中村憲剛と家長昭博、知られざる絆の物語。悩める“天才”を輝かせたバンディエラの言葉とは?

2020シーズン、圧倒的な強さで史上最速の優勝を果たした川崎フロンターレの中で、家長昭博はひときわ輝きを放っていた。強力な攻撃陣に創造性をもたらすなど、今やチームに決して欠かすことのできない別格の存在だ。だがそんな“天才”も、加入当初はなかなか出場機会を得られなかった。今季限りで引退する中村憲剛は、苦しんでいたころの家長をどう見ていたのか。そこには、常勝軍団を築き上げた2人の知られざる絆があった――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

3年前の初優勝に似た光景。史上最速で優勝を決めた11月25日

デジャブを見ているような思いに駆られた。舞台はホームの等々力陸上競技場。前半に先制点をあげた川崎フロンターレが流れを支配したまま相手を零封し続け、前半終了間際から後半の半ばにかけては、頼れる相棒がプロ人生で初めてとなるハットトリックを達成して勝負を決める。

それでも交代で投入された選手が貪欲にゴールを狙い、試合終了間際に5点目をたたき込む。リーグ戦を初めて制覇し、悲願のタイトルを手にした2017年12月2日と、ライバル勢の追随を許さないリーグ優勝を決めた11月25日は、試合会場と展開、最終的なスコアがまったく同じだった。

「初優勝のときは、別の会場の鹿島(アントラーズ)さんの結果待ちだったこともあったので。今回は自分たちが勝てば優勝が決まる試合で、点差も開いていましたし、自分たちのなかでは優勝をほぼ手中に収めていた状態だったので。涙というよりは、とにかくうれしいですね。もう最高の気分です」

フロンターレ一筋18年目のバンディエラで、今シーズン限りで現役に別れを告げる40歳のMF中村憲剛が試合後に笑顔を弾けさせた。振り返れば3年前の最終節は同時間帯に行われていた、勝ち点2ポイント差で首位に立っていたアントラーズの結果にもかかっていた。

フロンターレがまず5-0で大宮アルディージャを一蹴した。程なくしてアントラーズがジュビロ磐田とスコアレスドローに終わった一報が届く。勝ち点72で並び、得失点差で上回って優勝が決まったことがわかると、中村はピッチに突っ伏して人目をはばかることなく号泣している。

ともにハットトリック達成者を出す試合展開や最終的なスコアなどが共通している一方で、頂点に立つまでの過程がまったく異なる2シーズンぶり3度目の優勝に、中村は何度も目を細めている。

「今シーズンでの引退を自分のなかで決めていて、ほとんど誰にも言わないでスタートしたなかで、自分がけがでいない間に後輩たちがすごく強いフロンターレをつくってくれたし、僕は最後、そこに乗っかるだけでした。みんなの顔を見て、心置きなく先に進みたいとあらためて思いました」

「今日が終わらないでくれ」。その言葉に秘められた想いは……

声を弾ませながら中村が見つめた仲間たちのなかに家長昭博もいた。3年前ハットトリックを決めたのが長く苦楽をともにしてきたFW小林悠ならば、唯一、優勝の可能性を残していた2位のガンバ大阪を5-0と完膚なきまでにたたきのめした今回のそれが、チームメートになって4年目の家長だった。

「今日が終わらないでくれ、という感じです。それぐらいうれしいです」

ヒーローインタビューの第一声で、短い言葉のなかに万感の思いを凝縮させた家長は、実はトラブルを抱えていた。1-1で引き分けたアントラーズとの一戦以降、横浜F・マリノスとの前々節、そして王手をかけながら0-1で苦杯をなめさせられた大分トリニータとの前節で、家長はベンチにすら入っていなかった。

「けがをしていました。足首を鹿島戦でひねって、かなり痛めていました」

鬼木達監督は試合後に、家長が利き足である左の足首を捻挫していたと明かした。敵地でトリニータに負けたことで、図らずもホームに駆けつけるファン・サポーターの前で優勝を決められるチャンスとなった古巣のガンバ戦出場へ向けて、家長が取った行動も明らかにしている。

「言ってしまうと、昨日から注射を打っている状況で、彼の男気というものに期待して使ったわけですけど、本当に結果で見せる、背中で見せる選手だとあらためて敬意を払います」

先発復帰にあたっては鬼木監督が「出場してほしい」と要望し、家長も「選手としてうれしいこと」と意気に感じてピッチに立った。歴史に残る強さを身にまとい、独走でJ1戦線を駆け抜けた今シーズンのフロンターレの攻撃陣で、家長が別格といっていい存在であることが伝わってくる。

