永田町権力闘争の舞台裏~菅政権誕生編|大下英治 かつて中曽根政権が安定したのは、田中角栄がキングメーカーとしてスタートを切らせたからだ。菅政権も二階俊博のおかげで安定したすべり出しとなった。さらに安倍晋三が背後から支え続ける。 菅政権は、2021年9月までの短期政権どころか、長期政権の雰囲気すら漂ってくる。 

「この人のために尽くしたい」と思わせる安倍晋三の人間力

2012年12月、二度目の総理就任が決まった当日、安倍晋三は富ヶ谷の私邸に今井尚哉を呼び、首相政務秘書官を打診した。

今井は迷わず「わかった、やりますよ」と答えた。この瞬間、今井は事務次官への道を捨てた。あくまで出身官庁からの出向である事務の秘書官と違い、政務秘書官になると、官庁は辞めざるを得ない。キャリアが断ち切られることを意味する。東大法学部を出て、事務次官になるために生きてきた官僚人生を、今井は自ら捨てた。

ここから第二次安倍政権の安定が始まったのだ。政務秘書官は内閣の要で、たとえば小泉純一郎政権が安定し、5年5カ月も持ったのも、飯島勲がいたことが大きい。 今井の次に呼んだのが菅で、官房長官を打診し、快諾を得た。2人とも、第一次安倍政権を支えきれなかった後悔の念を持っていた。第二次政権では、同じように第一次政権で悔しい思いをした人材が再結集し、全力で安倍総理を支えた。

飯島勲は言う。

「小泉のカリスマ性はすごいけど、小泉のために命をかけるという気持ちで支えた人はほとんどいなかった。どこまでも小泉が光るだけ。ところが安倍政権は、全員が安倍総理を支えたいという強い気持ちで支えている」

ここに安倍の秘密がある。

カリスマ政治家といえば、田中角栄、小泉純一郎、小沢一郎などが挙げられる。彼らには強烈な発信力があり、怖さもある。リーダーには怖さが必要だが、安倍に外見的な怖さはない。それでも大長期政権を築くことができた。安倍総理のために尽くしたいと心底思う人々が大勢いた。

しかもそれが、今井、菅、二階といったずば抜けた能力を持つ人材だったことは特筆されていい。これだけの人材を配置することができた人事は、大叔父の佐藤栄作の衣鉢を継ぐものだ。

失敗は成功のもと、失敗ほど人間を大きくするものはないというが、安倍ほどそれが当てはまる人もいないだろう。

「首相の一日」には載らない毎朝の頂上秘密会議

世間では菅の自民党総裁選立候補を、「まさか」と受け止めた人が多いようだ。また、菅政権は来年9月の(安倍総裁の本来の任期満了に伴う)総裁選までのつなぎと考える人もいるようだが、私の意見は違う。菅総理は長期安定政権を築くだろう。

安倍政権の強さは危機管理にあった。第一次安倍政権に優秀な人材は多くいたが、ばらばらで物事が決まらなかった。そこで第二次安倍政権では、官房長官と副長官の会議を毎日朝に行うことにした。「安倍日誌」には載らない秘密会議だ。

出席者は菅と、今井尚哉総理秘書官、杉田和博内閣官房副長官、衆議院と参議院の副官房長官、そして安倍総理。

人事から国会対策まで、あらゆる決断を統一して行う、第二次安倍政権の頂上秘密会議だった。

菅義偉の恐ろしいほどの能力

菅のすごさは、内閣官房に内閣人事局を作り、人事面から官僚を掌握したことだ。官僚を牛耳り、抑え込んだ。

官僚たちを抑え込んできた菅の手腕がよくわかる話を、本人から聞いたことがある。

各省にまたがる数多くの意見を聞いて、官房長官として最終決定までに一つの案件につき三つの選択肢に絞り込む。その三つを総理に報告するが、ただ選択肢を提示するだけでは、国際情勢を含め多くの判断を迫られる総理も大変だ。そこで、総理にABC案のうち「私はどの案を望ましく思う」と必ず伝えたという。

これは大変なことだ。ただし菅長官がすべてを決めてきたという意味ではない。「この案がいい」と個人の意見を主張したのではなく、自分がよく知る安倍総理なら、きっとこの案を選ぶだろう、さらに選んだあとにどういう方向性に行くか、総理はもちろん知っているが、自分のほうがわかる部分もある。お互いの思考をブレンドして、ABCから一案を選ぶというのだ。

