オフコース流AORの到達点、アルバム「We are」はロックである! 1980年 11月21日 オフコースのアルバム「We are」がリリースされた日

オフコース初のナンバーワンアルバム「We are」

40年前の1980年2月、オフコース初のトップ10ヒットシングル「さよなら」はオリコンで2週連続2位を記録した。そして1枚おいて6月にリリースされた「Yes-No」もオリコンで再びトップ10入りし3週連続8位をマーク。オフコースの本格的なブレイクはオリジナルアルバムを残すだけとなった。

1980年11月21日、オフコース1年1か月振りのオリジナルアルバム『We are』がリリースされた。前年1979年10月リリースの『Three and Two』は正式に5人になったオフコース初のオリジナルアルバムでオリコン最高2位を記録したが、それに続く『We are』は遂にオフコースに初のオリコン週間1位をもたらし、4週その座を保った(1週+3週連続)。

そして『We are』は、間違い無くオフコースの、引いては日本のAORの到達点のひとつとなったのである。

時を超えた名曲、オープニング曲「時に愛は」

アルバムは、この後12月1日にシングルカットされる小田和正の曲「時に愛は」で始まる。

イントロからして音圧が高く、個々の楽器が立っている。このアルバムのミックスを手掛けたのはビル・シュネー。スティーリー・ダンとの仕事で1978年と80年の2回グラミー賞の最優秀録音賞を獲得した、シカゴやホイットニー・ヒューストン等との仕事でも名を馳せた大物である。小田和正がボズ・スキャッグスのアルバムで名前を見かけたのが起用のきっかけだった。当時はまだ外国人によるミックスは極めて珍しかったのである。

結果生まれたのは音の空間も上手く生かしたクリアかつラウドなバンドサウンドだった。小田曰く

「“愛” というものがONとOFFを無数に繰り返す感情であることを歌った」

この歌は、間奏とアウトロで鈴木康博と松尾一彦のツインギターをフィーチャーしていて、十分ロックしている。当時評された女々しいなどという言葉では片付けられない熱さを有している。これぞオフコース流AORではないだろうか。

2番冒頭の「街はもうたそがれて 風は髪を揺らす …… あの頃より…… 愛しているみたい」の1つめの “……” で1小節歌がブレイクし、代わりに清水仁のベースが唸る箇所にも舌を巻く。はたと立ち止まること必至。これもオフコース流AORなのか。

「時に愛は」は1989年の4人オフコースの最後のコンサートでも歌われ、その後も近年まで小田和正がソロで歌い繋ぎ、再録もしている。

骨のある歌詞、高らかな決意表明「僕等の時代」

続く2曲めは、シングル「時に愛は」のB面でもあった「僕等の時代」。やはり小田作のこの曲は前曲から一転、従来のオフコースに近いアコースティックでソフトな音作りになっている。メロディも同様に優しい。しかしながらその歌詞は堂々たる決意表明になっているのだ。

 もうそれ以上 そこに立ち止まらないで
 僕等の時代が 少しずつ今も動いている

過去は振り返らず前を向いて進んでいこうという歌詞なのだが、2番冒頭、はっとする歌詞が現れる

 あなたの時代が終ったわけでなく
 あなたが僕たちと 歩こうとしないだけ

上の世代に向けた結構なアジテーションである。励ましとも取れなくはないが、同時にこれからは僕等の時代だと高らかに宣言している。清冽なメロディと小田のハイトーンヴォイス、繊細なコーラスに乗って歌われるのは結構骨のあるロックな歌詞だった。

この年、一躍シーンの最前線に躍り出たオフコースならではの自信の表れだったのだろうか。アルバム冒頭A面2曲、いずれも小田ナンバーだが、名盤を予感させる文句の無い滑り出しだ。なお、「僕等の時代」も小田がソロでも歌っている。

鈴木康博のロックンロール「一億の夜を越えて」

アルバムの5曲めと6曲め、LPでいうとA面最後の曲とB面最初の曲は鈴木康博の曲だ。

5曲めの「いくつもの星の下で」はギターソロも劇的な屈指の名バラード。鈴木本人は他のメンバーに褒められるまでこの曲に自信が無かったそうだ。

 いつもひとり くやし涙
 流してきた男のことを
 あなたに 聞かせたい
 僕のすべて 教えたい
 そばに来て

サビには小田よりもストレートな言葉が並び、ロック的だ。

そして6曲めの「一億の夜を越えて」はオフコース史上最もラウドでロックンロールしているナンバーと言って過言ではない。

 誰かが泣いた
 もう立ち上がれない
 いいさいいさ
 どんな奴でも負けたことがある

 突っ走るだけ 一億の夜を越えて
 信じるがまま 心叫ぶまま

安部光俊によるストレートで熱い歌詞が続く。鈴木ナンバーの2曲は小田ナンバーとは彩りを異にして、アルバムのレンジをぐっと広げている。見事なA面の締め方であり、B面の開け方だ。ここはLPで味わいたいところ。この2曲も今日まで鈴木がソロで歌い続けている。

アルバムを締める小田和正の3曲「Yes-No」「私の願い」「きかせて」

大ヒット曲「Yes-No」は8曲め、B面3曲めに置かれた。フリューゲルホーンのイントロが無くなり、最後にはカウベルが加えられ音はグッとシャープになった。今日でもこのシュネー・ミックスが定着している。

続く9曲め「私の願い」も小田の曲。ストレートなラヴソングにしてやはり名バラード。1989年には小田のプロデュースで鈴木雅之がカヴァーした。

やはり小田の曲「きかせて」でアルバムは終わる。男女のすれ違いをミニマムな歌詞とミニマムな音で、抑制されたテンポで歌う。オフコースAORの極致の様な1曲。ラストを飾る派手さはないが、その分余韻が強く残り、続きを意識させる。この最後の2曲も、小田はソロで歌ったことがある。このアルバムの多くの曲が、時を越えて歌われているのだ。

小田ナンバーで幕を開け、鈴木ナンバーが中盤を締め、小田ナンバーで幕を閉じる。その流れは絶妙だった。小田ナンバーが6曲、鈴木ナンバーが3曲。前作までの半々というバランスが少し変化してきたがそれぞれに強い個性を発揮した。そして世間的にロック寄りと思われていた鈴木ナンバーのみならず、小田ナンバーも随所でロックしていたのだった。

We are Off Course からの We are over…

小田も清水、大間ジロー、松尾というロック畑の3人が加わったことでオフコースがロックに変化していったことを認めている。ここにオフコースのAORはひとつの到達点を見たのである。

3曲めの鈴木の「おまえもひとり」では作詞でベースの清水が共作、7曲めの「せつなくて」はギターの松尾が作詞作曲をし、作詞ではドラムの大間も名を連ねている。前作『Three and Two』では小田と鈴木の名前しか無かったが、今作では5人全員がクレジットされたのであった。

『We are』というタイトルを冠し、その下に5人の名前を列挙したジャケットは誇らしげで、内容もそれに相応しい5人組バンドのアルバムとなった。

この1年後の次作のタイトルが『over』となり、続けて読むと “We are over(=僕たちは終わった)” となるとは一体誰が思ったであろう。

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カタリベ: 宮木宣嗣

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