ルルドの奇跡<永井隆>

By 聖母の騎士社

 

 昭和20年8月9日、長崎市浦上に一発の原子爆弾が爆裂した。私は当時医科大学物理的療法科教室にいて、右半身に多数の硝子片切創を蒙った。それらの創のうち、右耳前部のものは深くて右側頭動脉が切断されていた。鮮血は滝のごとく噴き出した。友が圧迫タンポンをして三角巾で固く縛ってくれた。しかし血は止まらなかった。私はそのまま、負傷者の救助に従った。血は次第に流れ出て体の力は抜けていった。貧しい活動を3時間ばかり続けて、ついに失血のために倒れた。芋畠の隅で外科の調教授と私の教室の施医師が血管結紮をしようと試みたが、断端が骨縁の奥に引っ込んでいて成功せず、その上の組織を緊縛してようやく応急止血に成功した。

 私は教室員とともに西浦上木場郷藤ノ尾という所に移り、このあたりの負傷者の救護に従った。創はなかなか治らなかった。9月10日ごろから原子病の症状が現われ40度位の熱がつづき、創が壊疽に陥りはじめた。そうしてついに9月18日、かの右耳前部の創の肉芽組織が壊死し脱落したため拇指の入るほどの孔となり、しかもかの緊縛した糸がはずれたので、突然動脈から再出血をみるに至った。施医師が、組織縫合を試みたが組織がもろく孔が広くて不成功であった。血はどんどん流れ出た。圧迫タンポンのみが唯一の方法であったが、これもすぐに血だらけになり無効であった。施医師は外科の調教授、古屋野教授に相談してはあらゆる医治を施してくれたが無効だった。そのうえ重篤な原子病が次第に悪化してきた。富田医師と森田看護婦とが指で創口を押さえつけて、夜も昼も頑張ってくれていた。私は次第に貧血の自覚症状を起こし、9月20日朝、心臓、脈搏の調子が危篤に陥ってしまったことを自らも悟り、枕辺の2名の医師も認めた。私の死期の近いのを知った。

 暁星の田川神父様が訪問してくださった。私は総告解をさせていただき、終油の秘跡をさずかった。私は心がすっかり洗われたのを自覚した。この世を去り、肉体から解放されることを考えると嬉しかった。秋晴れのいい真昼であった。私は昏睡から覚めて創を押さえている富田医師の手の下から空を見上げていた。

 光りつつ 秋空高く 消えにけり

 筆を借りてこう紙に書いて幼児に手渡した。そうしてまた昏睡に陥った。胸苦しくなって目が覚めたらシェーンストークの呼吸に変わっていた。これは呼吸が迫って幾つか起こったあと、長く、長く伸びるのを繰り返すもので、この型の呼吸になったらあと幾時間も生きるものではない。脉を触ってみると細く弱く結滞しがちである。もうじきだなと思った。富田医師が注射をしてくれた。少しは楽になったが血が依然噴き出してやまない。もう体力がなくなって足を動かすこともつらい。そのうち目がほとんど見えなくなった。私は昏睡に陥ったらしかった。気がついた時は夜だったか、また夕方だったかわからないが暗かった。そうして咽喉がむやみに渇いていた。心臓のあたりが妙に苦しかった。そのうちに何か全身に痙攣が起こってきそうだった。近くで皆が祈りをしていた。幼な子のたどたどしい声がま じって聞こえた。私は生きたい、という気が起こった。しかしまた一方神様に直接お目にかかりたいという望みも強かった。唇に冷たいものが触れ、「本河内のルルドのお水だよ」と老母のささやくのが聞こえた。瞼にあのルルドのバラの花のまとい咲く岩が映り、すがすがしい聖母のお姿があざやかに見えた。そうしてどうしたわけでか、マキシミリアン・コルベ神父様のお取り次ぎを願えという声が聞こえたようであった。私の心は従順にそれに従った。その時まったく幼児のような単純な心であった。私は「思し召しのままに委ね奉る」と祈って口を開いた。水車から水がこぼれるような滑らかな感覚で、ルルドのお水が、私の死につつある身体に流れ入るのを知った。そうしてそのまま私はまた昏睡に陥ってしまった。

 「あら、血が止まっているよ」

 森田看護婦が叫んだ。

 「あら、不思議」

 富田医師がつぶやいた。

 まさに血はぴったりと止まったのであった。二人の医師と、本人の私を加えて3名の医師が、専門家の知恵の限りを尽くしても止めることができず、まさに臨終の迫っていた時にルルドのお水をいただくことによって、ぴったりと出血が止まったのである。そうしてそのまま何の手当もしないのに、血は出ず、創がどんどん治ってしまって、瘢痕も分からぬくらいの小さなものを残したにすぎない。

 罪深い私は尊き奇跡の起こるほどの潔き身体をもっていない。しかしこの奇怪な現象は私の知恵をもってしては解釈できないのである。奇跡とはとうとい現象であるから、軽率に名付けてはならない。けれども幼児は物を知らぬがゆえに万一誤っていたとしても、憐れみ深き聖母はお咎めにならぬであろう。私は聖母の光栄のために、これが奇跡であろうと信ずるものである。

聖母の騎士 1946年12月号より一部掲載  長崎県長崎市・本河内ルルド

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