ミナト横浜・復興のシンボル 戦後初の高層ビル「横濱ビル」解体へ

1950年に竣工した横濱ビル=横浜市中区

 横浜で戦後初めて建設された高層ビル「横濱ビル」(横浜市中区)が、取り壊されることになった。レトロモダンなビルとして、市民に親しまれて70年。管理会社は老朽化を理由に、年内をめどにテナントや店舗との契約を終える方針を伝えており、来年以降に解体される見通しだ。ミナト横浜で戦後復興の面影を伝える歴史的建造物が、また一つ姿を消す。

 同ビルは鉄筋コンクリート造地上6階、地下1階建て。日本郵船歴史博物館に隣接し、「クイーンの塔」として親しまれる横浜税関など歴史的建造物が並ぶ海岸通りに立地している。モダニズム建築の流れをくむ直線的なデザインが特徴で、天井が高く広々としたエントランスや真ちゅうの手すりのついた階段などに建設当時の面影が残る。

 竣工(しゅんこう)は1950年12月。第2次世界大戦後、経済復興を急ピッチで進めるために貿易機能の回復が求められていたが、横浜大空襲の被害や進駐軍の接収を受けた横浜港は営業拠点の確保が困難だった。そのため横浜貿易協会のメンバーや日本郵船など約50社が出資して管理会社を設立。接収が解除された日本郵船の土地に同ビルを建設した。

 当時は市内最大級の近代的高層ビルで、横浜港関係者は「まさに戦後復興のシンボル。関内地区のランドマークともいえる建物だった」と口をそろえる。耐震補強や最新設備への更新で、レトロモダンなビルとしてテナントや店舗から人気が寄せられていた。

© 株式会社神奈川新聞社