東京五輪の空手・形女子で金メダルを目指す清水希容(ミキハウス)が全日本選手権、世界選手権について語った。(聞き手、共同通信=村形勘樹)
―自身にとって全日本選手権とは。
日本一の空手家を決める大会。毎年12月に武道の聖地、日本武道館で開催されている。中学3年の時に初めて観戦してから憧れになった。私はこの大会で優勝し、世界で闘う自信を得た。
―初出場の思い出は。
高校3年の2011年だった。初戦敗退だったが、トップ選手と相まみえて気持ちに火が付いた。関大に入った翌年は準優勝で、13年に初優勝。当時は怖いもの知らずの勢いがあった。今は再現できない強さですけどね(笑)。
―雰囲気は。
会場全体から拍手が舞い降りてくる感覚は全日本独特。大好きな舞台だ。空手が五輪入りし国際大会の比重が高まった近年は、価値が少し落ちているとも感じる。次世代の子どもたちが「私も目指したい」と思う大会であり続けてほしいと願っている。
―初優勝から昨年まで7連覇している。
3連覇した後から、すごく恐怖を感じた。連覇を続けたいけれど、続けられるのかという怖さ。チャンピオンらしい風格を求めなければいけないと感じたのがちょうどその時期。毎年いっぱい、いっぱいで余裕があった全日本は一度もない。
―どこまで連覇を伸ばしたい。
引退する時まで続けたい。全日本で優勝して現役生活を終えたいという気持ちはすごくある。
―全日本初優勝の翌年に、初めて世界選手権に出場した。
全日本女王となり、14年にドイツでの世界選手権代表に選ばれ、優勝した。念願の大会で、開幕前から「どんな景色なんだろう」とわくわくしていた。たった一つのマットに観客の視線が集まる決勝は最高で「もう一度あの舞台に立ちたい」と病みつきになった。
―16年には連覇を達成した。
次の世界選手権(オーストリア)までの2年間は重圧で、とてもしんどい時期だった。世界中の選手から追われることが怖くなって泣くことも。「練習をしてもしても、足りない」という感覚に陥って追い込まれていた。何度もやめたいと思ったが、14年の映像を見返して「また、あの舞台に」と気持ちを奮い立たせていた。
―優勝を決め涙は出たか。
基本的に試合で涙は出さない。負けた時に少しあったとしても、勝った時に泣いたことはない。「そこが終わりではない」という気持ちがあるから。引退試合だったらぼろぼろに泣けると思うが、まだ先に目指しているものがあるので、冷静になってしまう。
―困難を乗り切って得た成果は。
この優勝で、東京五輪を目指す覚悟も決まった。当初は大会が終わったら引退と考えていた。ちゃんと意思が固まっていないと、つらいときに踏ん張れないので。でもあの優勝を機に「五輪に出る」と言葉にするようになった。
―18年大会(スペイン)は2位だった。
決勝で負けてしまって、何もかもが失われた感じだった。「今まで以上に頑張らないとちょっとやそっとのことでは、この結果はひっくり返せない」とすごく感じた。「どんな顔で日本に帰ろう」と責任も痛感した。
―日の丸を背負う重みか。
日本にはたくさんの形選手がいて、その中のたった一人の代表が私。自分が負ければ、他の人たちにも悔しい思いをさせる。絶対に勝って帰らないと、他の人たちに合わせる顔がない。
―東京五輪後の世界選手権は。
来年は東京五輪後の11月にアラブ首長国連邦(UAE)で世界選手権が予定されている。大変だと思うが、絶対に出る。五輪で金メダルを取って、世界選手権の王座も奪還して悔しさを晴らす。それが今の一番の目標だ。
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清水 希容(しみず・きよう)空手・形女子の東京五輪代表。小学3年で空手を始め、世界選手権は14、16年に優勝、18年は2位。全日本選手権は13年から7連覇中。アジア大会は14、18年に制した。東大阪大敬愛高、関大出。ミキハウス。160センチ、56キロ。1993年12月生まれ。大阪府出身。
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