メクル第508号 蒸気機関車に注目! 戦争や原爆とも関わり

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アニメ映画に登場する「無限列車」のモデルとされる8620形。県内でも走行していました=1962年10月、長崎市尾上町(長崎きしゃ倶楽部提供)

 明治時代に登場し、大正、昭和にかけて活躍(かつやく)した蒸気(じょうき)機関車。大ヒット中のアニメ映画(えいが)「劇場版(げきじょうばん)『鬼滅(きめつ)の刃(やいば)』無限(むげん)列車編(へん)」にも登場し注目されています。長崎県にも蒸気機関車に関する数々の歴史が刻(きざ)まれています。鉄道ファンでつくる「長崎きしゃ倶楽部(くらぶ)」代表世話人の吉村元志(よしむらもとゆき)さん(63)にエピソードなどを教えてもらいました。

吉村元志さん

  教えてくれた人 長崎きしゃ倶楽部 代表世話人 吉村元志(よしむら・もとゆき)さん(63)

■鉄道発祥の地
 日本では東京・新橋(しんばし)-横浜(よこはま)間で蒸気機関車の営業(えいぎょう)運転が始まった1872(明治5)年が、鉄道誕生(たんじょう)の年とされています。
 実は、その7年前の65(慶応(けいおう)元)年に、イギリス人貿易商(ぼうえきしょう)トーマス・グラバーが長崎の大浦(おおうら)海岸埋(う)め立て地に約400メートルのレールを敷(し)き、イギリス製(せい)の蒸気機関車を走らせ、鉄道をPRしていました。国内で蒸気機関車が人を乗せて走ったのはこの時が初めてでした。

「我が国鉄道発祥の地」の記念碑=長崎市新地町

 長崎市新地(しんち)町の長崎みなとメディカルセンター前には「我(わ)が国鉄道発祥(はっしょう)の地」の記念碑(ひ)があり、説明板には当時の様子を描(えが)いた絵が添(そ)えられています。大きな鉄の塊(かたまり)が黒煙(こくえん)を吐(は)きながら走行する姿(すがた)に、幕末(ばくまつ)の人々はとても驚(おどろ)いたことでしょう。

1865年、大浦海岸で蒸気機関車が走る様子を描いた絵(グラバー園提供)

■国産車が登場
 明治時代に国内で運行されていた蒸気機関車のほとんどが外国製でしたが、大正時代に入ると性能(せいのう)の良い国産機関車が登場します。その一つが8620形。「無限列車」のモデルとされています。時速90キロ以上出る旅客(りょかく)用の機関車で、県内でも走っていました。現在(げんざい)、壱岐(いき)市芦辺(あしべ)町の市消防(しょうぼう)本部前にある交通公園には、この形の車両が展示(てんじ)されています。

■島原鉄道でも
 島原半島の交通を支(ささ)える島原鉄道。1911年の開業時から使われた車両は、1872年に新橋-横浜間を走ったあの「1号機関車」でした。1930年までの19年間、島原の住民の足として活躍しました。その車両は現在、国の重要文化財(ぶんかざい)に指定され、埼玉(さいたま)県さいたま市の鉄道博物館で保存(ほぞん)展示されています。

島原鉄道を走っていた頃の「1号機関車」(島原鉄道提供)

■愛称デゴイチ
 太平洋戦争が41年に始まり、軍事物資(ぶっし)の輸送(ゆそう)の要(かなめ)として大量生産されたのがD51形。「デゴイチ」の愛称(あいしょう)で知られ、日本の蒸気機関車の代名詞(だいめいし)にもなっています。佐世保(させぼ)市祇園(ぎおん)町の旧(きゅう)交通公園に展示されているのがD51形の車両です。

■負傷者を運ぶ
 戦争と機関車、鉄道にまつわるエピソードは県内に数多くあります。その一つが「原爆救援(げんばくきゅうえん)列車」です。

「原爆救援列車」が負傷者を乗せた場所近くの長崎市三芳町には、説明板や機関車の車輪などが設置されています。救援列車が出発した西彼杵郡長与町のJR長与駅前にも車輪を活用した平和モニュメントがあります

 45年8月9日に原子爆弾(ばくだん)が投下された時、長与(ながよ)駅に停車していたのがC51形がけん引する「311列車」。救援列車として長崎に急行し、負傷者(ふしょうしゃ)約700人を乗せて諫早(いさはや)まで運びました。この日は計4本の救援列車が運行し、約3500人の負傷者を諫早や大村、川棚(かわたな)、早岐(はいき)などに搬送(はんそう)しました。

■引き揚げ列車
 戦後は中国や朝鮮(ちょうせん)半島から約140万人が佐世保市の浦頭(うらがしら)港に引き揚(あ)げてきました。近くの南風崎(はえのさき)駅を始発とし東京などに向かう専用(せんよう)列車(引き揚げ列車)は5年間で千本以上運行されました。

■“世代交代”へ
 戦後の復興(ふっこう)と共に人の往来(おうらい)が活発化する中、鉄道の利用(りよう)も拡大していきました。ただ、蒸気機関車はエネルギー効率(こうりつ)が低く、補修(ほしゅう)に手間がかかる上、煙害(えんがい)も問題となり、各地で廃止(はいし)に。軽油を燃料(ねんりょう)とするディーゼル車や電気機関車に“世代交代”が進みました。
 一方、明治-昭和時代の雰囲気(ふんいき)などが味わえると、観光列車として今も活躍している蒸気機関車もあります。SLやまぐち号(山口県-島根県)、SLばんえつ物語(新潟(にいがた)県-福島県)など全国で十数カ所運行されています。
 現在、県内で蒸気機関車が保存されているのは、壱岐市の8620形や佐世保市のD51形を含(ふく)め4両だけ。諫早市宇都(うづ)町の県立総合(そうごう)運動公園のC57形は機関室にも入ることができ、子どもたちに人気です。島原市弁天(べんてん)町2丁目の霊丘(れいきゅう)公園には、島鉄がディーゼル車に切り換(か)える68年まで運行していたC12形が展示されています。

C57形の展示車両=諫早市、県立総合運動公園

 吉村さんは「蒸気機関車は時代をけん引してくれました」と振(ふ)り返ります。そして、令和の子どもたちに向けて「技術(ぎじゅつ)の進歩により、現在の新幹線(しんかんせん)などはとても快適(かいてき)です。新型コロナウイルス感染(かんせん)の収束(しゅうそく)後は、鉄道の旅を楽しみながら、知らない土地を訪(おとず)れ、多くの人と触(ふ)れ合って視野(しや)を広げてほしい」と話しています。