佐野元春のフィルムコンサート「ノー・ダメージ」~ 終わりははじまり 1983年 7月18日 佐野元春のフィルムコンサート「No Damage」が中野サンプラザで開催された日

フィルムコンサートでアーティストの姿を確認!

2020年12月現在、新型コロナウィルスの感染拡大は、収束の糸口が見つかることなく、アーティストや音楽関係者にとっては暗中模索の日々が続いていることだと思う。そんな逆境の中の新たな試みとして、急速に増えつつあるのがライブ配信だ。小さなライブハウスから大物アーティストまで、新しいライブのかたちとして、アーティスト側、オーディエンス側にも定着しつつある様子だ。

サザンオールスターズが6月25日に行った横浜アリーナにおける無観客配信は視聴者数が約18万人。山下達郎もまた、45年のキャリアの中で初といえる配信ライブ『TATSURO YAMASHITA IT A SUPER STREAMING』を行い、2018年にキャパ数50人のライブハウス「拾得」で行われたアコースティックライブの映像などを披露。ライブごとにチケット争奪戦が繰り広げられるアーティストのファンにとっては嬉しいライブ配信だったと思う。

そんなライブ配信の話題から思いを馳せるのが、70年代から80年代にかけて頻繁に行われていた “フィルムコンサート” だ。僕が音楽を聴き始めた80年代前半は、インターネットはもとより、ビデオデッキの普及もままならない時代だ。テレビに出ないアーティストの演奏する姿を拝めるのはリアルなコンサートのみであり、長尺のライブパフォーマンスが見れるフィルムコンサートは、リアルなコンサートと同等の価値があるものだったと思う。

ちなみに、家庭用ビデオデッキがさほど普及していない時代だったせいもあるのか、西新宿の片隅のビデオショップで売られていた海賊版(ブートレグ)のライブビデオソフトは、海賊盤で30,000円台という恐ろしく高額な値段で取引されていた。

さて、80年代初頭のフィルムコンサートの主体は洋楽アーティストだったと思う。来日すらままならない… 例えばローリング・ストーンズや、すでに解散を表明していたレッド・ツェッペリンなど、海外のライブの模様を名画座映画館のプログラムや、公民館を借りて上映するわけだ。なかには一度に様々なアーティストのライブを上映することもあり、雑誌やレコードでしか知ることの出来なかったアーティストの姿を確認できる貴重な機会だったと思う。

佐野元春「Rock’n Roll Nightドキュメンタリーフィルム No Damage」

前置きが長くなってしまったが、僕個人が忘れられないフィルムコンサートというのが、1983年7月18日に中野サンプラザで行われた佐野元春の『Rock'n Roll Nightドキュメンタリーフィルム No Damage』だ。

厳密に言えば、これは1本の映画であり、1982年から83年のツアー『ロックンロール・ナイト・ツアー』の詳細を編集したライブドキュメンタリーであった。この『Rock'n Roll Nightドキュメンタリーフィルム No Damage』は、当時この日の中野サンプラザを皮切りに順次全国のホールで公開され、現在は『Film No Damage』がDVD化されている。

この上映会のちょうど3ヶ月前、『ロックンロール・ナイト・ツアー』の最終日、同じく中野サンプラザで元春は、僕らに残してくれたバラッド「グッドバイからはじめよう」と共に「ニューヨークへ行くんだ」という言葉を残して旅立っていった。その場所で立ち尽くしていた15歳の僕は、元春のことばかり考えるようになっていた。「彼女はデリケート」が、「ガラスのジェネレーション」が、「スターダスト・キッズ」がいつも僕の頭の中で鳴り響いていた。

かつて作家の松村雄策氏は、ビートルズに夢中だった十代の頃「ロンドンは今○時だ。ジョンとポールは何をしているんだろう」と考えていた… と書かれていたが、僕も同じように「ニューヨークは今○時だ。元春は何をしているんだろう」とぼんやり考えるようになっていた。

佐野元春とジム・ジャームッシュの共通項は?

『Film No Damage』には、「悲しきレイディオ」や「ハッピーマン」といった僕の好きな、唸りを上げるような元春のロックンロールが凝縮されていた。そして、16ミリフィルムで撮影されたざらついた感のある映像は、未だ観たことのない世界観で、遠いどこかに連れて行かれるような感覚に陥ったことを今も覚えている。

極めて私的な感想だが、 それはジム・ジャームッシュの映像作品を観たときと同じ感覚だったように思えた。具体例を挙げるならば、彼のロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台にしたオムニバス映画「ナイト・オン・ザ・プラネット(Night on Earth)」に近い感覚だった。

この映画は、先述の5都市におけるタクシーの中でのありふれたやり取りを通じて “人生という旅” を強烈に意識させるものであったが、『Film No Damage』がライブ映像以外に施したディティールからは、時空を行き来しながらも、旅、ロード(路上)をというイメージを強く感じた。

そして、同時期にリリースされたベストアルバム『No Damage』の副題「ありふれた14のチャイムたち」 というのも絶妙だった。この、『Film No Damage』と『ナイト・オン・ザ・プラネット』ふたつの映像には50年代のヒップなアメリカン・ユースカルチャー “ビート・ジェネレーション” という共通項があったことを後になって知る。

80年代の吟遊詩人、佐野元春の “終わりは はじまり”

1988年に刊行された『現代詩手帖』での「総特集ビート・ジェネレーション」(後に『ビート読本』として再刊)で、元春は詩人で翻訳家である諏訪優と対談している。そこで50年代の吟遊詩人、ビート・ジェネレーションを語る上で不可欠な存在の作家ジャック・ケルアックや、詩人アレン・ギンズバーグなどに若い頃から深く傾倒していたことを僕は知る。

つまり、50年代の吟遊詩人たちが、人生を旅と捉えていたように、元春もまたそのように捉え、『Film No Damage』の制作に取り組んだのではないか… と当時夢想した。そして、この時期の元春はまだまだ旅の始まりだったということを、このフィルムコンサートの翌年の5月21日にリリースされた『VISITORS』で知るのだ。

いち早くヒップホップの要素を取り入れた問題作『VISITORS』で元春は、初期三部作で築いたロックンロールと決別し、新たな道標を模索していた。しかし、このアルバムの中で描かれたリリックは、まさに『Film No Damage』で描かれた世界観に通じるものだったと、僕は後になって気づく。

「グッドバイからはじめよう」で「終わりは はじまり」と歌った元春のその真意を、映像の中で、そして「VISITORS」を聴き少しずつ分かってきた。旅の終わりは、はじまりであり、人生という旅はずっと続いていく。そしてその真意を元春は今も見据えている。

あの暑い夏の日の午後、満席の中野サンプラザで観たざらついた質感の16ミリは、単なる懐かしさではなく、音楽の旅の起点として今も心の奥に残っている。

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カタリベ: 本田隆

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