昭和33年の西鉄奇跡の逆転V③ 舞台裏で交わされた名セリフ

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西鉄・中西太(左)と稲尾和久

【越智正典 ネット裏】「エブリシング・シュッド・ハップン」。巨人誕生のきっかけとなった昭和9年の日米野球が終わり、帰国するときに全米軍監督、コニー・マックが巨人軍総監督、市岡忠男にはなむけのコトバを贈っている。

後楽園球場に戻った33年の巨人西鉄日本シリーズ第6戦は巨人の藤田元司、西鉄稲尾和久の先発で始まった。

1回表、西鉄の攻撃。1番高倉照幸(熊本商業)サードゴロ。2番花井悠(岐阜高校、慶応大学、日本石油)もサードゴロ。長嶋茂雄がさばいた。二死、藤田のシュートボールは鋭く、3番豊田泰光ショートゴロ。三者凡退かと思われたが、ここまでシリーズ最高殊勲選手の呼び声が高かった広岡達朗の一塁送球が右にそれた。

藤田に声をかけた内野陣が守備位置に戻った。西鉄の4番中西太が第1球を四国でいう「しばいた」。打球は左翼席上段に飛び込んだ。西鉄2対0。が、藤田は一球一球心をこめて投げ続ける。176センチ、64キロ。33年の公式戦では29勝13敗。なんと、359イニングを投げている。セの最高殊勲選手。戦いは2対0で終わった。藤田も稲尾もシリーズ5試合目の登板だった。

明日からキャンプが始まる鹿児島の宿で部屋長「鎖鎌投手」野口正明(飯塚商業、名古屋、急映、大映、25年西鉄、27年23勝12敗、最多勝)が、フトンをかぶって寝ている中西太の様子がおかしいのに気がついた。心配になった。ホームシックで泣いているのかも知れない。甲子園で騒がれた「怪童」(高松市立高松一高三塁手)の故郷は遠い。身の回りのものを詰めた二つのバッグを手拭いでしばり振り分け荷物にして、宇高連絡船で発って来たのだ。

「なんばしよる」

中西は泣いてなんかいなかった。帳場で買ったかるかんまんじゅうを食べていた。

「ハラが減ってねむれんのです」

2月1日、鹿児島鴨池球場の上空は快晴。監督三原脩が、いきなり紅白戦実施を告げた。

「1番、中西太!」

中西は大津守、島原幸雄を捉えてホームラン。野口正明が後輩若手投手に怒った。

「たかが高校生に打たれおってざまあーなか!」。登板を買って出たが、野口正明も、かるかんまんじゅうくんに、バックスクリーンに叩き込まれた。「花は花どき、咲かせどき」。三原は会心の笑みを浮かべていた。三原はそれからチーム再編成に奔走する。大津、島原の投手守備を鍛える。二人のバント守備、バント処理は傑出する。

西鉄は3月21日、春日原での対近鉄で開幕を迎える。三原は下位チームと当たるときは中西を6番に、上位とぶつかるときは7番。育てるのに周到であった。

NHKラジオが新人中西太を活写する。

「打ったあー、サードゴロ、捕った、中西太、頬っぺたをぷぅーっとふくらませて一塁送球、いい球、アウト!」

日本シリーズは巨人西鉄、ともに3勝3敗となった。第7戦が大一番になる。 =敬称略=