【社会人野球】「ミスター社会人と思っていない」トヨタ自動車の37歳・佐竹功年を支える原動力は?

トヨタ自動車・佐竹功年【写真:荒川祐史】

トヨタ自動車・佐竹は都市対抗1度、日本選手権5度チームを日本一に導いた

今年で社会人野球でのプレーが15年目を迎えたトヨタ自動車の佐竹功年(かつとし)投手。土庄(とのしょう)高、早大を経て、2006年に入社。都市対抗野球で1度、日本選手権で5度、チームを日本一に導き、37歳になった今も投げ続けている。そんなミスター社会人の原動力とは何なのか。11月に開催される都市対抗野球を前に、話を聞いた。

169センチ、72キロ。決して体格に恵まれていたわけではない。4年間で27試合4勝4敗、防御率1.80の成績を残した早大からプロに進むことはできなかったが、佐竹はトヨタ自動車入社後も努力を重ね、150キロの直球が投げられるまでに進化してきた。そして制球力を上げ、変化球も自在に操る。年齢を重ね、佐竹と対戦したことのある打者も増えてきたが、相手が分かっていても打てないレベルの高さを、ベテランになった今も維持し続けている。

「この年までできているのは、周りに恵まれたからだと思います。僕は大学の時からストライクを取るのに苦労していた投手でした。でも、トヨタ自動車で、試合で投げていた他の投手がプロにいったから残れたのもある。彼らがプロに行かずに残っていたら、もっと早くクビになっていたと思う。そういう運もあったし、根気よく使ってもらって、結果が出せるようになって今があると思います」

香川県の小豆島出身。「人口2万人弱の島から、身長169センチのプロ野球選手が誕生すれば、島の知名度も上がるし、世の中にたくさんいる身長の低い選手たちにも勇気を与えられる」。それが、大学時代、佐竹がプロに行きたかった理由だ。

「プロに行きたいとは漠然と思っていたが、プロでできる自信がなかった。だから自信が付いたらいきたいと思っていた。でも、周りの選手よりも、何が何でもプロにいきたいという気持ちはなかった。客観的に見て、そういう選手がプロにいくと感じていたが、自分はそこまでにはなれなかった」

早大からは、錚々たるメンバーがプロ入りしていった。02年ドラフトでは和田毅投手が自由獲得枠でソフトバンクに入団。03年ドラフトでは鳥谷敬内野手が自由獲得枠で阪神、比嘉寿光内野手で3位で広島、青木宣親外野手が4位でヤクルト、由田慎太郎外野手が8位でオリックスに入った。04年ドラフトでは田中浩康内野手が自由獲得枠でヤクルトに入団。そして05年ドラフトでは同期の武内晋一内野手がヤクルトから大学・社会人1位、越智大祐投手が巨人から同4位で指名された。そんな面々と比べ、佐竹は力の差を感じていたのだという。

「和田さん、鳥谷さん、青木さんらと一緒に野球をやったが、僕とは全然違った。一番試合に出ているのに、一番練習していた。こういうレベルの人たちがプロで大成して、億を稼ぐんだと思った。自分はそこまで強くないし、そこまでできない。プロに行けたとしても、周りからプロ野球選手だと認められるような選手にはなれないなと思った」

早大の同級生は元巨人・越智、元ヤクルト・武内「一番長く野球をやろうと思った」

そんな佐竹が、社会人になってから更なる成長を遂げることができたのは、制球力が上がったから。そして、その要因は、メンタル面の強化にあったという。

「僕の場合は精神的な面が大きくて、メンタルトレーニングをすることで、マウンドでも前向きになれるようになり、制球がよくなったことで自信がついた。コントロールが悪かったので、コントロールさえ良くなれば、と考えていた。プロにいった投手にもここだけは負けない、というのがないとダメだとずっと思っていたんです」

自信を持てるようになったのは26、27歳。「若い時はマウンドに上がるのが怖かったし、1球投げるまでビビっていた」。だが、都市対抗野球でも結果が伴うようになり、自信がついたことで、徐々に成績も良くなっていった。

入社2年目の2007年に日本選手権で初優勝。その後も2008年、10年、14年、17年と5度の優勝を成し遂げた。そして2016年には主将として都市対抗野球でも悲願の初優勝。日立製作所との決勝の舞台では、11奪三振で完封。喜びの涙を流した。「一番嬉しかったのは2大大会初優勝となった日本選手権の最初の優勝。都市対抗野球の時は、嬉しさよりもホッとした気持ちでした。日本選手権ばかり優勝して、都市対抗野球で勝てていなかったので、やっと会社の人に認めてもらえるかなと思った」。

