ユニコーン「大迷惑」を単身赴任中にNHKのど自慢で歌ってみた! 1989年 4月29日 ユニコーンのファーストシングル「大迷惑」がリリースされた日

単身赴任の悲哀を描いた、ユニコーンのファーストシングル

ユニコーンの「大迷惑」がヒットしたのは1989年、自分が高校1年生の頃だ。その頃のユニコーンは、正直さほど好きなバンドではなかったけれど、カタリベ佐々木美夏さんが『人事異動に翻弄される悲哀を歌ったオーケストラ・パンク「大迷惑」』で書いておられるように、オーケストラをバックにメンバーが演奏するMVはすごく衝撃的で印象に残っていた。ただ、うちは全くサラリーマンとは無縁の家庭だったので、単身赴任の悲哀を描いたその歌詞には、あまりピンと来ることもなく、意味もわからず無邪気に「♪ 3年2ヶ月の過酷な一人旅」と口ずさんでいたものだ。

それから高校~大学を卒業し、就職をした自分は、あの頃無縁だったサラリーマンの世界で生きるようになった。徐々に社会に染まりつつあった自分にも、なんとなくはその “社畜” 的な世界も理解出来るようにはなっていった。そして27歳で結婚し、3人の子供も授かり、郊外に家を建てて、

 町のはずれで シュヴィドゥヴァー  さりげなく 夢にまで見たマイホーム 青い空  エプロン姿のおねだりワイフ  日なたぼっこはバルコニー  Hey it's a beautiful day

まさにこの歌詞を地で行くマイホームパパ生活を謳歌するようになっていた。

大阪から東京へ! 自分にも訪れた人生選択の時

そんな毎日を過ごしていた日々が一変するのが、「大迷惑」の発売から22年が経った2011年3月、東日本大震災の起きた直後だった。大阪から東京への転勤の辞令が出たのである。

 突然 忍び寄る 怪しい係長  悪魔のプレゼント 無理矢理  3年2ヶ月の過酷な一人旅

実際は係長よりも、もっと偉い人から伝えられたし、直前に出張が増えてたのでそんなに突然な感じもなかったし、その時点では期限も切られてなかった… というように、「大迷惑」とはいささか様子が違ったが、とにかく自分にも人生の選択の時が来たのだった。ただ自分の場合は、さほど迷うこともなく単身赴任という「一人旅」の選択をした。まさか「3年2ヶ月」を軽く超える長旅になるとは、その時知るよしもなかったのだが…。

単身赴任生活は「大迷惑」で歌われるほど「涙涙の物語」でもなく、「逆らうと首になる」こともなく、「マイホーム ボツになる」こともなく、さほど「過酷な一人旅」ということもなかった。逆に「ボインの誘惑に 出来心」的なこともなかったわけだが(笑)。

単身赴任中「NHKのど自慢」に応募、歌うはもちろん「大迷惑」

そんなこんなで5年の月日が過ぎた2016年7月、たまたま目にした市の広報に『NHKのど自慢』の収録がある… という記事が載っていた。

『NHKのど自慢』… 日本人でこの番組を知らない人はいないと言ってもいいだろう。毎週日曜お昼に、全国をキャラバンしながら20組の地元の歌自慢が登場する生放送だ。出演者はお年寄りから中学生まで、歌のレベルもプロ級からリズムや音程もおぼつかない人まで様々で、老若男女誰もが楽しめるいかにもNHKらしい番組だ。

あまり知られていないと思うが、日曜昼の放送に向けた出場者決定のプロセスは以下のような流れになっている。

1. 放送する地元のNHK放送局宛に、往復はがきに歌う曲目と選曲理由を書いて応募。 2. 書類で選考された250組が放送前日の土曜日に会場で予選会を実施。 3. 放送と同じバンドによる生演奏で、1組1分程度で一気に250組が歌い続ける。 4. 全ての組が終了後に、審査のうえ、出場する20組が発表される。

だいたい1回の放送で多くて3,000通ぐらいの応募があるそうなので、予選会に出場できるだけでも狭き門なのだが、選んでいる基準が “選曲理由” だけなので、曲にまつわるエピソードがかなり重要になってくるのだ。

「“単身赴任中の夫が、単身赴任を描いた大迷惑を歌う” こんなとっておきエピソード、NHKが放っておくわけないだろう!」

自分はある種の自信をもって応募した。そして目論見通り、見事に書類審査を通過し予選会出場を決めたのだった。

予選合格、実はここから日曜の本番までが大変!

『NHKのど自慢』はご存知の通り、出場するのは歌唱力が高い人ばかりではない。本当に歌の上手い人は数人で、後はお年寄りであったり、地元の漁師さんだったり、「〇〇に捧げます!」みたいなエピソードを持つ人など、45分間の番組構成をバラエティに富ませるために、様々な歌い手が選ばれるのである。

自分が狙うのはもちろん “エピソード枠”。それでも2,000人の観衆の目の前で、生バンドをバックに歌い切る度胸は必要で、予選会といえどもセットは本番と同じ。客席も埋まっていて、テレビカメラも回っている中で歌うのは、めちゃくちゃに緊張する。

「121番、大迷惑!」

おそらくその日の演奏曲の中で、最速であったであろうリズムを刻んでくれたバンドの演奏に合わせ、歌うことができた。結果は…… 合格! なんと日曜日の本放送に出場することになったのである。

実はここから日曜の本番までが大変なのである。予選の後、プロデューサーやディレクター、小田切千アナウンサーから取材を受けたり、バンドマスターとのキーやテンポの打ち合わせやミニレッスンを受けたりで3時間。翌日の放送当日は、朝7時30分に会場入りして、リハーサルを繰り返し、お昼の生放送の備える。こうして他の出場者と過ごす時間を長くとることで出場者同士に団結が生まれ、番組内での一体感を作り出すという効果もあるようだ。

けっして “大迷惑” じゃなかった自分の単身赴任

そして迎えたお昼12時45分。いよいよ本番! リハーサルが繰り返されたからなのか、不思議と緊張はないまま、自分の番を待つ… 客席で家族が見守る中、結果は鐘2つ! ちなみに歌い終わった後の小田切アナとのやり取りで

「単身赴任は何年ですか?」 「5年です!“3年2ヶ月” を超えました!」

…と「大迷惑」の歌詞になぞらえて答えたのだが、特にウケなかったのが残念だ(笑)。

こうして自分の「大迷惑」によるチャレンジは終了したのだが、肝心の単身赴任生活の終了には、この後もう3年7ヶ月を要し、延べ9年を過ごすことになったのだった…。まさに「二度と出られぬ蟻地獄」寸前だったわけだ。

しかし、改めて振り返ってみると、この9年間に色々な人と出会い、そして『NHKのど自慢』出場というビッグチャンスを与えたくれた単身赴任は、けっして “大迷惑” じゃなかったと思うのであった。

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カタリベ: タナカマサノリ

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