第三者委「いじめ自殺」報告を拒絶する長崎・海星高 遺族に向き合わず、隠蔽体質示す会話記録の一部始終

By 石川 陽一

長崎市の私立海星高の男子生徒が自殺した現場をお参りする両親

 2017年4月20日、長崎市の私立海星高2年の男子生徒=当時(16)=が市内の公園で自ら命を絶った。後に加害者とされる同級生の実名入りのいじめ被害を訴える手記が自宅で見つかり、学校が設置した第三者委員会は18年11月、「自死の主たる要因はいじめ」と認定する報告書をまとめた。それから2年が経過。現在も、学校側は「論理的な飛躍がある」などと主張し、自ら設置した第三者委の結論を拒絶する前代未聞の事態が続く。共同通信が入手した生徒の両親と学校側との会話記録からは、いじめ自殺を「無かったこと」にしようとする思惑が透ける。(2回続き、共同通信=石川陽一)

 ▽「突然死」「転校」提案も当初はいじめ認める

 両親は17年5月2日~18年12月14日に海星高の教職員や県の担当者と面会した際、会話を録音していた。記録を始めたのは、自殺から1週間後の出来事がきっかけだった。教頭だった武川真一郎(たけかわ・しんいちろう)現校長が父親(53)に、マスコミ対策として「突然死ということにしないか」と持ち掛け、翌日には「転校したことにもできる」と提案したのだ。

 最愛の息子を亡くしたばかりの両親は「身も心もボロボロだった」と当時を振り返る。母親(48)は食事と睡眠をろくに取れず、ふさぎ込んでやつれていった。そんな状況での武川氏の提案。父親は一瞬だが「そういうものなのかな。言うとおりにしておけば、学校は遺族の不利益になることはしないだろう」と考えたという。自殺が世間に知られれば、報道陣が押し寄せてくるのでは、との恐怖心や、親として子どもの悩みに気付けなかった自責の念もあった。

 一方で自殺の事実を偽ることへの違和感はぬぐえなかった。母親は知人に相談した。「絶対におかしい。受け入れたら全て無かったことにされるよ」と忠告され、目が覚めたという。「学校は隠蔽(いんぺい)しようとしているのでは」との不信感を抱くようになった。

加害者の実名が記された生徒の手記を手にする母親

 生徒が亡くなった現場には、いじめをにおわせる遺書が、自宅には「さんざんdis(ディス)られた」「どいつもこいつも顔を思い出すだけで頭痛がする」と心情を吐露したメモが残されていた。5月4日には、生徒の部屋で加害者とされる同級生の実名入りでいじめの被害を訴える手記も見つかった。そこには、中高一貫の海星中3年の時から授業中におなかが鳴る音をからかわれたなどの記載があった。

 両親は、息子の自殺はいじめが原因と確信。「二度と同じ悲劇を繰り返さないために、学校は再発防止に努めてほしい」との思いを強めた。

 2日後に武川氏と面会。手記のコピーを手渡して「学校側は今回の件をどう捉えているのか」と問いただした。武川氏は「これはいじめでしょうね」「私たちは生徒に相手がいじめと認識したらそれはいじめだと言っている」などと認め、言動について在校生を指導する考えも示した。

 ▽過去の生徒自殺は「いちいちメモしてないから」

 5月15日には、生徒の死後、初めて当時の校長だった清水政幸(しみず・まさゆき)氏が両親の前に姿を現した。「心の悩みに気付くことができず、非常に大きな責任を感じている。本当に申し訳ない」「死を無駄にしないように、教職員一同、教育の原点に立ち戻る」などと陳謝した。

 だが、両親は「言葉通りに受け取ることはできなかった」と話す。この時点で内部進学生とその保護者のみにしか自殺を公表しておらず、いじめの事実を在校生に伏せていたからだ。文部科学省がガイドラインで学校側の義務と定めている自殺の原因究明や再発防止について、具体的な説明も一切なかった。自殺から約1カ月が経過して、ようやく校長が出てきたことに「何を今さら」という気持ちもあった。

 両親はその席で第三者委員会の設置や、いじめを公表して再発防止に努めることを文書で要請した。6月4日の面会でも改めていじめを在校生に伝えるよう求める文書を手渡した。学校側は7月7日、ようやく自殺といじめを示唆する手記の存在を全校生徒に公表。同24日には、学校が設置した弁護士ら有識者5人で構成する第三者委の初会合が開かれた。

 教職員が月命日のたびに自宅を訪れてお参りしていたこともあり、その後も月に数回の頻度で面会は続いた。会話の流れは毎回、似通っていた。いじめと向き合って再発防止に努めるよう両親が依頼し、学校側は適当にはぐらかすのがパターン化していた。

