噴火から30年

 その当時、小紙は夕刊を発行していた。1990年11月17日の夕刊を見ると、1面トップは「200年ぶり噴火 普賢山頂付近の2カ所」。写真では、噴煙が2本、立ち上っている▲社会面の記事には、こうある。噴火口を確かめた消防団員は「周囲の木が変色していた」。雲仙観光協会には「問い合わせの電話が相次いでいる」。温泉街は今のところ「混乱はない」…▲一体、これからどうなる? すごい勢いで噴き出す煙はなんとも不気味で、先が案じられた1日だったろう。その頃は駆け出し記者の身だったが、もっぱら驚いた記憶しかない▲それから連日、「このまま終息か、大噴火なのか」と先の読めない報道が続く。土石流が家屋を襲い、溶岩ドームが現れ、火砕流が猛スピードで山を下り、人をのみ込んだのは、翌年の5月以降のことだった▲住民は長い長い避難生活を余儀なくされた。立ち入りできない区域が設けられ、住まいや農地や働く場所を失った。終息宣言までほぼ5年半。人々はずっと悲嘆に暮れ、歯がみした▲噴火から30年の今、当時を知らない人も増えている。何が起きて、どんな痛みをもたらしたのか。生活をどうやって立て直したのか。語り継ぎ、伝えることは、大規模災害の絶えない今に生かせる営みだろう。昔語りに終わらせまい。(徹)

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