佐竹には、早大を卒業した時に立てた1つの目標があった。「大学でドラフトにかからなかった。その時、同期がプロに2人、社会人に僕を含めて3人が進んだんですが、この5人の中で一番長く野球をやろうと思った。プロにはいけなかったけど、プロにいった選手よりも本気の野球を長くやることで、この道が正解だったと思いたかった。自己肯定の意味もあった」。巨人の越智は2014年、ヤクルトの武内は2018年に現役を引退。社会人に進んだ3人も各チームの主力として活躍し、全員が社会人日本代表にも選ばれたが、ほかの2人はすでに引退。今も現役を続けているのは佐竹1人になった。

では、佐竹が長年続けてきた社会人野球の魅力とは何なのか。佐竹は「こんな面白い野球はない。ヒリヒリ感です」と即答した。リーグ戦ではない、一発勝負の社会人野球。会社の名前を背負って戦い、敗れればそこで終わりだ。

「負けて会社にいけない緊張感がある。もちろん負けても皆さん温かく迎えてくれるんですけど、これだけ自由に野球をやらせてもらっている中で、申し訳ない気持ちになる。プレッシャーを感じつつ野球をやるのはなかなか他のカテゴリーではない。レベルはプロのほうが間違いなく高いですが、個人の部分が大きいプロ野球では、チームが負けても自分が3冠王を取れば成功になる。でも、社会人はそうはいかない」

負ければ後がないため、次戦に先発予定だった投手が、更なる失点を避けるために、急きょビハインドの試合でリリーフとして投げなければならない時もある。だが、それは社会人では当たり前。佐竹は「プロの人は驚くかもしれませんが、僕らはむしろありがたい。意気に感じてマウンドに上がっています」と明かす。

現役引退は「いらないと言われた時にやめるのが誠意。自分から辞めることはしない」

ここ数年は、チームの状況に応じて、先発と抑えを兼任している。「若手が出て勝っている時はそれでいい。劣勢になったり、アクシデントの時に僕ら(ベテラン)が出て流れを取り戻してしのぐ。それで勝って次の試合に若手が出れば、チームとして成長できる。でも、負ければそこで終わってしまう。三振とか失敗をして取り返すチャンスがないと、若手は自信を失ったまま、そこで終わってしまう。僕らも若い時は何回も失敗しながら、先輩たちに助けてもらった。今は逆に助ける番です」。

「個人の成績には興味ないんです」と話す佐竹。「ミスター社会人」と言われることについても「光栄なことだし、ありがたいですが、自分ではミスター社会人だとは思っていない。それよりも『トヨタ自動車は名門になったな』と言われる方が嬉しいですね」と、愛社精神たっぷりだ。

そして、ユニホームを脱ぐのは「チームからいらないと言われた時」と決めている。自ら引退するつもりはないのだという。

「野球でトヨタ自動車に就職させてもらったので、いらないと言われた時にやめるのが誠意。自分から辞めることはしない。会社員なので、自分で決められることでもないですし、チームとしてまだ必要としてもらえるなら続ける。でも、チームの決定に逆らうつもりはないですし、そうなっても後悔しないようにと思ってやっています」

日本選手権、都市対抗野球の2大大会を既に制した今、目指しているのはチームを常勝軍団にし、「名門」の仲間入りを果たすことだ。昨年の都市対抗野球では準優勝。2016年以来2度目の優勝を狙う今年は、勝ち進めば2回戦で、昨年決勝で敗れたJFE東日本と再び対戦する。

9月に行われた都市対抗野球の東海地区2次予選では、ジャイプロジェクト戦に先発したが、左もも裏の肉離れで2回途中で降板。だが、すでにブルペン投球を再開しており、本大会に向けてギアを上げている。「足はもう痛みはない。あとは恐怖心に勝てるかどうか。ゆっくりはしてられないが、焦らずに準備したい」と、表情は明るい。

「社会人野球をやっている人たちは都市対抗の決勝の舞台を目指してやっている。去年準優勝したので2年目以上の選手はあの舞台を知っているが、1年目の選手はまだ知らない。僕が初めて決勝に行った時に、こんなに楽しいところなのかと感じた。高校生でいう甲子園みたいなもの。その雰囲気を味わってほしい。そこまで行ったら楽しむだけ。決勝で出せる力を出したいですね」

チーム最年長の36歳。トヨタ自動車の精神的支柱を担う佐竹の野球人生に、まだまだ終わりはない。(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

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