長崎市の私立海星高

 海星高では1999年にも生徒がマンションの屋上から飛び降り自殺していた。母親は10月20日の面会で事実なのか確認した。武川氏は「そういうことは、いちいちメモして記録してるわけじゃないから」と淡々と回答。「息子の件も時間がたてば同じように扱われるのかな」。両親は不信感を強めたという。

 11月以降は、第三者委の結論が出ていないことなどを理由に、両親の要求をきっぱりと拒むことが増えた。生徒指導の責任者に今後の方針を聞きたいとの要望は「第三者委の中からそういう話は出てきていませんので」(11月2日、清水氏)。自殺の説明のために全校保護者会を開かないのか、との質問には「今までそういうことはやっていませんので」(11月20日、清水氏)。

 両親が何度も頼み込んだ、加害者とされる同級生への指導についても同じ対応だった。「第三者委に言われない限りは(やらない)。全て任せてますので」(11月20日、清水氏)。「第三者委(の調査結果)が出た後はやっていこうと思う。どんな結論を出そうとも、それを尊重して動く」(18年1月31日、武川氏)

 災害共済給付制度を運営する日本スポーツ振興センターへの死亡見舞金の申請も「第三者委の報告書ができていない」(18年1月31日、武川氏)と拒否した。

 もう一つ、両親が重視したクラスでのいじめや命の大切さについての話し合いも、言い訳を重ねて、結局実施されることはなかった。

 ▽「損害賠償請求権を放棄するなら死亡見舞金の申請を考える」

 教職員間で情報共有をしていない実態も浮き彫りになった。自殺から11カ月となった18年3月20日には、当時の担任と学年主任が、加害者として挙がった同級生の名前を「知らされていない」などと述べ、担任は全ての遺書や手記を読んでいるわけではないと釈明。4月18日には、大森保則(おおもり・やすのり)教頭が「改めて名前は知らせていない」と発言し、幹部のみに情報をとどめていることを認めた。

 その対応が適切なのか。問いただすと、武川氏は「一般的な指導しか私たちはできない」と正面から答えようとしなかった。母親は「残された生徒の心をケアする気は無いのだなと思った。加害者が思い詰めたり、あるいはまたいじめを繰り返したりする可能性を考慮しなかったのか」とあきれ返った。

 翌月から学校側が月命日のお参りを取りやめ、面会は途切れた。次に両者が顔を合わせたのは、約1年4カ月の調査を経て第三者委が「いじめが自死の主たる要因」と認定した後だった。12月14日、両親は久しぶりに海星高を訪れた。結果的にこれが最後の直接のやりとりとなった。

 報告書は11月19日にまとまったが、学校側に「読み込むための時間がほしい」と要望され、この日が受け取りだった。「当然、再発防止のための対策や方針を示してもらえるのだろう」。父親は期待したという。

 だが、対応した坪光正躬(つぼこう・まさちか)理事長は「県や顧問弁護士の指導を得て検証を加え、適切に対応したい」と話し、いじめについて言及しなかった。いぶかしんだ母親が「いじめと自死の因果関係は認めてくれるのか」と尋ねると、武川氏が「具体的なことについては検証する」と答えるにとどめた。

報告書の「いじめが自死の主たる要因」と書かれた部分

 想定外の事態に両親は困惑した。報告書が学校側に求めた、いじめ防止を訴える「第三者委からのメッセージ」の生徒への配布は「顧問弁護士に相談する」、加害者とされる生徒への指導は「検討して精査する」(いずれも武川氏)。坪光氏は「対応がどういう形になるかというのは、今ここでお話しできない」と一方的に告げ、机上の書類を片付け始めたという。

 その後は双方の弁護士間でやりとりが始まり、学校側は翌19年1月、報告書の受け入れを拒否すると通知。さらに翌月、学校側は「損害賠償請求権を放棄するなら死亡見舞金の申請を考える」と持ち掛けたという。結局、両親は自ら日本スポーツ振興センターに申請。20年3月27日に第三者委によるいじめの認定を踏まえ、給付が決まった。学校側は現在もいじめ自殺を認めず、膠着(こうちゃく)状態となっている。

 学校側は自殺原因についての見解を両親に示していない。11月4日付で送付した共同通信の質問状にも答えていない。父親は「自分たちは間違っていないと主張するのなら、正々堂々と言い分を明らかにするべきだ。いつまでも逃げ続けるのは卑怯すぎる」と憤った。

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