「4連敗だけは嫌だな…」 飯田・川崎の燕コンビ、今だから語れる92年日本Sの真実

90年代ヤクルト黄金期を支えた飯田哲也氏(左)と川崎憲次郎氏【写真:荒川祐史】

ヤクルト野村監督が全勝宣言も飯田氏「本当にそう思ってんのかな?」

21日にソフトバンクと巨人の日本シリーズが開幕。これを機に、1990年代に野村克也監督の下でヤクルトの黄金時代を築いた、飯田哲也氏と川崎憲次郎氏が「思い出の日本シリーズ」を語り合った。

飯田氏が最も印象に残る日本シリーズとして挙げたのは、西武と初めて対戦した1992年。野村監督就任3年目にしてセ・リーグを制し、廣岡達朗監督時代の78年以来、実に14年ぶり2度目のシリーズ進出を果たしたのだった。

ところが、このシリーズに川崎氏は出場していない。「有給休暇だっけ?」とからかう飯田氏に、苦笑いを浮かべる川崎氏。前年の91年には、本格派右腕として14勝(9敗)を挙げる活躍だったが、この年は右肘を痛めて1軍登板なしに終わっていたのだ。「1軍から、まだか、まだかと言われながら、ずっと(2軍施設のある)戸田を走っていました」と振り返る。

当時、西武は森祇晶監督就任後、5度出場した日本シリーズを全て制し無敵を誇っていた。飯田氏は「勝てるわけない、ただ、4連敗だけは嫌だな、と思っていた」と明かす。野村監督はミーティングで「4連勝で勝つぞ!」と檄を飛ばすこともあったが、「本当にそう思ってんのかな?」と疑うほどだった。

しかし、ヤクルトは本拠地・神宮球場で行われた第1戦で、3-3で迎えた延長12回、杉浦享氏が劇的な代打サヨナラ満塁本塁打を放った。一塁走者だった飯田氏は「1勝できてよかった」と胸をなでおろしただけだったが、ネット裏席上段の球団ブースで観戦していた川崎氏は、その瞬間「これはイケるかも」と日本一奪取を予感したという。「やっている人と見ている人の、感覚の違いでしょうね。こっちは冷静だから」と川崎氏は言う。

結局、この年のシリーズは第1、第5、第6、第7戦の4試合が延長戦という激戦となったが、ヤクルトは3勝4敗で惜しくも日本一を逃した。とはいえ、王者西武と対等に渡り合った自信は大きく、翌93年にリーグ連覇を果たした野村ヤクルトは、日本シリーズで森西武を4勝3敗で破り、リベンジを成し遂げるのだった。

チームはお祭りムードも4番・広澤氏は「緊張した」

飯田氏は92年のシリーズで、全7試合に「1番・中堅」で出場し、30打数11安打、.367の高打率を残した。レギュラーシーズンの優勝争いの真っただ中では「初めてプレッシャーというものを感じた。バッティングがダメになって、全然当たらなかった。緊張ってこういうことなのかと、その時初めて知った」と言う飯田氏だが、日本シリーズは「“おまけ”で“お祭り”という感覚。全く緊張しなかった」。

川崎氏は「当時のヤクルトは飯田さんをはじめ、目立つことが好きな人が多かったんですよね。ギャオスさん(内藤尚行氏)、高津(臣吾=現ヤクルト監督)さん、古田(敦也氏)さん……池山(隆寛氏=現ヤクルト2軍監督)さんなんて、『ワッショーイ!』って常に言ってそうだった」と証言する。

ただし、飯田氏によると、4番を打っていた広澤克実氏だけは「緊張した」と漏らしていた。「やっぱり4番のプレッシャーですかね? 僕が4番を打ったのは少年野球の頃くらいだから、わからないですけど」と笑う。

日本シリーズの記憶は、ファンの胸にも、出場した選手、傍観を余儀なくされた選手にも、深く刻み込まれている。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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