【WWE】殿堂入り名選手パット・パターソンさんが死去 猪木とも激闘

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アントニオ猪木㊧と旧交を温めるパターソンさん(2010年3月)

WWE初代インターコンチネンタル王者で「ロイヤルランブル戦」考案者でもある往年の名レスラー、パット・パターソン氏が死去した。2日(日本時3日)WWE公式サイトが報じた。79歳だった。死因は明かされていないが、一部メディアによると、ここ数年はがんで闘病生活を送っていたという。

カナダ出身のパターソンさんは、1958年に17歳でプロレスデビュー。NWAやAWAなどで活躍後、79年からWWF(現WWE)に参戦。同年9月には初代インターコンチネンタル(IC)王者となった。同王座は日本の中邑真輔(40)も戴冠している。

IC王者となるや、WWFヘビー級王者ボブ・バックランドと抗争を展開。米ニューヨークのマジソンスクエアガーデン(MS・G)で3か月連続、WWF王座に挑戦した経歴も持つ。

84年に現役を引退。96年にはWWF殿堂入りした。WWEではクリエーティブ部門プロデューサーなどを務め、毎年1月に開催されるロイヤルランブル戦(時間差入場バトルロイヤル戦)も考案した。

日本との縁も深く68年4月、日本プロレスに初来日。同年の「第10回ワールド・リーグ戦」でジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎らと対戦した

また、73年12月にはジョニー・パワーズをパートナーに、北米タッグ王者として新日本プロレスに来日。同月7日大阪では猪木、坂口征二組を相手に、日本で初めて同王座防衛戦を行った(王者組の防衛)。77年12月1日には、大阪で猪木のNWFヘビー級王座にも挑戦している(猪木の防衛)。

今回の訃報に際し、WWEスーパースターズも、ツイッターで続々と哀悼の意を捧げた。「彼は初代インターコンチネンタル王者であり、ロイヤルランブルの父でした。心から感謝しています」(ステファニー・マクマホン)、「WWEにとって本当に痛い損失だ。安らかに眠れ。神のご加護がありますように」(ローマン・レインズ)、「彼が我々に残してくれた影響の大きさは言葉にできない。パット、心から愛している」(トリプルH)。

WWEをリングの内外から支え、日本でも愛された名レスラーは、誰からも惜しまれて天に召された。