セオリーは「ただの言い訳」 広島OB高橋慶彦氏が長嶋茂雄氏から学んだ考え

広島などで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】

高橋慶彦氏は広島時代に33試合連続安打を記録

33試合連続安打のNPB記録保持者で、1970年代中盤から80年代にかけて広島の黄金時代にレギュラー遊撃手としてプレーした高橋慶彦氏。リードオフマンとして活躍した裏には「初球から行く」というポリシーがあった。一方で後続打者のため、相手投手にボールを多く投げさせることが1番打者のセオリーという声もある。だが高橋氏は「セオリーはただの言い訳」と一蹴する。

以前、高橋氏に1979年の広島-近鉄の日本シリーズ第7戦“江夏の21球”に関するインタビューをした時のこと。4-3、広島1点リードの9回裏、無死満塁。近鉄は代打の佐々木恭介氏がファーストストライクを見逃した後、空振り三振に倒れた。その場面について、遊撃手として出場していた高橋氏は「1つ目のアウトで空気が変わった」と言及した。イケイケムードだったベンチは意気消沈。広島へ流れが一気に傾き、そこから江夏氏の力投で広島が悲願の日本一を達成した。

その後、1991年に高橋氏は阪神でプレーすることになるのだが、佐々木氏も阪神の1軍打撃コーチになるなど運命は交錯した。佐々木氏は打者に対して、初球から積極的に打っていくよう、ファーストストライクの重要性を強く説いていたという。

「佐々木さんはあの時(江夏の21球)のことが残っていたのかもしれないね。でも、俺は初球から打つタイプの打者だった。前から、なんでみんな(初球から)手を出していかないのかと思っていた。それはタイミングが合わないからなんだよね」

バッティングで最も大事なことはタイミングと考えている。そのために投手とのタイミングが取りやすい、すり足気味のフォームで対応してきた。

「一球目が一番、ボールが甘いんだよね。タイミングさえ合えば、はじめから振りに行かないともったいない。外から見て『速いな』と思う投手でも、打席に入ったら、そう感じないこともある。タイミングがあってないと速く見えるんだ」

巨人・長嶋茂雄監督(当時)から受けた衝撃、怪我明けの原辰徳が…

広島不動の1番打者として活躍する人気選手だったが、広島市民球場ではカープファンからヤジを飛ばされたこともあった。

「『ヨシヒコー、初球打つなよ、打って凡退するなよー』って聞こえてくる。それでアウトになったら『だから言っただろう!』って(笑)。でも一番甘いのが初球だから、俺は打ちにいった」

先頭打者の役割として、次の打者たちへ投手の球筋を見せるという“セオリー”もあると聞く。しかし、高橋氏の打撃理論にそれは当てはまらない。

「だって最初のストライクを見逃したら、追い込まれて、どんどんどんどん打てる確率は下がっていくだけ。ヒットを打つ確率は下がる。次のバッターにボールを見せろと言うけれど、その打者がタイミングが合っていなかったら、意味はない。その前に、ピッチングしてる時にタイミングを合わせていればいい話。ツーストライクまで『待て』だったら、かわいそう。打つのは一球だけ。一番、甘い球を打つっていうのがヒットになりやすい」

セオリーという言葉は難しい。野球における定説と受け取れる部分もあるが、時代によって野球は変化し、人によって能力や感覚は異なる。ひとつの枠に収めることはできない。

「あくまで俺の考えだけど、セオリーは結果が出なかった時の言い訳。みんな、『セオリー、セオリー』って言うけれども、痛感させられたのは長嶋茂雄さんだよね」

ミスターが巨人の監督時代のことだった。ラジオの解説者として球場で試合を見ていた高橋氏は、その試合で怪我から復帰したばかりの原辰徳氏(現巨人監督)を4番に据えた打順について話をした。高橋氏は4番に起用することは想定外、セオリーに反するのではないかという解説を電波に乗せた。

「僕が監督だったら、4番に入れないけどなぁ…と思っていたら、原さんがホームランを打って、勝った。普通の考えとは違っても、長嶋さんは自分のしたい、考えた通りにした。それでセオリーっていうのは、はまらなかった時に使う、ただの言い訳なんだなと思うようになった」

現代の野球では初回無死一塁で2番打者の送りバントがセオリーではなくなった。相手の投手の出来や、チーム状況によって、強行策をとる。ヤンキースのアーロン・ジャッジに代表されるように、2番打者にスラッガーを置くメジャーの野球も浸透してきた。高橋氏はセオリーにとらわれない野球の申し子だったから、いくつもの記録と、ファンの記憶に残るプレーが生まれたのだった。(Full-Count編集部)

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