【特集】命削ってパン一筋 亡き店主に感謝と惜別の声 長野市の「ルミエール」年内で閉店へ

特集は、職人としての生涯を全うした男性です。長野市安茂里のパン店の店主が亡くなりました。主の遺志をくんで、亡くなった当日も営業を続けた店は、年内で閉じられることに。感謝と惜別の声が上がっています。

「ルミエール」店主・横川清司さん 2018年4月

住宅街の一角にあるパン店「ルミエール」。作業台のいつもの場所に、あの人の姿はもうありません。

主の横川清司さんは、そこで生地をこね、具を包み、そして、パンを焼く間には仮眠も…。

横川清司さん(2018年4月):

「ありふれたパンを食べて、おいしいなっていうのが理想なんですよ」

去年夏、膵臓がんが見つかり、入退院を繰り返しながらパンを作ってきた横川さん。10月27日、店の奥の部屋で息を引き取りました。

パン一筋60年の生涯。店は年内で閉じられます。

横川さんの娘・渕上妙さん:

「『命を削って作ったパンなんだ』とみなさんに向かって、第一声浴びせる。本当に懸命だったと思う。口癖のように言っていました」

横川さんは中学卒業後に上京し、飲食店でパン作りを覚えました。働きながら大学まで通いましたが、忙しさから中退。パン職人になる決意をしました。

横川清司さん(2018年4月):

「一番、自分に忠実でごまかしのきかないものは何かと考えたら、パンや洋菓子。パン屋になる、これしか俺にはないと自分に言い聞かせて、他に目が向かないように」

長野に戻り、パンの店や工場に勤めた後、45年前に「ルミエール」を立ち上げました。

パンは市内のスーパーや県庁の購買に卸され、西山地域への出張販売も。多くのファンを抱える店になりました。

妻に先立たれてからは心臓病も抱えていたため、販売の規模を縮小してきましたが、パン作りへの情熱は失いませんでした。

横川清司さん(2018年4月):

「こんなに安くて便利がよくて、こんなにうまいもんだっていうことで食べた人が幸せになれる、これはすごい仕事だなと」

横川さんが最後にパンを焼いたのは9月中旬。最後の1年、神戸から戻り介護した娘の妙さんは…。

横川さんの娘・渕上妙さん:

「(パンへの思いは)圧倒的。職人として、仕事人間としては頭が下がる。(病床では)『情けない、悔しい』とずっと言っていた。とにかく『パンきれいに焼けたか』とか『失敗してもいいから、たくさん作りなさい』と」

病気の進行、スタッフの高齢化、そして今のパンの味を維持していくのは困難なことから、家族とスタッフで話し合い閉店を決めました。

横川さんの娘・渕上妙さん:

「お父さんはがんの告知より、店を閉めろって娘に言われる方が嫌だったと思う。かわいそうだったなと今も思います。絶対、味って変わってしまうし、後で父は言っていました。『ずっとこの味が続くのは無理だから』って」

閉店を受け入れ、横川さんは先月27日、息を引き取りました。遺志をくみ、その日もスタッフは店を開きました。

横川さんの娘・渕上妙さん:

「普通に、当たり前のように。看取ってから、じゃあ行ってくるねって、普通に仕事をしに行きました」

36年間「ルミエール」で働く女性:

「一日一日、社長の遺志を継いで、精いっぱいやるだけです。力を合わせてやるだけ、悔いのないように。喜んでくれると思う。これが社長に教えていただいたレシピ。一生、とっておく」

店は今週から通常通り営業。しかし、常連客は…。

店員:

「12月いっぱいで、お店閉めることになりました。それまでは営業しますので…」

常連客:

「ちょっと、さみしいな…」

「ずっとこのパン食べてましたから、他の店のパンというわけにはいかなくて。でも、12月で辞められるとなると寂しいし、残念」

近くに住む一家:

「パン屋のおじいちゃん、死んじゃったんだって…」

近くに住むこちらの一家は、4年前に引っ越してきてから毎週のように通い、3人の子どもたちは横川さんに可愛がれられたということです。

近所に住む一家の子ども:

「(店の)奥で話したり、作っていたりして。何て言えばいいんだろう。さみしい、いなくなって」

「ルミエール」の閉店は今年12月30日。横川さん自慢の食パンには晩年の「口癖」を似顔絵付きのシールにして貼って販売しています。

横川さんの娘・渕上妙さん:

「お父さんの願いは、『年内、みんなで頑張ろう』と。あと2カ月の間、たくさん来ていただいて。おいしいなって思ってもらえるように、父がやっていた当たり前のことを当たり前に2カ月間やっていきたい」

© 株式会社長野放送