歴史の教科書を読み返しているみたい【50代からは鉄道趣味】

※2015年8月撮影

トップ画像は、高田駅に到着する桜井線105系電車。

カナリ丁寧に航空写真を調べましたが該当する場所が不明です。撮影から時間が経過しているので既に修復されて緑に覆われている可能性もあります。和歌山線橋本駅から掖上駅の間での車窓、凄まじい山崩れに見えましたが詳細は全く分かりません。

※2015年8月撮影

掖上駅。1896年(明治29年)開業。1903年(明治36年)壺坂駅に改称。1940年(昭和15年)掖上駅に戻されています。この駅名の掖上は、1889年(明治22年)の町村制施行で近隣の村が合併して誕生した掖上村に由来すると思われます。1955年(昭和30年)掖上村は御所町に編入されて消滅しました。近くには、掖上鑵子塚古墳があります。

※2015年8月撮影

御所(ごせ)駅。1896年(明治29年)開業当時の木造駅舎が残っています。駅所在地の御所市は奈良県で人口の一番少ない市です。延喜式内社(10世紀の延喜式の神名帳に記載された神社)が数多く残り、古代遺跡も多いエリアです。筆者などは「ごしょ」と読んでしまいそうになりますが。

※2015年8月撮影

9時3分、高田駅で下車して桜井線(万葉まほろば線)に乗り換えます。実は和歌山線の高田駅~王寺駅間が筆者はまだ未乗なのです。

高田駅は、1891年(明治24年)開業。1984年(昭和59年)橋上駅舎化。

※2015年8月撮影

乗り継ぎ時間があったので駅舎の外に出ました。

※2015年8月撮影

桜井線は、2010年(平成22年)から「万葉まほろば線」の愛称が使用されています。沿線に万葉集に詠まれた様な名所・旧跡が数多(あまた)あるからです。また駅名も魅力的なものが多くあります。。ちなみに「まほろば」は日本の古い言葉で「素晴らしい場所」「住みやすい場所」を意味します。

ホームで桜井線を待っていると奈良から折り返す105系電車が来ました。トップ画像はこの直前に撮ったカットです。トップは画面比率が16:9なので、元々が4:3で撮影した写真でも使用できるものが限定されてしまうのです。

※2015年8月撮影

2019年9月で桜井線から105系は、新鋭227系直流電車に置き換えられて姿を消しました。時の流れとは言え、淋しいですね。

※2015年8月撮影

9時25分に高田駅を発車します。

※2015年8月撮影

畝傍駅、1893年(明治26年)開業。1940年(昭和15年/皇紀2600年)昭和天皇の橿原神宮行幸の時に作られた重厚な木造駅舎が現役です。

※2015年8月撮影

畝傍山は大和三山の1つ。畝傍御陵は神武天皇陵を含む複数の天皇陵。畝傍という地名は様々な歴史に繋がっています。

香具山駅。1913年(大正2年)開業。風情のある木造駅舎は老朽化で2019年(令和元年)解体撤去され簡素な待合室が建てられました。

※2015年8月撮影

国の名勝、大和三山の中でも最も神聖視された天香具山(あまのかぐやま)が駅の北にあります。藤原宮跡などもあって、正に歴史の現場です。

桜井駅。1893年(明治26年)開業。近鉄大阪線との接続駅です。島式ホーム対面に105系ラッピング列車「万葉の四季」。列車交換します。

※2015年8月撮影

桜井線は、桜井駅を過ぎると左に90度カーブして北上します。

三輪駅。1898年(明治31年)開業。三輪素麺の三輪です。筆者は名古屋に転勤していた時代、5年程毎年サイパン島でCM撮影をしていました。その時、撮影から帰国すると必ず大和國一之宮 大神神社にお祓いに来ていました。残念ながら鉄道で来たことはありません。

※2015年8月撮影

車窓左に大神神社の一の鳥居が見えました。

※2015年8月撮影

高田駅にも駅そばはありませんでした。朝から何も食べていないので究極の空腹状態ですが、如何ともし難い。(泣)

※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格、駅などは2015年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)

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