をメンバー間はもちろんだと思いますが、バンド仲間ともするんですか?

ガラ
それこそ、僕たちと同時期くらいにD'ERLANGERさんもツアーをやっていたので、ヴォーカルのkyoさんとは連絡を取らせてもらって、“そちらはどうですか?”とか“どんな安全対策をやっているんですか?”とかの話し合いはしていましたが、バンドによってライヴのやり方は違いますからね。ステージ前にアクリル板を置くとか、シートを貼るとか、どれが一番良くて、何が正解なのか本当に分からないことだらけだったんで、僕たちが考えてできうることはやろうと考えていました。

石田
本多さんも群馬の他のライヴハウスの人だったり、他県のライヴハウスの方と話し合うことはあるのでしょうか?

本多
そうですね。群馬にはライヴハウスが数店あって、ブッキングマネージャーや店長なんかもお互いにライヴを観に行ったり、酒を飲んだりという仲ではあるんで、コロナの流行が始まった頃に連絡を取って、“本多さんのところはどうするんですか?”とか“こんなガイドラインが出たけど、群馬県の県の条例はこうなんだよ”なんていう話をしたり、感染症対策のグッズの情報とかを共有し合っていましたね。なので、それぞれのライヴハウスのやり方を共有することで、お店ごとのチューンアップをしていけば、県内のライヴハウスの中で対策が向上していくし、出演するバンドも安心してくれるんじゃないかとは思っていました。全国のライヴハウスの例とか、あの時はいろんなニュース関連を僕はぶん撒いていましたね。

千々和
Twitterでmito LIGHT HOUSEとかHEAVEN'S ROCKなど、群馬県以外の北関東のライヴハウスとトークライヴだったり、ミーティングをされていたそうですね。

本多
もともと季節ごとに飲んだり遊んだりする仲だったりすんで、コロナで運営が止まってちょっと経ったくらいに“どうしますか?”という話をしたり、各県各地でのガイドラインの情報共有をしてて…ガラさんも話されてましたけど、やはり東京と地方は違うので、東京のガイドラインが群馬に当てはまるかと言ったら、全部が全部そうなるとは思わなかったんです。その点が一番リンクするのは北関東の3県なんですよね。地元のバンドシーンであったり、ツアーで来るバンドであったり、類似するポイントが多かったりするので。お互いに話していて一番リアリティーがあるんですよ。我々の北関東チームは最終的に“俺たち田舎者だからさ”っていう言葉で締めてるんですけど(笑)、例えば曜日の感覚も東京と違うと思うんですよね。東京であれば平日でもみんな普通にライヴをやってますが、我々のような地方はどうしても週末集中型なので、平日をどういうふうに活かしていくかという問題もあるんですよ。だから、悩みも似たような感じなんです。もちろん各店舗、高校生のコピーバンドも出たりするし、メリーのような一級のプロも来るというところで、お互いに親近感があると自分的には思うんですよ。その3店舗では特に。

ガラ
いつからか、ライヴは土日ばっかりになりましたもんね。

本多
昔はツアーも曜日よりも工程を重視してましたよね。

ガラ
そうですね。平日でもやってました。

本多
今は週末にライヴをやって、東京に戻って、また週末に回るという動きになってたりしますし。

ガラ
だから、そんなにツアー感がなかったりするんですよ。出っ放しじゃないから。

本多
高崎ぐらいだと泊まらなくても東京に戻れますしね(笑)。

みなさんの助けがあって、 ようやくライヴができる

石田
ガラくんは地方を回ってて、コロナに対する東京との温度感の違いを感じたりしました?

ガラ
最初にクラスターが起こったってことで、ライヴハウスがやり玉に挙げられてしまって、僕たちも“どうなるんだろう?”と日々感じてましたし、ニュースを見ていることが多かったから日々変わる状況の中でいろいろ調べたりはしてたんですけど、実際にツアーに出てみて東京と各地方では全然違うと肌身で感じましたね。“東京は緩んでるんじゃないかな?”と8月後半くらいに思ってました。地方はほんと人がいなくて、夜ご飯を食べる場所もないという状況でしたから。おそらく東京よりも高齢者の方だったり、家族と暮らしている人が多いと思うので、結構ピリピリしてるというか。

千々和
東京は最初はライヴハウスでしたけど、その後は夜の街にシフトしていってしまったので、そういう面でも他の地域とは意識に差が出ていると思います。これは音楽業界だけじゃなくて、普通に過ごしている人もそうで、その意識の違いは緊急事態宣言が解除されたあとから大きくなっていったから、8月にツアーを回られていて各地でいろいろ感じられたと思うのですが、“ライヴハウスは危ない”と家族に行くのを止められる人が多いという話も聞くので、そんな中で地方のライヴハウスが店を開けていることは大変なんだろうなと思うのですが。