あの長期政権のなかで、2人の意見が食い違ったのはたった一度だけだったという。首相と官房長官との意見が一致しなければ、内閣は絶対にうまくいかない。さらに、総理の菅への信頼感が深くなければ、いい関係は築けなかったろう。菅の恐ろしいほどの能力がうかがい知れる。

「菅さんがNOと言えば、すぐ引く。私は政治家ではない。」

新型コロナが深刻化するまでは、官邸主導は揺るがなかった。菅と今井の2人が協力して安倍総理を支えたからだ。

今井は私の取材に、こう語っている。

「安倍さんのことを考えて菅官房長官にも自分の意見をどんどん言う。ただし、菅さんがNOと言えば、すぐ引く。私は政治家ではない。その区別をわかっているから蒸し返さない」

菅─今井、この二人の関係がしっかりしていたから、政治主導が機能したのだ。

2019年9月、今井総理秘書官が総理補佐官を兼務することになった。政務の総理秘書官でありながら総理補佐官まで兼任するのはいままでにない異例の人事だ。背景にはモリカケ問題があったと思う。

森友学園問題の最初の答弁で、安倍はとっさに「私や妻が関係していたら総理も議員も辞める」と言ってしまった。

議員まで辞めると言われて、野党は攻め方によっては首が取れるかもしれないと色めき立った。さらに加計学園問題でも野党が大騒ぎし、結果的に安倍総理のもっとも実現したかった憲法改正を狙いどおりに進めさせなかった。安倍政権の支持率は高かったが、安倍だけは絶対に認めないとする人々が常に3割程度いたからだ。

モリカケ問題を主に処理し、安倍政権を守ったのは今井秘書官だ。妻の昭恵や親しい友人の加計理事長の問題の処理を、菅長官など政治家に頼むことはできない。将来のある身だからだ。

その意味で、今井秘書官は安倍ファミリー的にならざるを得なかったと言える。総理がモリカケ問題で苦しいとき、菅よりも今井に傾いたのはそういう背景もあったと思う。

マイナスをプラスに転化した菅義偉

以下は私の想像だが、その流れで安倍の今井への信頼がより深くなり、コロナ対策をリードするまでになったのではないか。たとえばアベノマスク問題。菅なら推進しなかったはずだ。政治家は失敗したとき、どれほどの批判や責任が降りかかるか、人一倍計算が働く。選挙の洗礼を受けない官僚にはそれがない。

菅長官と今井補佐官のそれまで良好だったバランス関係が崩れたことで、官邸のコロナ対策にほころびが生じた。

私が近著『内閣官房長官』(MdN新書)を刊行した2020年4月は、菅が外されていた時期だ。励ます意味でも出版したいと思い、2月末にインタビューを申し込んだ。いまは時期が悪いと延期の返答がくるかもしれないと予想していたが、意外にもOKだった。

普通なら二の足を踏むだろう。これも私の想像だが、コロナ対策が難航するなかで、菅は、このままやりたいようにやらせておこう、失敗の先に、必ず自分の出番が回ってくるはずだと自信を持っていたのだと思う。だから出版に同意したのだろう。

人間万事塞翁が馬という。コロナ禍にあって、菅は逆にふたたび運をつかんだ。もし菅がコロナ対策の先頭に立って、失敗していたら、いまの流れはない。あのとき外されていたのがよかったともいえる。

加えて、コロナ対策がうまくいかなかった理由の一つに、省庁、地方の自治体のIT化の遅れがあった。菅新政権がデジタル庁を提唱しているのも、コロナの教訓が身にしみたからで、これもマイナスをプラスに転化した例だ。

安倍政権時代、菅は次の総理を狙う態度をまったく見せず、万事控えめにしていた。

しかし、世間は菅の暗躍を噂する。私の見立てでは、河井克行・案里議員夫妻の選挙違反問題や黒川弘務検事長の定年延長問題、和泉洋人首相補佐官の不倫問題などで文春砲に撃たれた時、今井や安倍のなかに、菅への微妙な警戒心が生まれたかもしれない。それは権力トップの人間にとって自然な成り行きだ。

