ビリー・ホリデイが憑依したちあきなおみ、初の舞台作品「レディ・デイ」 1989年 10月27日 ちあきなおみ主演のミュージカル「レディ・デイ」がシアターVアカサカで公開された日(初日)

美空ひばりに匹敵する歌唱力、ちあきなおみの素晴らしさ

1989年10月27日から11月24日にかけて、東京・赤坂の小劇場、シアターVアカサカで『レディ・デイ』というタイトルの公演が行われた。“レディ・デイ” とはアメリカの伝説的黒人ジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイ(1915~59)の愛称。この舞台でビリー・ホリデイを演じたのがちあきなおみだった。

“その歌唱力は美空ひばりに匹敵する” とも言われるほど、ちあきなおみの歌の素晴らしさは多くの人に評価されている。だから後出しじゃんけんのようで気が引けるけれど、僕にとっても彼女はもっとも魅力を感じさせてくれる歌手の一人だ。

ちろろん、ちあきなおみのことは1970年代から知ってはいた。けれどそれはテレビで「四つのお願い」(1970年)、「喝采」(1972年)などを歌う “歌謡曲歌手” としてだった。ドラマチックなストーリーを感じさせる「喝采」は面白いと思ったけれど、当時の僕には歌謡曲は縁の無い世界だったし、それ以上の関心は持てなかった。

だから、細川たかしが大ヒットさせた「矢切の渡し」(1983年)のオリジナルがちあきなおみで、しかも「酒場川」というシングルのB面曲だったことも、中島みゆきの提供曲「ルージュ」(1977年)を歌っていたことも知らなかった。1977年には、友川かずきが提供した「夜へ急ぐ人」というとてつもない名曲を世に送り出していたことも知ったのはだいぶ後のことだった。

シャンソン、スタンダード、民俗音楽… 歌手として卓越した表現力

僕が本格的にちあきなおみの歌に惹かれるようになったのは80年代に入ってからだった。この頃、それまでのヒット曲歌手というスタンスではなく、自分の好きな歌を追求するという活動スタイルになっていた彼女は、フランスのシャンソンを歌った『それぞれのテーブル』(1981年)、アメリカン・スタンダードの『THREE HUNDREDS CLUB』(1982年)、ポルトガルの民俗音楽ファドを取り上げた『待夢』(1983年)と、興味深いアルバムを次々と発表していた。しかも、それらはどれも、“歌謡曲歌手がニューミュージックに挑戦してみました” というレベルではなく、積極的に新しい表現スタイルを追求する、大胆でありながらきわめて完成度の高い作品だった。僕は、これらのアルバムによって、ちあきなおみのジャンルを超越した表現力を持ったシンガーとしての魅力を知った。

その決定打となったのが、アルバム『港が見える丘』(1985年)だった。戦前戦後の日本のモダン歌謡を歌ったこのアルバムでは、ナツメロと呼ばれる古びた曲たちが新鮮でみずみずしい魅力に満ちた曲に変身していたのだ。中でも、その後CMにも使われた「星影の小径」のエレガントな歌唱にノックアウトされた僕は、小畑実のオリジナル盤(1950年)を聴き直して、こちらの素晴らしさにも聴き惚れてしまった。

『それぞれのテーブル』から『港が見える丘』までの一連のアルバムは、どんな歌を歌ってもその情感の中にリアリティまで感じさせる “歌手ちあきなおみの卓越した表現力” を、僕に教えてくれた。そして僕は、彼女がステージで直接どんな歌を聴かせてくれるのか確かめたいと思った。

ちあきなおみが演じたビリー・ホリデイ、初の舞台作品「レディ・デイ」

僕が最初に観たのは、渋谷公会堂での鑑賞団体主催のコンサートだった。客層を考慮したのか歌謡ショー的ニュアンスの強いステージだった。けれど、演歌もポップス色の強い曲も関係なく、彼女の歌からは曲そのものの表情がリアルに伝わってきた。声量を誇示するのでも、超絶技巧を見せびらかすのでもない。曲に込められている感情を解き放ち、そのリアリティをていねいに伝えてくれる。僕は、その表現力に最後まで圧倒されっ放しだった。

