教育勅語で小学校はどう変わったのか 当時の日誌から調査 京都・南丹の元歴史教員ら

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天引小の学校日誌などに見入る原田さん(中央)ら=南丹市園部町天引・天引区公民館

 京都府南丹市園部町天引の有志らが、明治期の地元小学校で行われた教育の調査を始めた。学校日誌などを基に、教育の基本方針をまとめた教育勅語が示された前後で教育現場がどのように変わったかなどを調べる。将来的に調査結果を発表し、教育や地元の歴史に関心を持つきっかけにする。

 1879(明治12)―1908(同41)年に存在した天引小の学校日誌や教授日誌などが公民館に数十冊残されているのに、地元の元歴史教員原田久さん(68)が着目。京丹波町和田の元歴史教員我妻秀範さん(64)と、京都教育大(京都市伏見区)の樋口とみ子教授(43、教育学)に声をかけ、10月末に資料を概観した。

 指導に関する日々の詳細な記録を確認。調査が進めば、1890年の教育勅語がどのような影響を現場に与えたかが分かる可能性がある。樋口教授は「どう解釈して対応しようとしたのか、草の根の動きが見えるかもしれない」と話す。

 天引では、2人が1904-05年の日露戦争で戦死したとされ、関連する記述の有無も調べる。登下校の安全に教員が気を配る記載も判明。原田さんは「明治の教員も丁寧に子どもを見て慈しんでいた。一方的に教師に従わせているような厳しいイメージが事実なのかどうかも調べたい」とする。

 今後、講演などを通じて調査結果を共有する。原田さんは「地域の小さな学校が、日本全体の動きにどうからめ捕られたのかなどを明らかにしたい」と語る。