保留選手名簿から外れても、退団とは限らない!? 自由契約から残留した選手たち

ソフトバンクのアルフレド・デスパイネ(左)とジュリスベル・グラシアル【写真:藤浦一都】

保留者名簿の提出期限までに合意に至らなければ、名簿から外さなければならない

日本野球機構(NPB)は2日に2021年度の契約保留者名簿と自由契約選手を公示。保留者名簿に記載されているのは支配下選手のうち各球団が来季の戦力として権利を持つ選手だが、一方で名簿から外れた132選手は自由契約となった。

ただ、特に外国人選手の場合、保留選手名簿から外れ、自由契約となっても、それで即退団が決定するわけではない。残留オファーを出していたとしても、契約の交渉を進めていく中で、保留者名簿の提出期限までに条件で合意に至らなければ、一旦は保留者名簿から外さなければならない。その後、例えばメジャー球団との交渉が不調に終わったりして残留となるケースもある。

過去にも保留者名簿から外れて自由契約になっても、その後、契約交渉がまとまり、残留が決まった選手もいる。例えば、ソフトバンクのグラシアルは2018年オフ、2019年オフに自由契約となっている。これは契約が切れ、キューバ政府との交渉が長引いたためで、結局は残留が決まり、今季もソフトバンクでプレーした。2019年オフには同様にデスパイネも一度は自由契約となっている。

また2018年オフには阪神のドリス(現ブルージェイズ)が保留者名簿から外れて自由契約になった。ただ、その後、残留が決まり、2019年も阪神でプレー。今季はMLBのブルージェイズで活躍した。また日本ハムのマルティネス、ヤクルトのハフもこの年、一旦は自由契約となり、その後、それぞれのチームに残留している。

日本人でも坪井や多田野ら自由契約から再契約を結んだ珍しい例も

また、日本人選手でも自由契約として公示された後に残留が決まった珍しい例もある。2006年、日本ハムの坪井智哉は坐骨神経痛、右肩の故障などで25試合の出場に留まりシーズンオフに戦力外通告を受けた。12球団トライアウトを受けるも獲得球団は現れなかったが、年俸9000万円から大減俸となる2000万円で日本ハムと再契約。翌年の2007年シーズンは開幕スタメンを勝ち取った。

2010年の日本ハム・多田野数人も戦力外から再契約を果たした1人。同シーズンはわずか2試合の登板に終わりオフに戦力外通告。坪井と同じく12球団トライアウトを受けたが他球団と契約できずに日本ハムと再契約。近年では2018年、日本球界復帰1年目で36試合に登板した巨人の上原浩治がオフに左膝のクリーニング手術を受けて一度は自由契約として公示された。だが、12月に巨人と再契約して翌2019年に現役を引退した。

この日発表された保留選手名簿では、ソフトバンクのムーアや西武のギャレット、阪神のスアレス、ロッテのチェン・ウェインといった今季活躍した面々が外れている。各球団は残留を望んでいると見られるが、果たして。今後の去就の行方が気になるところだ。(Full-Count編集部)

© 株式会社Creative2