マラドーナさん、亡くなる サッカーの世界的スーパースター【写真特集】

死去したディエゴ・マラドーナさん(ゲッティ=共同)

 史上最高のサッカー選手の一人で、元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさんが25日、ブエノスアイレス近郊の自宅で亡くなった。60歳になったばかりだった。ドリブルによる「5人抜きゴール」やヘディングに見せかけて手で得点した「神の手ゴール」など、数々のプレーで記憶に残るスーパースターの波乱に満ちた軌跡を写真で振り返る。(47NEWS編集部)

 1960年ブエノスアイレス生まれ。15歳でプロデビューし、16歳で同国代表。左足の妙技で「天才児」などと呼ばれた。

ユースサッカーのアルゼンチンーソ連決勝戦でゴール正面右からのフリーキックを強烈に決め喜ぶマラドーナさん=1979年9月、国立競技場

 86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会ではドリブルによる「5人抜きゴール」やヘディングに見せかけて手で得点した「神の手ゴール」でチームを優勝に導き、90年W杯イタリア大会は準優勝した。

1986年W杯メキシコ大会準々決勝のイングランド戦で、5人抜きゴールを決めるマラドーナさん(右から3人目)=1986年6月、メキシコ市(ロイター=共同)
1986年W杯メキシコ大会準々決勝のイングランド戦で、「神の手ゴール」を決めるマラドーナさん(中央)=メキシコ市(Bob Thomas Sports Photography提供・ゲッティ=共同)
1986年W杯メキシコ大会で優勝し、トロフィーを掲げるマラドーナさん=メキシコ市(AP=共同)

 しかし現役時代から薬物問題を起こし、94年W杯米国大会ではドーピング違反を犯した。

W杯米国大会のナイジェリア戦後に検査官と薬物検査のため引き揚げるアルゼンチン代表時代のマラドーナさん=1994年6月、フォックスボロ(AP=共同)

 97年の現役引退後は薬物中毒や肥満に苦しみ、2000年に心臓発作、04年にも一時重体となった。

2005年2月、ファンに笑顔で応えるマラドーナさん(ロイター=共同)

 健康を取り戻すと08年11月に母国の代表監督に就任。10年W杯南アフリカ大会は準々決勝で敗れた。

2010年W杯のメキシコ戦で、アルゼンチン代表監督としてメッシに指示を出すマラドーナさん(左)=ヨハネスブルク(AP=共同)

 アルゼンチンメディアによると、フェルナンデス大統領は26日以降に大統領府にマラドーナさんの遺体を安置し、国民がお別れできる場を設けるとしている。

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