【解説】ペリー元長官が語った米国の対朝鮮敵視政策失敗の原因

1988年に朝鮮の5年以内崩壊を予測したCIA秘密報告書(「KBSスペシャル」2016.1.21報道の「単独入手、CIA秘密報告書・コリアン」)

 米新政権の発足を控え、米国のいわゆる朝鮮問題の“専門家”、統一部長官など文在寅政権の閣僚と官僚、マスコミが新政権の対朝鮮政策を占うのに忙しい。

圧力路線の繰り返し

 オバマ政権の「戦略的忍耐」への回帰、「イラン方式」「リビア方式」等々・・・。

 どれも朝鮮に核抑止力を放棄させ武装解除することを狙う米国の視点に沿ったもので、朝鮮半島の真の平和に資する議論は聞こえてこない。

 このような議論の特徴は、米国の敵対政策撤回を要求する朝鮮の立場を無視した一方的なもので、どの議論を見ても圧力による武装解除と体制崩壊を前提にしている。

 ソ連崩壊後、失敗に失敗を重ねてきた圧力・制裁路線に引き続きしがみつくだけで、朝鮮が核抑止力の開発途上にあるのではなく「国家核戦力を完成」させた新たな環境に対応するものでもない。「戦略的忍耐」であれ「イラン方式」であれ「リビア方式」であれ、どれも朝鮮に圧力で一方的な核放棄を迫ろうというもので、米国の対朝鮮敵視政策が限界に達していることを示している。

 この中で、李仁栄韓国統一部長官は露骨な圧力路線では問題を解決しえないと見たのか、クリントン政権末期にペリー元米国防長官が進めた「ペリープロセス」を朝米間で国交を正常化し、朝鮮半島の平和体制構築を目的にしたものであるかのごとく美化し、その再現を主張している。

「私たちは長い間北朝鮮が崩壊するのを待っていた」

 「ペリープロセス」は、クリントン政権で一期目に国防長官として、朝鮮に対する爆撃を検討し勝利を見込めず撤回した、ペリー氏がやむを得ず考案した“交渉を通じた朝鮮政権崩壊のプロセス”に過ぎない。

 「ペリープロセス」は朝鮮半島の安全を脅かすのは「北朝鮮の核兵器と長距離ミサイル計画」と決めつけ、その「完全中止」を目的にしたもの。この目的のために「米国の強力な抑止態勢は変更」しないと明言して、朝鮮半島の休戦状態の継続を前提に、米日間の強力な協力体制を構築した。つまり国交正常化、一部制裁緩和などの美辞麗句で朝鮮を武装解除しようというもの。その後のことだが、リビアは米国との国交正常化後軍事攻撃を受けて崩壊したことをみれば、国交正常化が決して平和の担保にならない。

 事実、ペリー元長官が「ペリープロセス」の考案に着手した1988年、米CIAは、5年の間に朝鮮は崩壊するとの秘密報告書をクリントン政権に提出していた。「ペリー報告」の一部が秘密に付され公開されなかったのはペリー氏自身も認めるところ。ペリー氏はCIA報告を前提に「プロセス」を進めようとしたのであって、決して朝米関係改善のためでなかったことは明らかだ。CIA秘密報告は「ペリープロセス」が朝鮮崩壊を目的に進められたにすぎないことを示している。

 ペリー氏は後に韓日マスコミのインタビューに答え次のように述べている。

 「私たちは長い間北朝鮮が崩壊するのを待っていた。しかし、そのようなことは発生しなかった。それは戦略ではない。北朝鮮の人々は、厳しい経済状況を耐え抜く覚悟があるように見える。北朝鮮が崩壊するといういかなる根拠も、(私は)知らない」(ハンギョレ新聞とのインタビュー 2016年10月3日付)

より強力な核抑止力の開発に

 朝鮮の崩壊が米国の一貫した目標であったことは疑いない。

 朝鮮は体制転覆を策す米国の核の脅威に対処して抑止力としての核兵器を開発し「国家核戦力」を完成させた。これは朝鮮半島における核をめぐる環境が根本的に変化したことを示している。

 交渉の前提になる環境の根本的変化にも関わらず、核抑止力開発途上で展開し失敗した圧力、制裁路線が通じるのか?

 「非核化対制裁解除」から「敵対政策撤回対話再開」へと枠組みは変わった。

 これを無視して圧力政策を続けることは、より強力な核抑止力の開発につながる。朝鮮はすでに先の党創建75周年の閲兵式でこれをまざまざと見せつけた。(了)

© KOYU BUN