安芸幸崎駅 溜め息がでました【木造駅舎巡礼03】呉線

※2020年8月撮影

トップ画像は、JR西日本呉線安芸幸崎駅。

呉線は、起点が三原駅、終点は海田市(かいたいち)駅の87.0km。直流電化されています。

その歴史は、1903年(明治36年)に軍都広島と軍港呉を結ぶために呉駅~海田市駅間が国によって敷設されたのが始まり。実際の運営は山陽鉄道に委ねられましたが1906年(明治39年)国有化によって日本国有鉄道の路線になっています。1909年(明治42年)の線路名称制定で呉線となりました。

※2020年8月撮影 内容とは無関係です 車窓から撮った呉線沿線

1935年(昭和10年)には三呉線として三原駅~呉駅間が開業。三原駅~海田市駅間は全線が呉線に改称されました。海軍軍港として重要性から戦前から電化(1970年/昭和45年)まで大型蒸気機関車による運行が実施されたのです。

※2020年8月撮影 同上

呉線の木造駅舎は、8月19日に山陽本線の向洋駅まで撮った後に天応駅、吉浦駅を先に撮影、三原に宿泊。翌8月20日に、三原駅発6時13分の呉線快速通勤ライナー広島行で安芸幸崎駅に6時29分に降り立ったところから撮影がスタートしました。下りホームで乗って来たJR西日本227系電車を見送ります。

※2020年8月撮影

上りホームに木造駅舎があります。なかなか魅力的です。通勤の方々が先に跨線橋を越えて行きました。

※2020年8月撮影

下りホーム駅名標。隣の須波駅にも素晴らしい木造駅舎がありましたが、2019年(令和元年)に残念ながら解体されました。1年前に行っていれば・・・。

※2020年8月撮影

安芸幸崎駅は、1931年(昭和6年)三呉線の駅として開業。1935年(昭和10年)全線開通で線路名称改定で呉線所属駅になります。1960年(昭和35年)貨物取扱廃止。1978年(昭和53年)快速列車停車駅になりました。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化でJR西日本に移管。1994年(平成6年)無人駅になります。2007年(平成19年)ICOCA専用自動改札機設置。

下りホームから駅舎。朝日の逆光でこの後も苦労します。

※2020年8月撮影

跨線橋に上ります。奥は三原駅方面。

※2020年8月撮影

海田市駅方面、この角度から見る安芸幸崎駅の木造駅舎。素晴らしい!写真を撮りながら溜め息がでました。朝一番だったこともありますが景観の美しさに、木造駅舎を撮りに来て本当に良かった、と心底思いました。

※2020年8月撮影

朝日の逆光ですが、駅の南東には大きな今治造船(株)広島工場があります。

※2020年8月撮影

とにかく駅舎の木材貼りの壁面と瓦屋根に魅せられてしまいました。

※2020年8月撮影

この後も舐める様に撮っていきます。続きは次回!

(写真・文章/住田至朗)

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