米兵の姿に憎しみなかった 史実伝え、友好願う 諫早の有志が追悼の会 多良岳上空でゼロ戦と交戦 B29残骸を収容した森さんら

米B29鎮魂碑(左上)の下で語り合う森さん(左)と犬尾さん=諫早市小長井町

 太平洋戦争中、多良岳上空で交戦し、墜落した米B29爆撃機と旧日本軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の搭乗員を追悼する会が21日、諫早市小長井町の鎮魂碑と高来町の追悼碑の前でそれぞれあった。小長井町沖でB29の残骸を収容した同町の森春義さん(91)ら参列者は戦後75年の節目に、戦争のない世界と日米友好を胸に刻んだ。
 森さんは同町生まれ。当時、大村海軍航空廠(しょう)で戦闘機の整備に従事。古里の小長井町沖でB29が墜落したことを聞き、引き揚げ作業を志願した。海に浮かんだ大きな垂直尾翼、引き揚げられた米兵の遺体を目の当たりにし、「あれだけ鬼畜米英と教育を受けてきたのに、母国から離れた地で命を落とした米兵の姿を見て、憎しみはなかった。でも、つらいという感情を持つことすらいけないと思っていた」と振り返る。
 この史実を調べてきた市民有志の一人、犬尾博治さんの資料などによると、B29は坂本幹彦中尉=当時(21)、戦死後、少佐に昇進=のゼロ戦の体当たりを受けたとされ、小長井町沖に墜落、搭乗員11人全員が死亡。坂本中尉のゼロ戦も飛散し、1945年1月、高来町の山中で遺体が見つかった。
 犬尾さんらは92年、同町に坂本少佐の慰霊碑を、小長井町の住民が93年、同町にB29搭乗員の鎮魂碑をそれぞれ建立。その後、有志が定期的に追悼式を開き、戦後75年の今回は約10人が参列。森さんは「戦争中、この町で起きたことを忘れず、伝え続けることが大事」と話し、鎮魂碑にウイスキーをかけ、手を合わせた。

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