阪神・藤川球児は「伝説的地位に上り詰めた」 日本での輝かしいキャリアを米称賛

今季限りで現役を引退した阪神・藤川球児【写真:荒川祐史】

米トレード・ルーマーズ「フジカワはトップのセットアッパーとクローザー両方の役割を果たした」

今季限りで現役引退する阪神の藤川球児投手に米メディアも注目している。米最大の移籍情報サイト「トレード・ルーマーズ」は「キュウジ・フジカワ引退」と藤川が日本球界で残した輝かしいキャリアに注目している。

藤川は12年オフに海外FA権を行使してカブスに移籍。13年開幕戦でメジャー初セーブを挙げたものの、6月に右肘のトミー・ジョン手術を受けて離脱。15年からはレンジャースに移ってメジャーでは3年間で通算29試合登板、1勝1敗2セーブ、防御率5.74だった。トレード・ルーマーズは「北米のファンは藤川のことを2013~2015年のカブスとレンジャーズでの3シーズンで一番覚えているだろうが、その期間は彼の全盛期を示すものではなかった。2012年12月にカブスと2年950万ドルの契約を結んだフジカワは、12試合に登板しただけでトミー・ジョン手術を受けることになり、2013、2014年シーズンの大半を逃した」と渡米中は故障に苦しんだとしている。

それでも、阪神では絶対的なクローザーに君臨したことを伝えている。05年にセットアッパーとして頭角を現し、火の玉ストレートを武器に07、11年に最多セーブを獲得。阪神復帰後も17年から3年連続で50登板以上を投げた。「フジカワはハンシン・タイガースのブルペンでの17シーズンで伝説的なステータスに上り詰めた。フジカワはタイガースでトップのセットアッパーとクローザー両方の役割を果たし、通算935回1/3を投げ、防御率2.08、奪三振率11.7、3.60K/BB、243セーブを記録。フジカワはタイガースの最後の2度の日本シリーズ進出(2003年と2005年。カーネル・サンダースの呪いは損なわれないままだが)に大きな貢献を果たした」と活躍を称賛。火の玉右腕の輝かしいキャリアに拍手を送っている。(Full-Count編集部)

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