「眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで」が東京国立近代美術館で開催中

あらゆる生物に不可欠な「眠り」がいかに芸術家たちの創造を駆り立ててきたか。絵画、版画、素描、写真、立体、映像など、幅広い美術作品に表現されたさまざまな「眠り」のかたちを、国立美術館(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館、国立映画アーカイブ)所蔵のコレクションから読み解く展覧会が開催中だ。

18〜19世紀に活躍した巨匠・ゴヤを案内役に、美術における眠りが持つ可能性を、序章、終章を含む7章構成でたどる本展。ルーベンス、クールベから、河原温、内藤礼、塩田千春まで、美術史上の名作から現代アートに至るまで、約120点の作品が集まっている。

ペーテル・パウル・ルーベンス 《眠る二人の子供》 1612-13年頃 油彩、板 50.5×65.5cm 国立西洋美術館蔵

33名、約120点の作品がいざなう「眠り」

まず、序章「目を閉じて」では、ペーテル・パウル・ルーベンス、ギュスターヴ・クールベ、オディロン・ルドン、河口龍夫らによる、静かに自己の内面と向き合う作品を紹介。第1章「夢かうつつか」では、マックス・エルンスト、瑛九、楢橋朝子、饒加恩(ジャオ・チアエン)ら、「悲しみ」と「愛(かな)しみ」の意を込めた第2章「生のかなしみ」では、小林孝亘、内藤礼、塩田千春、荒川修作ら。

内藤礼《死者のための枕》 1997年 シルクオーガンジー、糸 6.3×4.8×2.7cm 国立国際美術館蔵
会場風景より、饒加恩(ジャオ・チアエン) の展示風景

そして、阿部合成、香月泰男、北川民次、森村泰昌らが名を連ねる第3章「私はただ眠っているわけではない」、河口龍夫、ダヤニータ・シン、大辻清司による目覚めにまつわる表現を紹介する第4章「目覚めを待つ」、河原温の作品を通じて、眠りと目覚め、生と死との関係性について探る第5章「河原温 存在の証しとしての眠り」、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、金明淑(キム・ミョンスク)らの作品からなる終章「もう一度、目を閉じて」で本展は締めくくられる。

展示風景より、森村泰昌《なにものかへのレクイエム(烈火の季節)》
楢橋朝子《「half awake and half asleep in the water」シリーズより Miyajima,2004》 2004年 タイプCプリント 60.1×90.3cm 東京国立近代美術館蔵

「眠り」のテーマを反映した展示デザイン

本展では、展示室の設計デザインをトラフ建築設計事務所を、グラフィックデザインを平野篤史(AFFORDANCE)が担当。展示空間にはカーテンを思わせる布、布のようなグラフィックなどが現れる。夢かうつつか、はっきりしない状態をイメージさせる不安定な感じの文字デザインなど、起きていながらにして「眠り」の世界へいざなう様々な仕掛けも見どころだ。

また、本展のもうひとつ重要なテーマが「持続可能性」(sustainability)。「眠り」は生命を維持するために欠かせないものであり、繰り返されるもの。それとリンクする形で、少しでも環境の保全を目指すべく前会期の企画展「ピーター・ドイグ展」 の壁面の多くを再利用しているという。

ダヤニータ・シン《ファイル・ルーム》 2011-13年 オフセット印刷、写真集(70冊) 可変展示(1点のサイズ:33.8×25.0×1.8cm) 京都国立近代美術館蔵 ©DAYANITA SINGH
塩田千春《落ちる砂》 2004年 DVD サイズ可変 国立国際美術館蔵

「眠り」の表現からは、単なる癒しや休息の意味だけでなく、夢と現実、生と死、意識と無意識といった相反する価値観のあわいや、迷いながら生きる人間の姿、そのはかなさなど、さまざまな問いかけを読み取ることができる。社会問題などによってさまざまな不安の中で生きる私たちの姿を作品と重ね合わせることによって、アートを通した「眠り」が、安らぎを与えてくれるだけでなく、日常の迷いや悩みに対するヒントを与えてくれるに違いない。

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 《『ロス・カプリーチョス』:理性の眠りは怪物を生む》 1799年 エッチング、アクアティント 21.6×15.2cm 国立西洋美術館蔵

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