<書評>『群島から』 言葉への純粋な愛情

 生涯を詩作に懸けることは、理想に身を捧(ささ)げる営為にも等しい。詩に接すれば書き手の思想や心性が自(おの)ずと伝わってくるものだが、高良勉『群島から』はその度合いが濃い。著者の内面が、ことに善性を湛(たた)えて前景に迫り出してくるさまは、全身で受け止めるほかない。詩集は四章から成る。奄美大島、喜界島、多良間島、久高島……と南洋の島を舞台としたⅠ章。深い親交が窺(うかが)われる故人への追悼詩や、近しい詩人への詩を収めたⅡ章。琉球古語をも用い、舞や歌をモチーフとして、新たな南島歌謡を創出するⅢ章。島の生の現状を見つめる著者の肉声が色濃く感じられるⅣ章。地、人、文化、生活、とおおまかに各章を捉えつつ、この本のタイトルに立ち返ると、高良の心に浮かぶ〈群島〉とはいかなるものかが浮かびあがってくる。
 詩集冒頭の詩がなぜ「奄美断唱」なのか。そこには〈奄美群島へ来るたび/ヒリヒリこみ上げて/来るものは何だ 大熊/私のウヤファーフジ(祖先)が/侵略し征服し収奪した島々〉とある。加害の歴史から目を逸(そ)らさないのもまた思想だ。過去の罪を糊塗(こと)すれば、悲劇はくり返される。己を律する詩が、転じてⅡ章ではやさしさの声を帯びる。〈あなたほど/自己の内面と闘い/自己と他者に/自立を願い/連帯を祈った人はいない〉(「もういい」)。続くⅢ章では古語をふまえた歌の言葉がのびやかに舞う。〈あ あまん あまみきょ あまみちゅ/し しなん しねりきょ しるみちゅ〉(「うやがんまい(祖神舞)」)。どの章も〈群島〉への眼差(まなざ)しに善性が顕わだ。
 書くべきと信じるところを書き、抒情(じょじょう)に抑制的な文体とは、理不尽と闘う者の姿ではなかろうか。読み進めるにつれ、高良の誠実さがひしと胸に来るが、島の夜道、山羊料理店、白金線の熱など身体を潜った言葉に満ちたⅣ章で、オノマトペに詩情の素顔を垣間見る思いがした。〈ドドーン ゴーナイ/ゴーナイ ゴーゴー〉(「海鳴り」)。背負う荷が重くとも、言葉への純粋な愛情は自然と湧き出してやまない。
 (白井明大・詩人)
 たから・べん 1949年、南城市玉城生まれ。1979年、第1詩集「夢の起源」刊行。詩集「岬」で第7回山之口貘賞受賞。評論集「魂振り―琉球文化・芸術論」など著書多数。

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