ガラ
うんうん。ライヴはやる側が“やります!”と言うだけでは成立がしないですからね。そこにライヴハウスがあって、スタッフのみなさんの助けがあって、ようやくファンを呼べてライヴができるので、“やりたいからやる!”だけではできない。あと、僕たちは“アクリル板を置いてます!”とかの情報をSNSやネットに載せていたので、それをファンが拡散してくれたりして、ツアー後半は当日券が出るようになったり、“こういう安全対策をされてると知って来ました”という声もあったんですよ。みんな分からなかったんでしょうね、ライヴハウスがどういう状況なのかを。

本多
確かにそうかもしれないですね。僕も“全員座ってなきゃいけないんですか?”とか“ヴォーカルはマスクして歌わなきゃいけないんですか?”とか訊かれましたし。ガラさんがさっき言ったことじゃないですけど、お客さんが一回会場に来て、“今はこういう感じなんだな”“ちゃんと安全に観れるんだな”というのを持って帰ってもらうことによって、少しずつでも“大丈夫だから、また行こうぜ!”という声が増えていけば、またお客さんが戻ってきてくれると感じています。なので、今はまず来ていただける環境を作っていきたいと頑張っているところです。それには公演がないといけないわけで…お店だけ開けても意味がないですからね。アーティストさんがライヴをしてくれなければ、僕たちも成立しない。

ガラ
そうですよね。人件費もそうですし、ライヴハウスを開けるというのは結構大変だと思うんですよ。僕たちもツアーを延期した時に連絡させてもらったんですけど、本多さんのところも含めていろなんなライヴハウスで、そういう電話がすごかったんじゃないかなと思うんです。

本多
あの時はそんな連絡ばかりでした。こっちも“ですよね”っていう感じで。

ガラ
だから、ツアーを回って地方のライヴハウスの人やイベンターさんから“本当に来てくれてありがとう!”と言ってもらえた時は、ツアーをやって本当に良かったと思ったし、メンバー脱退という状況下でもあったので、最後に一緒に回れて良かったと思いました。本当に僕たちにとって特別なツアーになりましたね。

千々和
9月12日が高崎clubFLEEZでの公演でしたね。

ガラ
その時にやっと僕は実家に帰れました。それまでは親にも“帰ってくるな”と言われてましたから(苦笑)。

本多
群馬はそんな雰囲気がありましたもんね。そういうところが地方ならではの人の動きを感じる部分だったりします。行くこともあるし、迎え入れることもあるしというのをコロナ禍の中でいろいろと感じました。今までは季節ごとにツアーで来てくれて“みんなで飲もうぜ!”みたいなことをやってたのが、今はなかなかできない状態だし。でも、9月頃になってから東京に行ってるバンドが群馬に戻ってきて、実家に帰ったり友達に会ったって話を聞くようになりましたね。

ガラ
そうですよね。9月に入ったくらいからライヴをやるバンドが増えてきた気がするんですよ。状況は別に変わってないと思うんですけど。僕たちを含めて動いていたバンドがいたり、ライヴハウスがやってきたことが、少しずつ外に広がったのかなとは思っていますけど。

本多
それはありますよね。けど、ガイドライン的にOKだからと言って全てが今まで通りにできるわけではなく…高崎clubFLEEZはそうだったんですけど、自分にビジョンが見えなければ稼働をすることは難しいと思っていました。

ガラ
ちなみに、高崎clubFLEEZってガイドラインとかだと収容人数は最初何人とかあったんですか?

本多
高崎clubFLEEZは国のガイドラインを参考にしています。こんな状況だからロックでぶっちぎる気なんて1ミリもないので、全てのルールを守った上で、プラス高崎clubFLEEZ独自のチューンナップもして営業再開をしたいと思って。

ガラ
高崎clubFLEEZはステージも高いし、開放的だし、いろいろ対策ができるからいいんですが、“ザ・ライヴハウス”みたいな小さなところは大変だったと思いますね。僕たちも不安要素のひとつにあったというか、ツアーすることによって付随するお金が結構かかってくるので、ガイドラインによる収容人数の問題で行けないところが現実的に出てくると思ってましたから。

音楽に対する姿勢や、 ライヴに対する考えが変わった

岩田
メリーが高崎clubFLEEZでライヴをした時は、事前に対策について打ち合わせされたのでしょうか?

