【特集】「遺族」として生きた女性の24年

残された家族の幸せとは

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明石市にある、割烹「いそざかな 一とく」。この店の女将・曽我部とし子さんです。母から受け継いだ店を、次男とともに、切り盛りしています。

曽我部さんは、24年前、長男の雅生さん(当時24)を亡くしました。1996年6月、明石市の路上を歩いていた雅夫さんは、突然後ろから男に刃物で刺され、死亡しました。

(曽我部さん)
後ろから一突きで腎臓まで達していたと、ショック死と聞いている。

雅生さんを殺害した男は、精神疾患で心身喪失を理由に、不起訴となりました。

(曽我部さん)
「無罪でした」と。あぜんという感じです。

事件後、曽我部さんを苦しめたのは人との関わりの中で起きる「2次被害」への恐怖でした。

(曽我部さん)
趣味の会とかそういうところに行くのが怖かった。気の毒やったなって言われて、その後で根掘り葉掘り聞かれたり嫌な思いするんじゃないかっていう気持ちがあった。どうしてもそういうところに行けなかった。

事件から3年後、曽我部さんは知人の勧めで、通信誌「風通信」の発行を始めました。残された家族の苦しみを、事件の真相を知る権利すら得られなかった悲しみを知ってほしいという思いからでした。誌面には、曽我部さんを救った、当時アメリカに留学していた次男からの手紙も紹介されています。

(曽我部さん)
「被害者が加害者に対する最高の復讐は、被害者が幸福になることだと思う」って書いてくれた。息子のことをほめるのは親ばかみたいで恥ずかしいんですけど、これはそうかなって思いました。

次男からの言葉を胸に、曽我部さんは、各地で講演活動を行い、人の命の尊さを伝えてきました。また、他の事件で家族を失った遺族とともに、行政に被害者支援の重要性を訴えました。

そして、その活動が実を結び、ことし4月、明石市は被害者支援の条例を改正し施行しました。曽我部さんのように犯罪で被害者を亡くし、加害者が「心神喪失」などを理由に刑事責任に問われなかった場合、遺族に見舞金を支払う全国初の条例です。

事件から24年、74歳となった曽我部さんは、この夏、遺族としての活動に区切りをつけ、風通信の発行を終えることにしました。

土師守さんは、1997年の神戸連続児童殺傷事件で次男の淳くんを失いました。曽我部さんとともに遺族として活動を続けてきた一人です。

(土師さん)
お疲れ様という言葉と、あとの人生、自分の思うように生きるのが重要だと思っています。被害者の方も被害のことだけでずっと生きていくのではなく、他の人生もあっていいと思います。
(曽我部さん)
ありがとうございます、何よりのねぎらいの言葉です。土師さんからそう言っていただけたら。

(曽我部さん)
事件をクリアしたかと聞かれるとしてないと思うんですよね、まだ。最初は幸せなフリをしておいてやらなあかんなと思っておりましたが、フリというのがフリで無くなってきたのかなと思います。

残りの人生を楽しみたい、曽我部さんは昔から趣味にしていた俳句の活動を再開しました。今では月に一度、地元の句会に参加して仲間と交流を続けています。

(曽我部さん)
今まで見過ごしてたのが「これだったら句になるやん」っていうのを見つけたら嬉しい。この言葉いただきっていうのもあるし、こういう表現があるの覚えとこうと思ったり。

大切な人を失った悲しみが消えることはない、それでも曽我部さんは日々の小さな幸せを見つけながら人生を歩んでいきます。