移籍してすぐの手術。出場機会の少なさに当時の家長は……

もっとも、アルディージャから加入した2017シーズンは、特に前半戦において家長が放つ存在感はゼロに等しかった。古巣アルディージャとの開幕戦で先発するも57分に交代でベンチへ退いていた家長が、次にピッチ上で姿を見せるまでに3カ月近い空白期間が生じている。

実はアルディージャ戦で右足親指のつけ根に骨挫傷および不顕性骨折を負い、川崎市内の病院で手術を受けていた。ゲーム勘やゲーム体力が失われた上に、フロンターレの独特のスタイルにもまだなじんでいない。同じシーズンにガンバから加入しながら瞬く間にフィットした、MF阿部浩之(現名古屋グランパス)と何度も比較されるなかで、家長は自らのプライドを努めて保っていた。

「僕自身はそこまで(フィットしていないと)感じてはいないんですけど、やっぱりプロなので。結果も出ていないし、試合にも出ていないので、そういう目は向けられますけどね」

復帰した後もパフォーマンスに精彩を欠き、短い時間での途中出場が続いていた家長を、メディアをいさめるかのように「まあ徐々に、徐々に、ですよ」と何度もかばったのが中村だった。

「これからだと思いますよ。アキ(家長)自身のポテンシャルの高さは疑いようがないし、アキがチームにフィットするのを待てる余裕が今のウチにはある。そういうなかで僕はアキの特長を引き出してあげたいし、周りの選手たちも特長を感じてあげられるようになればいいんじゃないかな」

30歳で新天地を求めた理由。模索し続けた自分独自の武器

そもそも、30歳の家長がフロンターレへ新天地を求めたのはなぜなのか。2014シーズンから所属したアルディージャで家長は群を抜く存在感を放ち、2016シーズンには11ゴールと自身初の2桁得点をマーク。年間順位で5位に押し上げる原動力になっていた。

ジュニアユースから心技体を磨いたガンバで、プロデビューを果たしたのが高校3年生だった2004年6月。以来、トリニータ、セレッソ大阪、スペインのマジョルカ、韓国の蔚山現代、ともに2度目のガンバとマジョルカ、そしてアルディージャと移籍を繰り返してきた天才が、ようやく絶対的な居場所を築き上げた。

周囲の誰もがそう思ったなかで、家長自身は敵として対峙したフロンターレのスタイルに、その中心で攻撃を差配する中村の存在にいつしか憧憬(しょうけい)の念を抱くようになっていた。J1の舞台で対戦した2014、2016シーズンでアルディージャは2勝2敗の星を残し、8得点に対して10失点と派手な打ち合いを演じている。そのなかで家長自身も3ゴールをマークしていた。

「フロンターレの選手たちのパス回しやトラップ、ポジショニングというのは、実際に試合で対戦していても細かくて正確で、ボールを奪おうと思ってもまったくできなかった。僕自身は30歳になって身体能力といったものはもう伸びないけど、パス回しやボールをもらう動きではもっともっと成長できると思っている。なので、30歳になって再び挑戦したいと思ったんです。フロンターレには昨シーズン(2016シーズン)、36歳でMVPを獲得した憲剛さんをはじめとして、見習うべき選手が大勢いるので」

加入直後にこう語っていた家長は、移籍を繰り返してきたサッカー人生を「うまい選手、強い選手は世界中になんぼでもいる。そのなかで、自分はどのようにして生き抜いていけばいいのか」と振り返ったことがある。フロンターレへの移籍もまた、模索し続ける自分独自の武器を探すためだった。

「チームを替えることが必ずしも成長にはつながらないと思いますけど、それでも常に成長したいと思って若いときから歩んできたので。これから先、引退するまでも変わらないと思います」

こう語った家長は自分自身を信じ続け、中村は静かに見守った。

転機となった一戦。中村が表現した、家長との信頼関係

ターニングポイントが訪れたのはホームでアントラーズと対峙した2017年8月13日。ペナルティーエリアの右角から放った、テクニックと遊び心が満載された絶妙のループシュートで家長が移籍後初ゴールを決めた72分だった。

「焦りもありましたけど、あまり試合に出ていなかったこともありますし、そっちの問題の方が自分自身のなかでは大きかったと思うので。僕、等々力での先発が初めてやったんで」

短い言葉に喜びを凝縮させた家長へ、中村は試合後に「このぐらい」と声を弾ませながら、家長との間で築かれつつある理想的な関係を、両手を広げた1mほどの距離に帰結させている。

