天応駅 この駅で呉線はお仕舞いです【木造駅舎巡礼03】呉線

※2020年8月撮影

トップ画像は、JR西日本呉線天応(てんのう)駅。JR東日本男鹿線にもてんのう(天王)駅がありますけど字が違いますね。

既に書きましたが、8月19日は海田市駅から上り列車で天応駅に来ました。上り普通広行が出発します。天応駅の島式ホームの幅も広くありません。

※2020年8月撮影

ホームから海田市駅方面に跨線橋があります。右に木造駅舎。駅名標はホームの幅が狭いので無理に撮ると線路に落ちそうです。撮影を諦めました。

※2020年8月撮影

跨線橋の手前から木造駅舎のホーム側を写しました。この駅も屋根はスレート葺きです。

※2020年8月撮影

跨線橋から駅舎。ほとんど屋根しか見えませんね。

※2020年8月撮影

ホームの向こうには瀬戸内海、対岸は海軍兵学校の代名詞となった江田島(えたじま)です。現在も「江田島町国有地無番地」には海上自衛隊第一術科学校などがあります。筆者が尊敬する最後の海軍大将井上成美さんが校長先生をしていました。精神主義から最も遠い合理的で公正を愛した将軍でした。生涯「ラディカル・リベラリズム」を堅持した稀な軍人。※興味のある方には阿川弘之さんの『井上成美』(新潮文庫)をオススメします

※2020年8月撮影

跨線橋の階段からもう1枚。切妻側に軒がありません。破風からそのままペッタリと妻壁になっています。これまで見てきた木造駅舎では初めてです。。

※2020年8月撮影

ホーム幅が狭くて撮れなかった駅名標を駅舎側から。ホーム越しにも江田島が見えます。

※2020年8月撮影

天応駅は、1903年(明治36年)海軍呉軍港と広島を結ぶ線路が国によって敷設された際に開業。当初は山陽鉄道が運行していましたが1906年(明治39年)には国有化され、1909年(明治42年)線路名称制定で呉線の駅になりました。1963年(昭和38年)貨物取扱廃止。国鉄分割民営化でJR西日本に移管された後、業務委託駅になりましたが、2018年(平成30年)天応駅は無人化。

改札口。簡易自動改札機があります。建物財産標などは見当たりませんでした。建築された時期はわかりません。

※2020年8月撮影

駅舎内から改札口。

※2020年8月撮影

窓口は閉鎖されています。

※2020年8月撮影

待合室、壁際に椅子があります。

※2020年8月撮影

駅舎、北側から。駅前には無造作に自転車やバイクが駐められています。

※2020年8月撮影

南側から、ありゃ、こちら側には破風の下に軒がありますね。奥には住宅もあります。

※2020年8月撮影

天応駅を撮影後に吉浦駅に行きますが、その帰り天応駅から見えた瀬戸内海です。水尻駅の先で呉線は内陸部に入って海は見えなくなります。

※2020年8月撮影

これにて阿房列車の内田百閒先生が好まれた呉線(の木造駅舎)は終了します。次回は岩徳線です。

(写真・文章/住田至朗)

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