リック・アストリーは最高のソウルシンガー、人は見かけで判断しちゃダメ! 1987年 11月16日 リック・アストリーのアルバム「ホエネヴァー・ユー・ニード・サムバディ」が英国でリリースされた日

小室哲哉にも影響を与えた ストック・エイトキン・ウォーターマン

以前のコラム『追悼:ユーロビート番長「デッド・オア・アライヴ」名前通りの波乱人生?』でも触れましたが、80年代においてプロデューサーの力をまざまざと見せつけられたのが、ストック・エイトキン・ウォーターマン。あの小室哲哉も影響を受けたUKの3人組のプロデューサーチームです。

当初はヘイゼル・ディーンなどUKのみのヒットにとどまってましたが、1984年から1985年にかけてデッド・オア・アライヴの「ユー・スピン・ミー・ラウンド」が世界的にヒット、1986年にはバナナラマの「ヴィーナス」によって彼らのサウンドが決定的に印象付けられます。

パーカッシヴな打ち込みビートによるディスコサウンドが特徴的ではありましたが、60年代のモータウンにも通ずるようなキャッチ-なメロディーが魅力でもありました。主に新人アイドルを手掛けることが多かったのですが、スリー・ディグリーズやラトーヤ・ジャクソン、エドウィン・スター、ジョージー・フェイム、ドナ・サマーなどの大物も手掛けるあたりはさすがの職業プロデューサーではありますね。

リック・アストリーの衝撃、ユーロビートに野太い歌声!

そんな彼らの手掛けたアーティストで私が最も衝撃を受けたのがリック・アストリーです。「ネバー・ゴナ・ギブ・ユー・アップ」を初めて聴いたときは驚きましたねえ。今聴いても破壊力抜群、ウルトラキャッチ-なメロディーに派手さ極まりないディスコビート、そしてあの野太いソウルフルな歌声。

R&B界の隠れたベテランシンガーでも発掘してきたのだろうかと思ってました。そしてミュージックビデオを見てみたら、どこか冴えない田舎くさい、まだあどけなさも残る白人青年(失礼な表現、ごめんなさい)、これには本当にびっくりしました。

続く「トゥゲザー・フォーエバー」も恐るべき完成度を誇るポップな楽曲。この時、本当にストック・エイトキン・ウォーターマンがバケモノだと思いました。これだけポップすぎると楽曲だけが独り歩きしそうなイメージがつきそうなんですが、リックの歌がまた物凄く上手いのだからアーティストの存在感も際立ちます。

軽薄そうな雰囲気はまったくなく、真面目で実直なイメージがまた好感を持たせますよね。「トゥゲザー・フォーエバー」以前にシングルカットされたナット・キング・コールのカヴァー「恋に落ちた時(When I Fall in Love)」では、「ただのユーロビート王子ではないぞ!」と言わんばかりの大人の味わいでシブくキメてくれます(全英では2位のヒット!)。

80年代を象徴するポップシンガーは過去の人ではなかった!

そんなリックは2016年8枚目のアルバム『50』をリリース、見事デビューアルバム以来の29年ぶりとなる全英1位を獲得しました。80年代を象徴するポップシンガーは過去の人ではなかったのです。

余談ですが、当時リック・アストリーは漫才師西川きよしの息子、西川弘志に似ていると話題になったのですが、これって関西でだけだったんでしょうか? ちなみに横山やすしの息子、木村一八はボン・ジョヴィの元ギタリスト、リッチ-・サンボラに似ていると言われていました。

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※2017年6月8日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: DR.ENO

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