「アキはボールを持てる。このぐらいの距離で一緒にプレーできる選手はそれほど多くない。その意味では、やっていて楽しくなってきたかな」

前人未到の3年連続得点王を獲得したFW大久保嘉人(現東京ヴェルディ)が、FC東京へと移籍した2017シーズン。ボールを介して以心伝心で会話ができる仲間が増えた手応えは、家長が右サイドハーフとして不可欠な存在となった軌跡と、最終節で手にした初優勝へとつながっていく。

「加入したばかりのころは……」中村の最大限の賛辞

そして、史上5チーム目となるJ1連覇を達成した2018シーズン。さらにフロンターレへフィットした家長は、長く探し求めてきた武器をも手にする。右サイドハーフを基本ポジションとしながら、前線のあらゆるポジションに、まさに神出鬼没でボールに絡み、看板の攻撃力にボールキープ力と創造力、意外性などさらなる「違い」をもたらした家長は文句なしでMVPに選出された。

「日本を代表する選手たちがいるなかで、自分が挑戦したいと思って飛び込んだ。全員の志が高く、選手一人ひとりの向上心が高い。想像していた以上に多くの刺激をもらえているし、みんなのおかげで僕自身も人としても選手としても成長できた。このチームに入って、本当によかったと思っている」

受賞スピーチで万感の思いを言葉に代えた家長へ、ともにベストイレブンに選出された中村は、味方には安心感を、対戦相手には脅威を与え続けたレフティーをこれ以上はない言葉で称賛している。

「加入したばかりのころはウチに合わせようという気持ちがあったはずだけど、それよりもアキ独特の間というか、アキがやりたいプレーをやり、僕たちもそれを理解して合わせることで、どんどんアキもよくなっていった。去年(2017シーズン)の夏以降は苦しいときに突破口を開いたのがアキの左足でしたし、体を張って時間をつくってくれたのもアキでした。最初は数字に直結するプレーを意識していなかったかもしれないけれども、意識し始めてからはものすごく怖い選手になり、同時にチームをけん引する存在にもなった。隣でプレーすることが多いけど、こんなに頼もしい選手は多くない」

中村と家長の間に築かれた至高の絆の物語は、まだ終わらない

昨シーズン終盤、中村は左膝前十字靭帯(じんたい)を損傷して離脱し、引き分けの多さが響いてアントラーズに次ぐ史上2チーム目の3連覇も逃した。自身もノーゴールに終わった家長は、リハビリ中の中村と右膝を痛めた小林も不在だった今シーズンの序盤戦からフロンターレをけん引してきた。

リーグ戦を30試合、計2700分を戦い終えた段階で、プレー時間が1835分と攻撃陣のなかで群を抜いて多いのは、鬼木監督から託された信頼の証し。だからこそ左足首に痛み止めの注射を打ってまでガンバ戦に強行出場し、痛む左足で1発、利き足とは逆の右足で2発を決めた活躍を家長は静かに振り返る。

「落ち着いてゲームに入れましたし、いろいろなところに顔を出す、自分のスタイルも出すことができた。最後はいい形でゴールも取れましたし、非常に満足しています」

戦いが大詰めを迎えた11月1日に、中村がシーズン終了後の引退を電撃的に発表した。若手や中堅へは会見直前のミーティングで伝えた一方で、フロンターレに長く在籍する小林やMF大島僚太、DF登里享平、キャプテンのDF谷口彰悟ら7人には事前に1対1の場を設け、秘めてきた決意を伝えた。

「全員が『えっ、今じゃないでしょう』とまったく同じリアクションでした。伝えるのがすごく重いというか、体調を崩しかけるほど僕自身も勇気がいりましたし、みんなにも申し訳ないと思いました」

引退表明会見で中村はこう振り返った。そしてもう一人、事前に決意を伝えたのが家長だった。同じユニフォームに袖を通して4年目ながら、お互いに抱いてきた畏敬の念が至高の絆へと昇華している跡が伝わってくる。ガンバ戦後に発した「今日が終わらないでくれ」とは、中村とまだまだ共演したい思いにも聞こえてくる。

「1月1日の天皇杯決勝で勝ってトロフィーを掲げるのは特別なことだし、本当に憲剛さんとプレーできるのも限られた時間になったので。なので、みんなでもう一度優勝して、最後、全員が笑顔で終われるような、特別なシーズンにできたら、と思っています」

リーグ戦は残り4試合だが、コロナ禍の特別形式で開催されている天皇杯へ、J1王者として準決勝から出場することも決まった。フロンターレがまだ手にしていない天皇杯との二冠で、レジェンドをハッピーエンドで送り出す。元日の新国立競技場を見据えながら、不器用に映る立ち居振る舞いの内側に熱さを脈打たせる天才と6歳年上のバンディエラが奏でてきた物語は最終章へ入っていく。

<了>

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