ガラ
ライヴハウス側に“うちはこういうのがあります”というものがあれば、それを使う箇所もありましたが、基本的には自分たちでアクリル板、消毒液、検温器、石鹸やハンドソープなど持ち込めるものは持ち込んで、換気用の扇風機とかについてはお借りしていましたね。

本多
だから、事前に擦り合わせつつ“じゃあ、それでいきましょう!”みたいな感じでしたね。そこはお互いの合点が合っていました。他の公演もそうなんですけど、事前での擦り合わや当日のやりとりの中で、“これを用意していただけるのであれば、こうしましょう”と進めてました。高崎clubFLEEZは地下なので、今は笑っちゃうくらい扇風機を設置してますしね(笑)。もともと地下だから換気設備も整ってるし。

岩田
やはりライヴハウスは換気がポイントになりますよね。実際にツアーを回られたメリーの感想として、これからツアーを回りたいというバンドに対して何かアドバイスはありますか?

ガラ
他の人たちがどうしているかによりますけどね。最初はステージにビニールやアクリル板があるということで、“それってどうなんだろう?”と思っていたんですけど、僕は変わらずパフォーマンスができましたし、むしろいつもできないパフォーマンスができたと思います。まぁ、そこもバンドによると思うんですけど。僕、こういうことになって気づいたんですけど、ヴォーカルの飛沫ってめちゃくちゃすごいんですよ。だから、アクリル板とかあるのはいいことだと思いますね。

石田
換気をしないといけないから、ライヴは2部構成にしたり?

ガラ
僕たちは初日の横浜だけですかね。やっぱりガイドラインが場所によって違うので、そこに合わせたところはあります。でも、換気もバンドによって違うと思いますね。MCで“今から換気します”と言えるバンドだといいけど、そういう世界観じゃないバンドもいるので…僕たちは曲と曲の間にBGMを流して、その間にスタッフにお願いして換気だったり、扇風機を回してもらったりしてましたね。

石田
2部構成にしたり、MCで中断させたりするのって、それまで作ってきた空気が壊れるっていうのはありますね。そういう意味では、ライヴの構成もそれぞれになってきますね。

ガラ
そうなんですよ。本多さん的には僕たちがツアーをして以降、状況は良くなっていってるんですか?

本多
あの時からしてみるとみんなツアーをするようになってきたり、お客さんも動くようになった…それこそ最初の頃だったら、会場に入ると足元にお客さん同士の距離を示す印があったり、検温や消毒をやらなきゃいけなかったりして、誰もが“そこまでしないといけないの?”と思ったはずなんですよ。でも、それが当たり前だと思って、お客さんも出演者もルールを守ってきた、この数カ月の積み重ねがあるからこそ開けてきたというか。お客さん、出演者、箱という三角形がしっかりとしてきた…これは地方にいるからすごくリアルに感じますね。

石田
まだ手探りだけど、ちゃんと進めていると。

本多
本当にまさにそうですね。高崎clubFLEEZは練習スタジオも併設しているんですが、そこで練習する人たちも徐々に戻ってきていますね。そういう意味でも、お客さんもアーティストも頑張っているのであれば、僕たち箱の人間もチューンナップして、日々アップデートしていかなきゃいけないと毎日思っています。

石田
ライヴが当たり前のものじゃなくなっただけに、ライヴに対する意識が高まったという感じですよね。

本多
まさにそうですね。それは感じます。

ガラ
そうですよね。音楽に対する姿勢であったり、ライヴに対する考えだったりと本当に変わりました。何よりも“自分がなにをすべきか?”ということが、より鮮明になったと思いますね。ツアーでは“この状況の中をお客さんは来てくれたんだから、絶対に何かを持って帰ってもらおう。届けたい!”という意思だけで歌ってましたから。逆に、余計なことを考えずにライヴができたと思えるツアーでしたしね。

本多
僕もコロナというのは新しいものを見つけたり、新しいスタイルを感じるポジティブなタイミングなのかなととらえています。昔を知っているがゆえにね。ライヴをするバンド、できるバンド、できないバンドさまざまであって、どれが正しくて間違いかなんて、本当に分からない時代ですから。そういう意味でも、これからは個の姿が重視される時代なのかなと思いますね。

岩田
この対談企画もコロナ禍になってからいろいろな方にお話をうかがっていますけど、どんどん月を重ねるごとにライヴハウスやアーティストのみなさんがポジティブで前向きになっていっているのがすごく伝わるんです。今回のおふたりのお話も有意義なものだったので、まだまだ閉塞感はありますけど、今後に対してワクワクするものがありました!

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