高麗駅 歴史を感じる散歩道【駅ぶら04】西武池袋線

※2020年6月撮影

トップ画像は、西武池袋線高麗駅前に立つ大きな将軍標、韓国の村落などに置かれる魔除けの境界標です。高麗駅から徒歩45分(約3km)の高麗神社に由来しているそうです。西武電車フェスタの帰りに住宅街から高麗駅を遠望した時に初めて見ました。韓国の魔除けとは知らなかったので、不思議な呪い(まじない)の護符という印象でした。高麗は歴史的には8世紀に朝廷が朝鮮半島の高句麗が亡んだことにより渡来した人々を集めて高麗郡を設置したことに始まっています。

実際に高麗駅改札口の外から駅前広場を見ると、この様な感じです。右は高麗駅売店。

※2020年6月撮影

食堂は休業中。コロナ・ウィルス流行の影響でしょうか。

※2020年6月撮影

西武池袋線のガードをくぐって北に進み国道299号線を西に進むと駅から5分ほどで「高麗村石器時代住居跡」があります。

※2020年6月撮影

「国指定史跡 高麗村石器時代住居跡」と書かれています。

※2020年6月撮影

国道から10m程で囲われた住居跡が見えてきます。

※2020年6月撮影

少し高台に上ります。

※2020年6月撮影

案内板を読みましたが、要は1929年(昭和4年)に発掘調査された縄文時代中期の竪穴式住居跡ということです。その後の調査で住居跡38軒、土礦19基や石器、縄文土器など多くの品々が出土しました。昭和26年(1951年)に国の指定史跡になっています。

※2020年6月撮影

遺構を見ても特に印象的なものはありません。

※2020年6月撮影

それよりも、縄文時代自体が気の遠くなる様な長い期間に渡っていることでアタマがボンヤリしてしまいます。概ね紀元前1万4千年頃から前10世紀と言われても想像の外です。メソポタミアやエジプト、北京の文明よりもはるかに前。夕陽を浴びてしばらく放心してしまいました。

気を取り直して駅の方に戻ります。

※2020年6月撮影

巾着田の方を目指して歩いています。道案内がありました。

※2020年6月撮影

案内の横は「台の高札場跡」です。

※2020年6月撮影

写真左下の説明板には『江戸時代に幕府が定めた法度や覚書などを書き記した板札を村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りが多く、目に触れやすい場所に掲示していました。板札は人々を見下ろすように高く掲げられ、この掲示施設を高札場といいます。この高札には「キリスト教は禁止されているが、信仰する者を届出た者には褒美を上げよう。しかし、隠したりした場合は、名主、五人組にも罰を与える。」と切支丹禁制に関わる内容が記されています。この高札場は、昭和60年に復元されたものです。 平成16年 日高市』と書かれています。

高麗はなかなかディープで面白いです。まだまだ散歩は続きます

(写真・文章/住田至朗)

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