長崎・五島。畑ばかりがつづく丘にどでんと、古びた赤レンガの天主堂がある。
近くに散在する軒の低い家々は、みな信者の家だ。
「明治初年、まだキリスト信者に対して迫害が加えられているころ、村に“転びキリシタン”が出てね。 まあ、すぐ信仰にもどったんだが、そんな歴史の苦しみを噛みしめて、子孫は信仰熱心になった。 いつのミサも聖堂いっぱいの人ひと、ひとですよ」 (島の神父さん)
昼さがり、畑仕事の帰りか、のどかに牛が通った。 伝統のある五島牛は、働きもので鼻息も荒い。
それでも、鼻輪綱を持った爺さんが、天主堂の前で十字を切り一礼すると、 牛はおとなしく従って、フーッ と一息入れる。
五島の教会を語るとき、迫害と貧困を避けて通るわけにはいかない。
この村・楠原では昨年の8月、迫害時代の先祖たちが牢屋から出されて100年目に当たるとして、祝った。
「信仰の自由」の尊さを記憶するため、牢屋の跡に、祈る先祖の姿を表わす像が建てられた。
「信仰ば、子や孫どもに伝えていくこつは、わしどもの務めですタイ。 実際こんなにありがたか教えはなかですよ。キリストさまば信仰しとりますと、 腹ン底から力が湧いてくっとですタイ」
牛ひく老人のことばは、自信にみちている。
カトリックグラフ 1972年11月号より掲載 長崎県五島市・楠原教会