ルポ 川辺川ダム水没予定地(熊本) 「もう振り回されたくない」

川辺川ダム建設による水没予定地周辺。村の中心地は高台の代替地に移り、水没するかつての中心地にはグランピング施設が並んでいた=熊本県五木村

 10月下旬。熊本市内のホテルの会議室。正面に設置されたスクリーンには、熊本県庁で開かれている「球磨川流域治水協議会」の会場の映像が流れていた。平日の夕方とあって、傍聴者は数人。会議では流域全体で「流域治水」を推進していくことが確認された。
 終了後、会議室を後にする男性に声を掛けた。川辺川ダムの水没予定地を抱える同県五木村に暮らす早田吉臣さん(59)。ダム事業に翻弄(ほんろう)され続ける小さな村の姿を幼いころから見てきたという。
 「ダム建設には賛成ですか、反対ですか」
 記者の問いに答えた。
 「造るにしても造らないにしても早く決断をしてほしい。もう振り回されたくないというのが村民の本音ではないでしょうか」。そう話すと軽く会釈をし、足早に立ち去った。

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 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業は、全用地の明け渡し期限から18日で1年となる。予定地には今も13世帯約50人が住み続けている。石木ダムと川辺川ダム。規模や地形などが異なり、ダムの是非論を同列に論じることは難しいが、長年事業に翻弄されてきた住民の姿は重なる。「早く決断を」。その言葉の背景を知りたくて、後日、五木村を訪ねた。

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 11月10日。島原港からフェリーで熊本港に渡り、そこから1時間半ほど、車を走らせた。山道を抜け、大きな橋の先に開けた熊本県五木村の集落。その入り口付近に早田吉臣さんが経営する商店とガソリンスタンドはあった。
 早速、ダム本体の建設予定地に向かった。場所は五木村に隣接する相良村。角度のある山々の間を川辺川が流れている。ダムを造るには「理想的な地形」で、本体予定地付近の数軒はすでに村内移転したという。
 車窓から川沿いを走る途切れた道路が見えた。ダム建設に伴う付け替え道路だが、2008年のダム計画の「白紙撤回」を受け、道路工事もストップ。住民は開通を求めたが、今もつながっていない。
 球磨川流域は1963(昭和38)年から3年連続で豪雨被害に遭った。そこに持ち上がったのが川辺川ダム計画だ。66年に国が発表し、五木村は当初、村を挙げて計画に反対。その後、補償金や振興策と引き換えに容認に移っていった歴史がある。
 ダム建設に賛成、反対、中立だけでなく、水没地と非水没地という立場によっても意見は割れた。補償金などを巡り、親子やきょうだい間でもめる家庭もあったといい、ダム事業は人間関係をも翻弄(ほんろう)していた。

■深刻な過疎化

 水没予定地に立った。かつての中心部、頭地地区。早田さんの実家もここにあった。「昔はあそこに学校があって」。その指の先は更地になっていた。透き通った水が流れる川辺川沿いには、振興策の一環としてグランピング施設が建てられていた。
 水没予定地の移転対象は約500世帯。81年から移転が始まり、村内に複数の代替地も造成されたが、約7割は離村した。60年代には6千人超だった人口は急激に減り、現在は千人ほど。過疎化は深刻だ。高台に移った新しい頭地地区には、道の駅や立派な木造家屋が立ち並ぶも人影はまばらだった。
 村の議員でもある早田さんはそんな現状を憂う。判断が何度も変わって事業が長引くことは、村にとって「不幸だ」。だから「早い決断」を求めている。
 ダム事業によって道路が整備され、村外からのアクセス向上など「メリットもあった」。そう話すのは、同地区に暮らす北原束さん(84)。7月豪雨で氾濫した球磨川下流域の甚大な被害を念頭に「ダムは必要」だとする。
 国は10月、川辺川ダムがあれば下流の人吉市など浸水被害が「約6割減少した」との推定を公表した。日本一の清流を守りたいと建設に反対する声が多く上がっている現状を北原さんは冷静にみている。
 「民意ばかりではなく、災害被害という現実に目を向け、政治判断をするしかない。村民にとって清流は誇り。でも人命が一番だ」

■スクラップ帳

これまでの新聞記事を手にダムを巡る村の動きを説明する佐藤さん=熊本県五木村

 石木ダムも同様、公共事業を巡り「公共の福祉」と「基本的人権」が衝突する場面は多々ある。「古里で生きたいという思いは重い。それを奪おうとするならば受益者は水没地の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべき」。かつて村の小・中学校の校長だった佐藤正忠さん(81)は、そう話した。
 自身も水没予定地から移転した一人。ダム計画が発表された当時からの新聞記事のスクラップ帳は100冊を超え、混迷の深さを物語る。ダムには反対の立場だが、今は大っぴらに声を上げたくはないという。ダムによって地域にもたらされた「分断」。それを再び繰り返したくないという本音が透けてみえた。
 その日の晩、非水没地にある食事処(どころ)に入り、清流で育ったヤマメの塩焼きを味わった。オーナーの田中加代子さん(60)は「水没予定地の人たちと立場が違う」とした上で「村は(ダム建設で)清流を失うことでさらに衰退していく」と不安を口にした。
 五木村を訪問した翌日。熊本県がダム建設容認に方針転換したとするニュースが報じられた。「脱ダム」の象徴だった川辺川ダムの動きは、石木ダム建設予定地の住民の目にはどう映ったのだろうか-。
 住民の一人は「あっちは(水没予定地の)住民が移転していて状況が違う。ただ、ダムの治水効果は限定的で造る前に(下流域の)住宅のかさ上げなど先にやるべきことはあると思う」と話した。


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