言葉の壁超えた柳さんとジャイルズさん コロナ禍で読まれた理由、全米図書賞受賞

By 田村文

 訳者のモーガン・ジャイルズさんが泣いていた。彼女のスピーチは英語だったが「美里さん、翻訳させていただいて誠にありがとうございます」という部分だけは日本語で語った。その瞬間、オンライン上で隣に映っていた作者の柳美里さんはしみじみとした笑みを浮かべ、深く頷いた。言葉の壁を2人で乗り越えた。その喜びが伝わってきた。

 米国で最も権威のある文学賞の一つ、全米図書賞が18日夜(日本時間19日朝)オンラインで発表され、翻訳文学部門で福島県南相馬市在住の作家、柳美里さんの「JR上野駅公園口」が選ばれた。(共同通信=田村文)

全米図書賞の翻訳文学部門を受賞し、書店「フルハウス」前でインタビューに応じる柳美里さん=19日、福島県南相馬市

世界に読者広げる日本人女性作家

 全米図書賞の翻訳文学部門は、作者と訳者の両者に賞が贈られる。つまり受賞者は柳さんとジャイルズさん。この賞の形が最もふさわしい2人かもしれない。

 授賞式後、日本人記者向けのオンライン会見で柳さんはジャイルズさんについて聞かれ、出会いを明かした。

 ジャイルズさんがまだ20代だった2014年2月、ロンドンの古本屋で柳さんの小説「男」を手に取ったのが全ての始まりだった。彼女は柳さんの作品を訳したいと願い、福島県の方言が混じる「JR上野公園口」の翻訳をやってのけた。一緒にロンドンのテムズ川を見ながら話をしたり、南相馬を歩いたり。「不思議なところで縁が結ばれて、一緒に歩くことになった。運命を感じます」

「JR上野駅公園口」の英語版が全米図書賞翻訳文学部門に決まり、オンライン授賞式で喜び合う訳者のモーガン・ジャイルズさん(左)と作者の柳美里さん(同賞のオンライン中継より)

 その話を聞いて、ドナルド・キーンさんのことを思い出した。キーンさんが日本文学にのめり込んだきっかけは、1940年に米国の本屋でアーサー・ウェイリー訳の「源氏物語」に出会ったことだった。

 川端康成がノーベル文学賞を受賞したとき、功績の半分は翻訳したエドワード・サイデンステッカーのものだとして、賞金を半分渡したという逸話も思い浮かんだ。日本語の小説が世界に羽ばたいていくために、翻訳者、特に英訳者の果たす役割は大きい。

 全米図書賞・翻訳文学部門の受賞は2018年、「献灯使」の多和田葉子さんに続く快挙だ。19年には小川洋子さんの「密やかな結晶」も候補に選ばれていて、3年連続の候補入りでもある。

 また、米タイム誌は20年の新刊必読書100冊に、柳さんの「JR上野駅公園口」のほか、村田沙耶香さんの「地球星人」、川上未映子さんの「夏物語」、松田青子さんの短編集「おばちゃんたちのいるところ」の英語版を選んだ。

 日本の女性作家たちが世界に読者を広げている。英語圏の読者が現代日本の女性作家たちを“発見”し始めたのだ。

ホームレスとステイホーム

 「JR上野駅公園口」はどんな物語か。

 主人公の「私」は東京・上野公園に住むホームレスの老人。福島県八沢村、現在の南相馬市出身だ。彼は家族を養うために1964年の東京五輪開催の前年、東京に向かい競技場建設に従事する。その後もずっと働きづめで生きてきた。そして人生の終盤、公園で暮らす道を選んだ。

 上野公園では、天皇家の人々が美術館や博物館を訪れる前に「山狩り」が行われる。「特別清掃」という名目で、ホームレスを追い払うのだ。「私」たちはテントをたたみ、公園の外に出なければならない。

 主人公と家族の生年や名前は、天皇制の「影」のような形で設定されている。そして物語の最後に、東日本大震災で津波の被害に遭う福島が描かれる。

全米図書賞を受賞した柳美里さんの「JR上野駅公園口」(左)と英訳版

 日本では2014年に出版。英語版が出て海外の人たちがこの本を目にしたのが、たまたま新型コロナウイルス禍にあえぐ「いま」だった。経済成長に取り残され、国家の周縁にあえぐ男の物語が、差別や格差、貧困の問題が一層深刻化して、絶望感を抱える社会と響き合ったのかもしれない。

 オンライン会見で柳さんは、「ステイホーム」という言葉に触れた。

 ―新型コロナウイルスの感染拡大の中で全世界的に「ステイホーム」といわれたけれど、ホームがない人たちのことに思いをいたした人がどれだけいたか。私は上野駅、上野公園で出会ったホームレスの方たちのことが頭に浮かびました。仮設住宅の家のことも浮かびました。私自身が必ずしも幸福ではない家庭で育ったので、ステイホームといわれたその家が、暴力が吹き荒れる家だったりするのではないかというふうにも思いました

全米図書賞の翻訳文学部門を受賞し、福島県南相馬市からオンラインで記者会見した柳美里さん=19日

南相馬の人の声が地層に

 柳さんは1968年生まれ。86年に演劇ユニット「青春五月党」を結成し、93年に「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年に小説「家族シネマ」で芥川賞を受けた。

 2011年の東日本大震災と原発事故が転機となった。翌12年から南相馬市の臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で、地元の人の話を聞く番組を始めた。約600人から話を聞いた。15年、原発事故で避難区域となった南相馬市に移住する。18年4月には、自宅を改装して書店「フルハウス」を開いた。

 オンライン記者会見では、作品が評価された理由を自らのルーツにつなげて、こう語った。

 ―私は海外では在日韓国人の作家と紹介される。母方の祖父が朝鮮戦争から逃れてきた。今は各国に難民がいるし、原発事故の避難者の中には「難民のようだ」と話す人もいた。居場所のない、寄る辺のない者の物語として読まれたのではないか

 若い頃は、自分のために書いていたが、いまは違う。自他の境界が壊れて「他者の声が流れ込んで来て」書いている。実際、この物語は、南相馬の人たちの話を聞くことによって生まれたのだ。

 ―南相馬に来て、出会った人たちの体験や声が地層となって自分の中にある。その地層の中から生まれたのが「JR上野駅公園口」。私の物語というより、南相馬の物語であり、彼らは「おらほの物語」だと言ってくださる。それがとてもうれしい

 柳さんはいま、52歳。18歳の時に「書くことを選んで」以来、一貫して「居場所のない人のために書いている」。まだいくつも書きたい小説があるという。南相馬というかけがえのない場を得て、これからどんな物語をつむいでいくのか。

 ジャイルズさんは柳さんの「8月の果て」(04年刊行)の翻訳を進めているという。

 他の翻訳家がまた、別の作家を“発見”してくれるかもしれない。日本には読まれるべき作家がまだたくさんいる。言葉の壁を超えていくだろう。

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