メクル第506号 声優、ナレーター・立木文彦さん 子ども時代の気持ち大切に

ナレーションでも活躍。「表現者として、よりよいものを目指しています」=東京都内(大沢事務所提供)

 声優(せいゆう)として、五島を舞台(ぶたい)にしたアニメ「ばらかもん」の教頭役を演(えん)じ、バラエティー番組「世界の果てまでイッテQ!」のナレーションなどでも活躍(かつやく)する、五島市出身の立木文彦(たちきふみひこ)さんにメッセージを寄(よ)せてもらいました。

 友達からは「のぼせもん」だったと言われる子ども時代。面白いことが大好きで、小中学校の時は、仲間と冗談(じょうだん)ばかり言い合っていました。
 高1の頃(ころ)だったでしょうか、親戚(しんせき)のおばさんが「ふみ坊(ぼう)、いい声しとるね」と言ってくれて、初めてそこで自分の声に興味(きょうみ)を持ちました。声を使う仕事があるのかなと「声優科」がある映像(えいぞう)の専門(せんもん)学校を見つけ、高校卒業後に上京しました。
 学校での2年間で声優としての基礎(きそ)を学びました。基本の発声方法だけでなく、アマチュアとして舞台を経験(けいけん)しました。舞台ではマイクを使えなかったので、大きく声を張(は)らなくてはいけません。もともと喉(のど)が強い方ですが、声を張る時の出し方などはここでの経験も生きていると思います。
 通常(つうじょう)は声の仕事をする上で方言は支障(ししょう)があるので、標準語(ひょうじゅんご)の練習もしました。でも長崎弁(べん)は失いたくないので、ずっと心の中に大事に取っています。方言を言うキャラクターの仕事がくることもありますしね。
 卒業後はスタジオ見学を重ねました。当時はオーディションで役をつかむのは特に難(むずか)しかったんです。監督(かんとく)に自分を知ってもらうため、やる気を見せることが大切でした。
 出演者や関係者を最後に表示(ひょうじ)する「エンドクレジット」に、初めてレギュラーとして名前が出る仕事をもらったのは「聖(せい)戦士ダンバイン」というアニメです。今は若(わか)い人が多いアニメの現場ですが、当時は大先輩(せんぱい)ばかり。緊張(きんちょう)しました。セリフを間違(まちが)うなど失敗もありましたが、現場で学ぶことの濃密(のうみつ)さは学生時代の何倍もあります。失敗しないと学べないことがありますから。
 登場人物に「命を吹(ふ)き込(こ)む」ことができる。それが声優の仕事の一番の魅力(みりょく)です。マイクを前に声だけで表現(ひょうげん)するという意味では、ナレーションも同じ。声がうまく「はまった」時の喜びは何物にも代(か)え難(がた)いです。
 ただ、どんな役も完璧(かんぺき)にやり遂(と)げたと満足したことはありません。もちろん求められたものには全力で応(こた)えていますが、いつも表現者として「もっと上へ」という気持ちがあるというか。だからこそ続けています。
 仕事をする上で「自分は他の人とは全く違う」という気持ちを常(つね)に持っています。かすれてちょっとつぶれたような、一言聞いて分かってもらえる声が自分の特徴(とくちょう)です。10年以上も前の出演作を「うちの子が大好きなんです」と言ってもらうこともあって嬉(うれ)しいですね。観客や視聴者(しちょうしゃ)から反響(はんきょう)を頂(いただ)くと「次も頑張(がんば)ろう」と思います。
 自分の「人となり」を作ってくれたのは、小中高と思春期を過(す)ごした長崎です。主として東京でしかできない仕事でなかったら、今も長崎にいたかもしれません。今後、長崎や九州の作品やプロジェクトに関わっていきたいというのが夢(ゆめ)なんです。
 長崎の子どもたちには、明るくなれる「元気玉」を常に心に持っていてほしい。前向きになったらチャンスにも出合えます。どうしたら自分の進みたい道に近づけるか模索(もさく)しながら、自分を信じて行動する。今のみずみずしい感性(かんせい)を大切に、大人になっても子ども時代の気持ちを絶対(ぜったい)に失わないでほしいです。

 【プロフィール】たちき・ふみひこ 五島市出身。4月29日生まれ。大沢事務所所属(おおさわじむしょしょぞく)。主な出演作品は「エヴァンゲリオン」シリーズ(碇(いかり)ゲンドウ役)、「銀魂(ぎんたま)」シリーズ(長谷川(はせがわ)泰三(たいぞう)役)など。日本テレビ系列(けいれつ)「世界の果てまでイッテQ!」「嵐(あらし)にしやがれ」などの番組ナレーションも数多く担当(たんとう)する。

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