米社会の新たな「対立軸」鮮明に 60年ぶり カトリック系大統領登場の意味

米大統領選で不正があったと主張し抗議するトランプ大統領支持者=アリゾナ州フェニックス(ロイター=共同)

 米国は、故ジョン・F・ケネディ以来60年ぶりに、カトリック教徒の大統領を選んだ。建国以来240余年にして、2人目となる。カトリック教徒は人口の22%を占めることを踏まえると、意外かもしれない。ケネディが立候補した当時、プロテスタント勢力は警戒感をあらわにしたが、今回そのような声はなかった。

 他方、60年前は同教徒の8割がケネディを支持したものの、今回バイデン氏を支持したのは半数強(52%前後)にとどまった。これらの背景には、カトリックやプロテスタントの枠を超えた「リベラル派 対 保守派」の対立深化という新常態がある。宗教を補助線に今回の大統領選を眺めながら、米社会の変化を読み解きたい。(文明論考家、元駐バチカン大使=上野景文)

 ■古い対立軸

 60年前、プロテスタントが多数を占める米国では「ケネディが大統領になると、ホワイトハウスはローマ教皇の指示で動くことになる」と心配する人が少なくなかった。

 カトリックへの複雑な心情は、バチカンとの関係にも見られた。米国は1984年までの120年近くにわたりバチカンとの外交を棚上げしていたのだ。

 こうした中、ケネディは「政治に個人的な信仰を持ち込むことは断じてしない」「自分が忠誠を尽くすのは合衆国憲法だけである」と、国民に訴えた。

 プロテスタントが抱く警戒感こそが、カトリック系大統領の出現を長年阻んできた理由だ。

11月15日、米東部デラウェア州ウィルミントンの教会のミサに参加したバイデン前米副大統領(ゲッティ=共同)

 今回、「バイデン氏はカトリック教徒だから困る」といった声はほとんど聞かれなかった。カトリックかどうかは関心の対象にはならず、カトリック系候補の勝利を特別視することもなかった。

 「プロテスタント 対 カトリック」という対立軸が過去のものになりつつあることを端的に示している。理由として、カトリック教会が、第2バチカン公会議(1962ー65年)による歴史的大改革を経て、温和でオープンになったことが考えられる。

 ■分裂状態の米カトリック

 今回の大統領選でのカトリックの動きを振り返っておこう。  

 米カトリックは今、宗教からは距離を置こうとする「リベラル派」と、伝統的な宗教観にこだわる「保守派」に分かれている。両者は激しくせめぎ合い、勢力はほぼ拮抗している。

 リベラル派の司祭はバイデン氏を、保守派の司祭はトランプ氏を露骨に支援した。

 この結果、リベラル派の票はバイデン候補へ、保守派の票はトランプ候補に向けられた。

 米国内のカトリックが、米二大政党である民主、共和両党の境目に沿うように分裂している状況を物語る。カトリック教徒がひとつにまとまり、その8割がケネディを支持した60年前とは、隔世の感がある。

1961年1月20日、就任演説するケネディ米大統領(UPI=共同)

 なお、前回、カトリック票におけるヒラリー氏への支持が45%にとどまったことに照らせば、51ー52%がバイデン氏を支えたことは大きな変化である。

 特に、ペンシルベニアなどの激戦3州でバイデン氏が勝利できたのは、カトリック票が共和党から民主党にスウィングしたことが大きいと、カトリック系メディアは解説している。大統領選での勝利は、この3州で、カトリック票を取り込めたことが大きかったと言えるのだ。

 ■新しい対立軸

 米カトリック内部で見られたリベラル派と保守派の対立は、プロテスタントの中でも起きている。

 米社会を全体として捉えるとき、「カトリック 対 プロテスタント」という対立軸は今、両者の垣根を越えて「リベラル派 対 保守派」という新たな構図へと変貌しているのである。

 脱宗教の傾向を示すリベラル(世俗主義)派勢力の攻勢を前に、カトリック、プロテスタントの保守(伝統主義)派が連携せざるを得なくなった点も見逃せない。

 ■米国における「文明衝突」――「二つの米国」

 リベラル派と保守派の違いはどこにあるのだろうか。

 対立がより顕著なのは、中絶、LGBTを巡る問題だ。大統領選を機に一層激しさを増した。保守派の中には、中絶手術をした医師を銃弾で倒すテロ行為に及ぶ者すらいる。

 同様に根深いのは、科学を巡る対立だ。保守派の一部は、「人間は猿から進化した」という科学的知見の受容を拒否し、公立学校での進化論教育に反対している。

 ■西欧との比較

 この文明観・宗教観の対立は、決して米国に特有のものではない。西欧でも「分断」は起きている。

 ただ、米国における「文明衝突」は、西欧と比べて派手に見える。経済格差や教育格差、人種などの世俗的要素がからんでいるためだとみられる。

 他に、以下のような事情もある。

 第一に、西欧の有力国では、保守(伝統主義)派に比しリベラル(世俗主義)派が圧倒的に多い。そのため「文明対立」はおとなしめである。例えば北欧では、95%が中絶の権利を認めており、保守派の声はか細い。

 これに対し、米国では、両勢力がほぼ拮抗しているため、「衝突」のエネルギーが大きい。それに、米国の保守派は、西欧に比し、はるかに元気で声が大きい。

 第二に、米国では、「文明衝突」は、中絶やLGBTといった問題を含め、しばしば政治色を帯びる。政治はしばしば宗教に手を突っ込む。米国が今なお「宗教国家」と言われるゆえんだ。

 このように、米国は伝統主義(保守)と世俗主義(リベラル)という二つの顔(文明観)を持ち、しかも「衝突」を繰り返している。この「文明衝突」に目を向けない限り、米社会の現状を見誤る。

 ■教皇とバイデン氏 

 ところで、60年ぶりとなったカトリック教徒の大統領就任を、バチカンは、どう受け止めているのだろうか。

 教皇フランシスコは、バチカン的基準から言えば、かなりリベラルだ。だから、米国のカトリック保守には教皇を批判する人が少なくない。この保守派と連携するトランプ大統領は、教皇と波長が合わない。環境、移民・難民、平和、国際機関など多くの問題で見解を異にしている。

バチカンのサンピエトロ大聖堂で執り行われたミサに出席したローマ教皇フランシスコ(左)=2019年12月24日(ゲッティ=共同)

 他方、これらのテーマについて、バイデン氏の見解は教皇に近い。バチカンは、今回の選挙結果を歓迎しているのは間違いない。

 実際、バイデン氏は勝利が確実となった直後の11月12日、フランシスコ教皇と電話会談している。この中で、貧しい人への配慮、気候変動問題への対応、移民や難民の社会への受け入れを巡り協力したいとの考えを伝えている。

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