誰が『週刊文春』に情報を持ち込んだのか。明らかに狙い撃ちで、菅はそこで一歩退いたが、結果を見ればそれが強運だったと言える。

参謀型と忠犬ハチ公型の双方を兼ね備えた人材

私の取材経験から、官房長官のタイプは二つに分かれる。

まず参謀型だ。中曽根康弘首相に対する後藤田正晴長官が典型だが、官房長官がどんどん自分の意見を言う。たとえば、中東に機雷除去のため自衛隊を派遣したいと中曽根が言うと、後藤田は反対して辞表を出し、中曽根は自説を撤回した。これが参謀型長官の特徴的なあり方だ。

ところが参謀型は問題も起こす。菅の兄貴分だった梶山静六は、官房長官として橋本龍太郎首相を支えていたが、心中では橋本より自分のほうが上だと思っていた。自分の意見を主張するから合わなくなり、橋本が辞職すると、梶山は自分が総理になろうとして竹下派を飛び出て小渕恵三に挑戦し、敗れた。参謀型の複雑さである。

もう一つのタイプは竹下登首相と小渕官房長官の関係で、首相の言うことを何でもおとなしく聞く、いわゆる忠犬ハチ公型だ。小渕は忠誠を尽くしたからこそ総理になれた。就任後の業績は評価されたが、総理になるとは思われていなかった。

菅がすごいのは、参謀型でありながら、安倍に対し徹底して忠誠を尽くし、最後の最後まで後継を否定していた。参謀型なのに、ハチ公型に徹したのだ。双方を兼ね備えた人材は過去にいなかったが、これも菅の強みだ。

二階俊博との関係

もう一つ、菅が強い理由は、二階俊博幹事長と組んだことだ。

3年前の2月に、私が司会をして『週刊朝日』で2人の初対談をやったことがある。当時、2人は仲が悪いと世間では思われていた。

対談後、3人でホテルで食事をした。安倍政権と中国との関係がまだよくなかった頃だから、菅は改まって、二階に「今年は真正面から中国と向き合いますので、幹事長よろしくお願いします」と頼んだ。二階は「おう、それは当然だ」と意気投合し、そこから2人の関係はより強くなっていった。

菅は小此木彦三郎の下で11年秘書を務め、二階も遠藤三郎の秘書を11年務めている。その後、菅は市会議員を8年、二階も県会議員を8年務めたという似た経歴をもつ。

秘書出身の政治家の秘書は大変だと言われるが、たしかに2人とも非常に細かいところまで気がつく。地方議会出身の政治家らしく、根回しに長けているのも共通点だ。

二階派の連判状

初対談のあとで会った時、二階は、安倍に話をすれば菅に通じている。菅に話せば安倍に電話しなくても通じている。総理と官房長官との間に隙間が一切ないつながりは大したものだと感心していた。

以後、二階と菅は事あるごとに2人で会い、意気投合し、菅も二階もお互いの頼みをきっちりと実行に移し、お互い認め合っている。

今回の菅の総裁選出馬も、二階が一番槍でまとめていった。同じ赤坂の議員宿舎ということもあり、菅と森山裕(国対委員長)と林幹雄(幹事長代理)と二階の4人で、最後の詰めをした。

安倍が辞任を表明した8月28日に二階派幹部会を開き、翌29日には菅を支持する意向を真っ先に伝えることができた。

二階派はいつも総裁選で連判状を書く。いま47人だから、さしずめ四十七士だ。連判を揃えた翌日に菅支持を表明し、機先を制したのである。

連判状は1人の漏れもなく全員で書くから強い。普通なら同じ派のなかから2人、3人と反対者が漏れていくのだが、二階派には一切それがない。

二階の気配りと怖さ

田中角栄には気配りと怖さの両面があった。二階の強さもそれに通じるものがある。 以前、中曽根がこう言っていた。 「二階君は竹下さんの気配りとミッチー(渡辺美智雄)の馬力を持っている」

私なりに言い換えると、竹下の気配りと金丸信の突進力を兼ね備えている。田中角栄はそのどちらも持っていたが、二階はその現代版だ。これほど気配りのできる人はいまの政界にはいない。

総裁選の最中、二階から2人で飲もうと電話があった。こんな忙しいときに大丈夫ですかと心配したら、「(総裁選の)幕が開いたときにはもう終わっているのさ」と言っていた。

本当は1分1秒も空き時間などないはずだ。二階が幹事長になってから、党の幹事長室はいつも満員で、大勢がじっと面会を待っている。

永田町で本当に喧嘩のできる政治家は?

