1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その6 1984年 7月21日 伊藤銀次のアルバム「BEAT CITY」がリリースされた日

『1984年の伊藤銀次「BEAT CITY」 L.A.レコーディング事情 ~ その5』からのつづき

参加ミュージシャンのトリをかざったギタリスト、ダニー・コーチマー

1984年の僕のアルバム『BEAT CITY』は、東京の気心知れたミュージシャンがほとんど参加していないロサンゼルス(以下、 L.A.)でのレコーディング。

あたりまえだけれど、僕とキーボードの国吉良一さん以外の参加ミュージシャンはすべてアメリカ人。その素晴らしいミュージシャンたちとともに音楽を創っていると、僕が日本を立つ前に描いていたレイドバックな70年代 L.A.サウンドはすでに過去のもので、見事に80年代型に移行していることに徐々に気づいてきた。そしてその感覚をさらに明確なものとしてくれたのが、参加ミュージシャンのトリをかざった、ダニー “クーチ” コーチマーだった。

ダニー・クーチといえば、泣く子も黙る70年代 L.A.ミュージックシーンを代表する名ギタリスト。ジェームス・テイラーやキャロル・キングの作品で数々のギタープレイを聴かせてくれたことでおなじみ。僕も少なからず影響を受けた “いぶし銀” なギタリストだ。

L.A.でトップクラスのセッションマン、いよいよ登場!

そんな彼がこの『BEAT CITY』のレコーディングに参加してくれると聞いたときはとても嬉しかった反面、『BEAT CITY』を80年代型のポップミュージックにするつもりでいた僕には、ダニーの70年代でのプレイは素晴らしかったけれど、もしあの時のままだったら、きっと全体のサウンドと合わなくなるんじゃないか… との心配があったのだった。

でも大御所にすでにお願いしちゃったんだから、もし当日彼のギターが70年代風であっても、「よおし、しっかと受け止めるさ!」との覚悟で望んだのが、ダニーのギターダビングであった。

さらに当日、現地のミュージシャンの手配や調達をしてくれてる女性のロビンさんは、しきりと僕に何度も同じことを繰り返してくる。それは、ダニーが L.A.でのトップクラスのミュージシャンで、ワンセッション2時間分のギャラが破格なので、絶対に2時間を超えないでくれ… というお願い。

なんと、2時間を5分も超えたりするともうワンセッション分のギャラを取られちゃう… というのだ。げげげ! だいじょうぶかな? 予定している曲を全部録音できるだろうか? また新たな心配が加わりつつも、彼を待つスタジオに、ついにダニーがやってきてくれたのであった。

最初に録ったギターソロは「彼女のミステイク」の間奏とエンディング

「お! なんかちがう!!」僕が思い描いていたイメージと彼の様子はかなり違っていた。にこやかに握手を交わす彼は、70年代風なロングヘアーではなく、バチっとオールバックをキメて、まるでおシャレな役の時のアル・パチーノかロバート・デ・ニーロのよう。「おお、これはひょっとして、期待できるかも!」と、胸が踊った瞬間でした。

ダニーのギターダビングの1曲目は、リズムを録ってたときから、「彼女のミステイク」の間奏とエンディングのギターソロと決めていた。

曲をダニーに聴いてもらい、譜面でその箇所を確認したらいきなり「もう録ってくれ」とのダニーの指示。そこで飛び出したフレーズは、この曲のコード展開のせいもあってか、カッコいいけどかなりジャズっぽいラインのソロ。これはこれで素晴らしいソロだったけど、僕としてはもっとポップなラインがほしかった。大御所なので少しひるみつつも「もう少し「イージー・トゥ・リメンバー」なのがほしいんだけど?」とお願いしてみた。

と、普通ならここで “ちょっと待って” とか言ってフレーズを創り始めたりするものなのだけど、ダニーは即座に「OK、録ってくれ」との一言。そして出たフレーズが、いまでも「彼女のミステイク」で聴くことのできるあのメロディックで、リリカルで、ダイナミックな素晴らしいギターソロなのだ。

レイドバックは過去のもの、見事に80年代に適応していたダニー

そのフレーズがスピーカーから流れてきたあの瞬間の興奮はいまでも忘れられないね。まるで前もって曲を聞いてきて自宅で作ってきたかのような、なめらかで熟成したフレーズだったよ。

さすがトップクラス!!「愛のゆくえ」や「サマー・イン・ザ・シティー」のソロももちろん一発OKで、なんとそのあとの「インタビュー」も含めた彼の録音はみごとに2時間以内ですべて録れちゃったのだ。

終了した時、僕は「Thank you very much, Mr. Kortchmar!!」と思わず “ミスター” を付けて感謝の気持ちを告げてしまったよ。

嬉しいことに、見事に80年代に適応していたダニー。当時の活動が気になって尋ねてみたら、なんと「イーグルスのドン・ヘンリーとアルバムを創ってるよ」とのこと。そのときは思わず「へぇ~! そうなんだ!」と思ってしまうちょっと意外な感じだったけれど、その後、同1984年の秋にリリースされて大ヒットとなったドン・ヘンリーの「ボーイズ・オブ・サマー」が収録されたアルバム『ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト』がそのアルバムだと知ったときは、なんともいえず、ロスでの喜びが何倍も増した気持ちだったね。

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カタリベ: 伊藤銀次

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