そんな時に、ちあきなおみが新しいスタイルのステージを行うというニュースを知った。それが『レディ・デイ』だった。

『レディ・デイ』は、ニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されて話題となったレニー・ロバートソン作のミュージカル。舞台は、1959年3月にフィラデルフィアの小さなバーで行われたビリー・ホリデイの最後のライヴステージを再現する形で進行し、ビリー・ホリデイ役の女優と伴奏ピアニストしか出演しないというコンパクトな作品だ。

しかし出演者にとってみれば、不世出のシンガーであるビリー・ホリデイの歌をカバーしながら一人で物語を進めなければならないという極めてハードルの高い舞台なのだ。とにかく、ちあきなおみがビリー・ホリデイを演じるなら、これは見逃せないと急いでチケットを取った。

ちあきを支えるもうひとりの出演者、ピアニストは倉田信雄

赤坂のメインストリートから少し離れた場所にあるシアターVアカサカは200人も入れば満員になる小劇場だった。けれど、それはこの舞台が注目されていなかったということではなかった。

『レディ・デイ』は、実際の観客をそのままビリー・ホリデイの最後のライヴの観客に見立てた舞台なので、大きなホールではそのリアリティが再現しにくい。演者の息遣いも手に取るようにわかる小さな空間で演じられてこそ、『レディ・デイ』という作品の本領は発揮されるのだ。だから必然的に小劇場での上演になる。事実、シアターVアカサカでの『レディ・デイ』も約1か月に渡る公演は連日大盛況だった。

ステージも素晴らしかった。ちあきなおみは、ビリー・ホリデイに扮したと言うよりビリー・ホリデイが憑依したようだった。そして名曲「奇妙な果実」をはじめとする名曲を歌い、客席に語りかけるように台詞を語っていく。見ているうちに、本当のライヴに来ているような気がしてくる。そして次第に、人生に疲れ果てた晩年のビリー・ホリデイの悲しみが手に取るように感じられていく。僕は、すべての曲が日本語訳で歌われていることも忘れ、舞台に観入っていた。

圧倒的なちあきなおみのパフォーマンスを、ジミー・パワーズというピアニストを演じていたもうひとりの出演者、倉田信雄が良い味で支えていたのも印象的だった。もちろん演奏部分はピアノ1台の伴奏だからピアニストとしての腕が問われることは言うまでもない。その点で、ちあきなおみのレコードで編曲も手掛けてきた倉田は適任だった。けれど演奏だけではなく、時にはビリー・ホリデイの台詞に合いの手を挟む部分もある。そんな場面での飄々とした倉田の受け答えは、鬼気迫るちあきなおみの演技がつくり出す緊張感をいい感じに和らげてくれていた。

『レディ・デイ』は高い評価を受け、翌1990年5月17~26日にも同じシアターVアカサカで再演された。

惜しまれる活動休止、妥協の無い姿勢もまた彼女らしさ

その後、ちあきなおみは1991年11月19日~12月2日に東京のパナソニック・グローブ座で行われたに新作ミュージカル『ソング・デイズ』でも主演している。『ソング・デイズ』は終戦直後の焼け跡を舞台に展開される『カルメン』を下敷きにした物語。僕はこの舞台も観ているけれど、複雑な性格をもったヒロインを圧倒的な存在感で表現するあきなおみの演技は際立っていた。

こうして歌のある舞台表現の世界を積極的に切り拓いていたちあきなおみだったが、夫・郷鍈治が1992年に死去して以来、すべての芸能活動を封印してしまう。今でも彼女の活動休止を惜しむ声は高いけれど、この妥協の無い姿勢も彼女らしさなのかもしれないと思う。

『レディ・デイ』は2014年に安蘭けいによって上演され好評を博している。

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カタリベ: 前田祥丈

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