大リーグ制覇ドジャース・ロバーツ監督 アジア系初 後世残る偉業 第7回県人大会参加に期待【アメリカ】

 米大リーグのロサンゼルス・ドジャースが、32年ぶりにワールドシリーズのチャンピオンに輝いた。この32年間、多くの監督が就任したが、栄冠を勝ち取ることはできなかった。デーブ・ロバーツ監督自身も、ナショナル・リーグで優勝した経験はあった。しかしワールドシリーズでは、あと一歩で頂点に届かないことが、何度かあった。今回の成功の、歓喜の涙には特別なものがあったに違いない。
 ロバーツ監督は1972年の沖縄で、アフリカ系アメリカ人の父フェイモンさん(退役軍人)と、宮古出身の母(旧姓池原)栄子さんとの間に生まれた。その後、一家は米カリフォルニア州サンディエゴに移住した。ロバーツ監督はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を卒業し、99年にクリーブランド・インディアンスに入団してプロ選手のキャリアをスタートさせた。サンディエゴ・パドレスやドジャースでは俊足を生かし、外野手として活躍した。
 私は2002年にロバーツ監督と家族に会ったことがある。ロバーツ監督がドジャースの外野手に起用された時期、北米沖縄県人会のバザーに招待されて出席していた。その時、沖縄県人会から報告があり、沖縄県の民間大使に任命された。両親と共に、県人会の会員と一緒になって祝杯を挙げた記念すべき日でもあった。
 その当時、沖縄県庁勤務だった仲里和之さんの姿もあった。仲里さんは沖縄県国際交流・人材育成財団派遣の海外国費留学生として、USC(南カリフォルニア大学)の修士課程で公共政策を学んでいた。ロバーツ監督に会えたことを、非常に喜んでいたことを鮮明に覚えている。仲里さんは、今回のロバーツ監督の偉業をSNSで発信した。
 ロバーツ監督の偉業は初のアジア系、初の日系人、2人目の黒人メジャーリーグ監督など、後世に長く記録されることは間違いない。ロバーツ監督は、第6回世界のウチナーンチュ大会でビデオメッセージを寄せ、会場を盛り上げた。第7回大会にも参加することを期待している。
 (当銘貞夫ロサンゼルス通信員)

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