国産ジェット事業「凍結は撤退に等しい」

あえぐ名門・三菱重工

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 三菱重工業は、10月末に発表した経営計画で国産ジェット旅客機事業を凍結した。日本経済の浮揚に大きな役目を果たすはずだった国家プロジェクトが頓挫した。1月に完成したスペースジェット(旧MRJ)の最新試験機も「40点の仕上がり」と関係者は語る。成果が得られない開発に誰もが疲弊し出口を見失いかける中で、新型コロナウイルス感染症の流行による航空機需要の消滅がとどめの一撃となった。幹部は「凍結は撤退に等しい」とつぶやく。名門・三菱重工は苦境にあえいでいる。(共同通信=千野真稔ほか)

3月、飛行を終え愛知県営名古屋空港内を移動するスペースジェットの試験機

 ■国交省に不満「審査脆弱」

 「今は我慢だが、ここまで来たのだから(事業化まで)初志貫徹してほしい」。経済産業省幹部は三菱重工のスペースジェット事業への未練を隠さない。国産初のジェット旅客機という「夢」の実現に向け、累計約500億円の国費をつぎ込み、国の成長戦略に盛り込んだ看板政策だったからだ。

 だが、その夢も輪郭が薄れ出している。

 スペースジェットは当初から安全な商業運航に必要な「型式証明」の取得が最大のハードルだった。経験豊富な海外メーカーですら取得に5~10年はかかる。国土交通省が審査するが、国産ジェット旅客機の実務は初めてで、米当局の教えを請い手探りで着手した。

 ただ、審査は遅々として進まない。米当局は開発側の裁量を重視し、安全性を証明する具体的な方法は定めておらず、明確な「方程式」がない。そんな状態で設計変更を繰り返し求める当局側の「千本ノック」(経産省幹部)が続いた。開発現場のいらだちは募り「国交省の審査体制が脆弱(ぜいじゃく)だ」との不満も漏れていた。

 三菱重工に開発の実績がないことも難点だった。部品メーカーの供給は欧米航空機大手向けが優先され、新参者に回ってくる商品は品質が低いものがあり、それが原因で大幅な計画見直しを迫られることもあった。「自前主義」のこだわりを捨て、外国人技術者を大量に採用したことも、日本人社員との対立を生んだ。開発子会社のトップはめまぐるしく代わった。

 ■プレッシャーのはざまで

 日本の航空機産業は苦難の連続だ。戦中は「ゼロ戦」などを製造したが、敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)から航空機の研究・生産を禁止された。1952年に再開が認められ、官民で戦後初の国産旅客機YS11を開発した。だが、採算が取れず182機の製造で終了し、その後、冬の時代が訪れた。

 国産ジェット旅客機の構想は経産省の音頭で2000年代初頭に浮上した。約100万点の部品からなる航空機は産業の裾野が広い。雇用確保や先端技術の開発で他産業への波及効果が期待できる。自動車や電機大手が海外に生産拠点を移し、ものづくりの空洞化が叫ばれる中、国内で民間航空機を完成まで手掛けることは「積年の政策課題」(経産省幹部)だった。

2008年3月、国産初のジェット旅客機の事業化を発表し、笑顔の佃和夫・三菱重工業社長(当時、左端)=東京都港区

 日本の航空機産業は19年に約1兆8千億円規模だった。だが現状は、米ボーイング向け部品供給が大半を占める「下請け」(関係者)にすぎない状態だ。

 政府は事業化が決定した08年度から15年度まで、操縦システムや空力設計の研究開発などの名目で総額508億円の補助金を投じた。今年7月策定の成長戦略でも、スペースジェットを含む航空機産業の拡大を掲げた。

 こうした中でスペースジェットの開発費は1兆円規模に積み上がったが、思うような成果を上げられない。採算と国からのプレッシャーのはざまで苦しんだ経営陣が出した答えは、玉虫色の事業凍結だった。三菱重工幹部は「国家事業だ。一企業だけで進退を決められなかった」と明かす。

 三菱重工は、事業を再開するかどうかは航空需要の動向を見て判断すると説明する。しかし、疲弊する開発現場からは「凍結すれば(事業を再開しても)挽回できなくなってしまう」と先行きを悲観視する声が漏れる。

 ■名門凋落

 創立1884年の三菱重工は、三菱グループの主要企業で構成する「金曜会」の中でも三菱商事、三菱UFJ銀行とともに「御三家」として最上位に君臨する。日本の名門企業の代名詞でもある。長崎での造船を祖業とし、戦中は「ゼロ戦」や戦艦武蔵を手掛けた。戦後は原発や火力発電、航空機部品にも事業を拡大し「陸・海・空」の国家プロジェクトを担ってきた。

 「収益を支える事業になる」。2008年、佃和夫社長(当時)はスペースジェットの事業化を決め、成長の柱に掲げた。需要拡大を見込む小型機市場で稼ぐ―。当時、売上高3兆円前後で伸び悩んでいた業績を拡大する青写真を描いた。

 しかし開発が停滞する間に既存の主力事業を取り巻く環境は悪化した。造船は韓国・中国勢に市場を奪われ、長崎造船所香焼工場は大島造船所(長崎県西海市)への売却交渉を進めている。原発は国内で新増設が見込めず、頼みの海外輸出はトルコでの新設を断念する方向だ。稼ぎ頭の火力発電は石炭火力への逆風で大きな成長を期待できない。

スペースジェットの事業凍結を発表した10月30日、インターネットを通じて記者会見する三菱重工業の泉沢清次社長(右)ら

 三菱重工の時価総額はバブル期前後に国内トップ20に入っていたが、今年10月末時点では150位以下にまで落ち込み、凋落(ちょうらく)ぶりが著しい。国の産業政策とともに歩みを進めた企業の窮状は、日本の国力衰退の証左とも言える。川崎重工業やIHIの経営も苦しく、日本経済を支えてきた重厚長大産業は「大きな曲がり角に来ている」と、国内製造業に詳しい作家の前間孝則氏は分析する。

 三菱重工の泉沢清次社長は記者会見でスペースジェットについて「4千時間近く飛行し、ある程度の機体はできた」と語った。開発は凍結する一方、今後も型式証明の取得作業を続けることは「日本での完成機事業を諦めない」(関係者)意思表示でもある。官民がまいた種をどう生かすか、日本のものづくりの真価が問われている。

(取材、編集:山口祐輝、真野純樹、小林まりえ、東本由紀子、千野真稔)