森閑とした空気【駅ぶら04】西武池袋線

※2020年6月撮影

トップ画像は、東吾野駅構内踏切の向こう、上り特急列車が駅から離れていきます。

【駅ぶら】は、東吾野橋の上から高麗川の下流側を見ています。国道299号線です。この先に目的地の吾那神社があります。

※2020年6月撮影

望遠レンズにすると石段と神社らしき屋根がチラッと見えました。

※2020年6月撮影

国道を渡ったところの交番(埼玉県飯能警察署東吾野駐在所)に吾那(あがな)神社の案内がありました。右に折れて100mです。ユガテには左右どちらかも行くことができるようですね。

※2020年6月撮影

高麗川に沿って国道を南に進みます。空中浮遊したワケではありませんよ。(笑)この部分だけ川に突き出していたのです。渡ってきた東吾野橋が見えます。

※2020年6月撮影

さらに進んで吾野神社の前まで来ました。上の写真はフェンスの色と形状が変わった辺りですが木で見えませんね。

※2020年6月撮影

吾野神社です。左側にも細い石段がありましたが、正面石段から入ります。

※2020年6月撮影

石段脇の看板には以下の様に書かれています。

「菊理媛命(くくりひめのみこと)は、『日本書紀』に出てくる女神で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を仲直りさせたことで知られこのため「縁結びの神」「和合の神」ともいわれています」吾那神社

※2020年6月撮影

石段の上から狛犬、鳥居と石灯籠、国道、高麗川を見下ろしました。真ん中の手すりは安全な上り下りには必要です。

※2020年6月撮影

階段の上にも石灯籠。右は手水舎。眺望が開けます。

※2020年6月撮影

拝殿正面。狛犬の間に棒が立てられています。あまり見たことがないスタイルです。

※2020年6月撮影

神様にご挨拶しました。

※2020年6月撮影

拝殿横の説明書き。

※2020年6月撮影

内容を記します。

吾那神社

当社は、もと熊野神社と号し、平戸・虎秀村の鎮守として平戸の熊野平に鎮座したが、室町時代の寛正年中(1460~1466)に現在の地に社殿を造営し遷座したことに始まります。

桃山時代の天正19年(1591)には、徳川家康より御朱印状が付与され、九石の社領が安堵されました(新編武蔵風土記稿)。

近隣の神社では破格のあつかいを受けたもので、その後、明治に至るまで約280年にわたり社領が維持されました。

明治元年(1868)には、政府による神道国教化の方針から神仏分離令が発令され、中世の時代から神仏習合の別当寺であった東映山東明寺(真言宗)が熊野神社から分離されました。

明治5年(1872)には、前年の太政官布告にもとづいて村社となり、同44年には田中の八幡神社、中居の白山神社、市場の天満神社、落合の稲荷神社、橋本の白山神社、小菅の山神社、勝子舟の天神社、夏地の荒神社の八社を合祀しました。さらに、大正4年(1915)には白子の村社であった白鬚神社を合祀し、社号を熊野神社から吾那神社と改め、今日に至っています。

祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 事解男命(ことさかおのみこと) 猿田彦命(さるたひこのみこと)

石段の脇に書かれていた菊理媛命(くくりひめのみこと)の名前が記されていませんが、白山神社が二社合祀されていますから、白山神社の祭神(菊理媛命)は当然含まれているのでしょう。

こちらは、旧本殿、赤い鳥居で稲荷社となっているようです。

※2020年6月撮影

拝殿の後ろに本殿があります。

※2020年6月撮影

周囲は鬱蒼とした森。正に森閑とした空気。

※2020年6月撮影

帰路は細い石段を降ります。

※2020年6月撮影

石段の下から。

※2020年6月撮影

東吾野駅に戻って次の駅に向かいます。

(写真・文章/住田至朗)

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