気配りだけなら岸田文雄にもあるが、いい人すぎる。政治家には舐められない怖さが必要だ。気配りばかりでは舐められ、怖さだけでは人を動かせない。二階も菅も、両方を兼ね備えている。

いま永田町で、本当に喧嘩のできる政治家は菅と二階しかいない。あとはみんな、言葉は悪いが精神的に“ジャニーズ風”だ。喧嘩の強いやつは誰が強いかわかるから、強い者同士は勝負をしかけない。だから組める。

2人とも、田中派の流れを汲む政治家であることを強調したい。二階は生粋の田中派出身。やはり田中角栄の弟子で竹下派の梶山静六の弟分が菅。闘争本能を持っているから勝つし、それがない政治家は、コロナの混乱時代に勝ち残れない。菅と二階は、その凄みの点でも似ている。

菅は無派閥で、隠れ派閥(ガネーシャの会)などに40人ほどいるが、二階と組まない限り、どう頑張っても総裁選には勝てなかった。他方で岸田政権になれば、二階は幹事長になれない。二階、菅はお互いを知り、利害も一致したということなのだ。

石破茂について、二階はよく「わしは田中角栄の直系子分、アイツは違う」という。たしかに石破は木曜クラブの事務局員で、田中派から出馬したわけではない。

父親の石破二朗は最終的に鳥取県知事を務めたが、もとは田中派だった。その父が亡くなり、角栄は息子の茂を木曜クラブに引き取って事務局員にした。いざ選挙に出るとき、鳥取には田中派の議員がいたため、角栄がミッチーに頼んで、中曽根派から出た。

2020年6月、石破は二階幹事長を訪ねて石破派の政治資金パーティでの講演を依頼した。二階は快諾し、記者会見で「期待の星の一人だ」と持ち上げた。石破は大喜びしていたが、幹事長なら自民党議員のパーティで講演するのは当たり前だ。

石破はこれまで一度も二階とサシで飲んだことがない。総裁選で自分を推すよう頼むのは、極端な話、徳川家康と石田三成との決戦で三成に加勢しろというようなもので、敗れれば、昔なら皆殺し。飲んだこともない相手に命を預けてくれと頼みに行き、幹事長室で会っただけで支持を取り付けたように錯覚したのは石破の甘いところだ。

石破は二階と菅は仲がいいから、菅も反岸田だろうと、あらぬ戦略を組み立てたわけだ。

二階が見た地獄

石破は「私は永田町の仲間と飲んで絆を深めることは好みでない」と常々言い続けている。 私は石破の半生記『石破茂の「日本創生」』を上梓して、政策立案能力は認めているからこそ言いたい。「石破さん、派閥を作って何年になるんですか」と。石破派は19人から一向に増えない。どころか、むしろ減っている。 石破の師、田中角栄の教えは「数は力なり」ではなかったか。 しかも石破幹事長の時代に、派閥政治の解消を主張していながら、その後、堂々と自分の派閥(水月会)を作った経緯もある。

二階は2009年の総選挙で、派閥の衆議院議員8人のうち自分一人以外、全員が落選という地獄を見た。そのとき二階は電話で「仕方がないから、伊吹派(志帥会)にわらじを脱ぐよ」と言った。そのとき伊吹派は10人ソコソコ、二階はあくまでよそ者だった。それがいまや二階派になり、国会議員は47人を数える。いかに凄腕か。

石破茂の大誤算

角栄は毎晩、誰かと飲んで情報を集めていた。二階も同じだ。石破は自室でパソコンをやっているという。私は、石破が人嫌いなのではないかと疑うことすらある。

石破事務所に行くと、資料が山のように積んである。理由を訊くと、明日岐阜に行く。地元の衆議院議員よりも自分のほうが岐阜について勉強したから詳しいと言う。それもいいが師・田中角栄のように永田町の人間関係をもっと大事にすべきではあるまいか。

石破の大誤算は、アンチ安倍からの支持を「安倍の恩」だと気づけなかったことにある。地方で人気があったのは、石破をぜひとも総理にしたいという思いに加え、安倍批判をする連中が少なくなかったからだ。

