日本と対戦したパナマMFアヤルサの過去が壮絶すぎた

14日に日本代表、17日にアメリカ代表と戦ったパナマ代表、チームは2連敗となってしまった。結果こそ残せなかったが、その中で遅咲きながらスタメンに定着しつつある選手がいる。日本戦にもスタメン出場したMFアブディエル・アヤルサだ。

185cm(一説には190cmとも)で細身のセントラルMFは1992年生まれの28歳ながら10月まで代表4試合2ゴールとまだまだ代表では新参者だ。

現在はペルーのシエンシアーノでプレーするMFだが、そこに行きつくまでには日本人から見ると辛すぎる…といってもよい過去があった。今回は『Prensa』などからアヤルサの自伝を紹介する。

父親が投獄…そして

7人兄弟の真ん中というアヤルサだが、父親が11歳の時に投獄され以降兄弟は(1部叔母に引き取られたため)離れ離れで暮らしたという。近所にあるゴールデンボーイというチームで育った後に16歳で下部リーグのコロンC3と契約、23歳まで7年間プレーした。

当時の給与は35ドル(約4000円)でサッカーだけでは食べていけないために水タンクを運んだり、建設業をしながらサッカーをしていたという。運河の拡張や掘削などの仕事に従事、夜も働いていたためサッカーの練習は朝方だけということもあったそうだ。

3時間かけて練習に参加

転機が訪れたのは23歳の時、はじめてパナマ1部のサンタ・ヘマというチームと契約したことだ。

当時、午前3時に起きて、バス、タクシー、フェリーを乗り継ぎ3時間かけて練習に通っていたという。

ところが、サンタ・ヘマは財政難に陥る。2018年にアヤルサはCAIへ移籍することになったが、サンタ・ヘマはその後2019年5月に破産をしている。

フラン・ペルロとの出会い

CAIで出会ったのがフラン・ペルロ監督である。ペルロという監督はイタリア系ベネズエラ人で国内のバレンシアのユースでプレーしていたがサッカー選手にはなれず17歳で指導者の道に進んだという。国内の育成年代で指導にかかわった後、2015年からパナマの下部で監督をしており、2018年にCAIのU-17の監督になっていたが、2019年1月にCAIの監督に昇格をしている。

パナマ下部時代にコスタデルエステという若いチームを前期リーグのチャンピオンに輝かせており、CAIでも2018-19シーズンの後期リーグにパナマリーグをいきなり制している。その時32歳、もちろんベネズエラ人監督がパナマリーグで優勝したのは初のことである。

チャンピオンになれば当然CONCACAFチャンピオンズリーグにも出場する。2019年のCONCACAFチャンピオンズリーグではパナマのチームでありながら準々決勝まで進出する快挙を成し遂げた。

アヤルサもチームの主軸として活躍して同年夏ペルーのシエンシアーノへ移籍することになった。

エナジードリンクとオレンジとバナナしかない

パナマのCAIでプレーしたことによって財政的には改善されていたアヤルサだがペルーでは最初エナジードリンクとオレンジとバナナしか持っておらずパンをチームメイトと交換したりしてしのいでいたという。

だが、デビュー戦でつまづいてしまう。2020年2月のペルーリーグ(カントラオ戦)でいきなりレッドカードで退場してしまうのだ。だが、復帰となった第三節デポルティボ・リャクアバンバ戦で1得点1アシストを決め存在感を示すとここでもチームに欠かせない存在となった。

代表にも2019年10月にデビューし、日本戦では約1年間たった。とりあえず、今年まではペルーでプレーするのは確定。今後はよりステップアップをしていくかもしれない。

パナマでは下部リーグの存在が大きくなっている。

パナマ代表のような小国では通常サッカーは都市部の出身が多くパナマ市出身で幼少のころから有名なチームのユースでプレーしU-17など育成年代の代表を経験しているものが多い。

ところが、近年パナマではアヤルサほどではないにしても下部リーグからキャリアをスタートしたものが代表に定着するケースが増えている。『tv-max』は「下部リーグはナショナルチームの温床」と最大限の賛辞を送っており、小国らしからぬ下部リーグ経由での育成を評価している。

日本でもJ2経由でJ1や海外に移籍するケースが増えているが、同じようなことがパナマでも起こっているのだ。

© 株式会社ファッションニュース通信社