一般の人々の「安倍憎し」の感情を自分への支持と勘違いした石破にとって、最大のショックは安倍本人がいなくなったこと。いままで自分に寄せられた反安倍票が、半分以上も減ったのである。

「二階さんを外したら党はもちませんよ」

安倍政権内で、菅を嫌っていたのは麻生太郎だ。前回の内閣改造の時、官邸を訪れて総理と直談判し、菅と二階の2人を更迭するよう進言した。幹事長ポストに岸田を置くつもりだったのだ。それなのに、岸田が伸びないまま、二階─菅ラインに制されてしまった。

こうなると後の祭りで、岸田を推して敗れ、菅政権になると、非主流派に転落する。麻生は、石破と同じ立場にならざるを得ない。

安倍と一番仲がいい、と安心していた麻生だが、新政権で干されたらどうしようもない。そこで安倍に菅を切れ、とまで言い続けてきた菅を支持することにした。

麻生は以前から菅・二階を切ろうと画策してきた。安倍もかつて岸田幹事長案を検討し、シミュレーションだけはしたことがある。しかし菅は安倍のところに行って、「二階さんを外したら党はもちませんよ」と進言し、実際、二階を外すことはなかった。

幹事長がもし岸田だったら、安倍政権はモリカケでもっと苦しんで野党に突き上げられていただろう。国会を抑えたのは結局、二階と森山裕国対委員長の力だった。

支持率3%の理由

岸田の問題は、やはり宏池会ということに尽きる。宏池会は「お公家集団」と揶揄される。過去の総理、大平正芳、鈴木善幸は、田中派に担がれていた。宮澤は金丸と竹下が総理にしたのだ。自分が戦い取ったことはない。田中派なり竹下派に助けてもらった。

実は今回も、岸田は本来なら二階と組むしかなかったのに、二階と反目した。あとは安倍、麻生からおこぼれを期待するだけで、戦略が欠如していた。それは岸田に、本気で菅を刺して総裁を勝ち取る気概がなかったからだ。やはり公家集団は自分で戦わない。

岸田が戦略的に組む相手は二階しかいなかったのに、幹事長ポストはあなたでいいと申し出る度量がない。人柄は本当にいいのだが、いつまで経っても安倍の言うように、「化けきれなかった」。 これが世論調査の支持率が3%に留まった理由だろう。

存在感を発揮し続ける安倍晋三

菅新政権が本当に怖いのは、逆説的だが、当面の敵がいなくなったことだ。今回の総裁選で大きく差をつけることで、ライバル2人の存在感が薄くなった。2021年9月の総選挙で2人に代わる存在がすぐ出てくるだろうか。

以前から菅が目をかけて、将来の総理候補だと公言している河野太郎と小泉進次郎も、しばらくは菅の敵ではない。たとえば最大派閥の細田派(清和会)に限って見るだけでも、総理を狙う議員が西村康稔、稲田朋美、下村博文、萩生田光一、世耕弘成と5人もいる。しかし、いまのところ「帯に短し襷に長し」で彼らが菅のあとを狙うには時間がかかる。

菅は、目の前のライバルを叩いただけでなく、大きく差もついたため、支援してくれた派閥に頭を下げなくてもよくなった。もちろん菅政権は、派閥のバランスを抜かりなく取るだろう。この人のことだから細心の注意を払うことは間違いない。しかしそれは、派閥が推した人をそのまま入閣させることを意味しない。各派閥から改革志向の人を選んで入れるのだ。

菅はこれまで、一貫して改革を目指してきた。そこは中途半端にしないはずだ。

しかも、菅政権には菅総理より6歳も若い安倍という後見役がついている。安倍は勇退なので、菅政権の後ろ盾として存在感を発揮し続ける。河野や小泉のほかに、菅自身がさらに後継者を育ててもいい。

菅長期政権の雰囲気

かつて中曽根政権が安定したのは、角栄がキングメーカーとしてスタートを切らせたからだ。菅政権も二階のおかげで安定したすべり出しとなった。さらに安倍が背後から支え続ける。

しかも、これからの自民党のニューリーダー河野太郎と小泉進次郎の二枚看板も手のうちにある。

菅政権は、2021年9月までの短期政権どころか、長期政権の雰囲気すら漂ってくる。 (文中敬称略)(初出:月刊『Hanada』2020年11月号)

大下英治

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