なぜ「ドラ1」でもわずか3年で戦力外に? 経験者が振り返る“つまずきと悪循環”

楽天から戦力外となった近藤弘樹(左)とソフトバンクから戦力外となった吉住晴斗【写真:荒川祐史、福谷佑介】

今オフは2017年ドラ1の3投手が戦力外&自由契約に

新型コロナウイルス感染拡大による異例の2020年シーズンを終え、各球団では来季に向けた戦力整理や補強が進む。今オフも多くの選手の入れ替えがある中、わずか3年で戦力外を告げられるケースも少なくない。中には、ドラフト1位で指名を受けた選手も。なぜ、栄光の「ドラ1」でも短期間で非常通告を受けることになるのか――。

今オフも、2017年のドラフトで1位指名を受けた3投手が岐路に立たされた。楽天の近藤弘樹投手はこの3年間で通算17試合にとどまり、0勝4敗、防御率7.00。未勝利のまま戦力外通告を受けた。ソフトバンクの吉住晴斗投手は、最速151キロを誇る将来性豊かな投手として期待されたが、3年目の今季は2軍戦での登板もなかった。さらに巨人の鍬原拓也投手も故障のため自由契約となり、育成選手として再契約する見込みだ。

過去にも3年以内で戦力外となったドラ1は少なからずいる。直近では、2017年限りで中日から戦力外通告を受けた野村亮介氏も、そのひとり。静清高から三菱日立パワーシステムズ横浜(現・三菱パワー)をへて入団。150キロに迫る直球と落差のあるフォークを武器にエースナンバー「20」を背負ったが、プロ1年目は中継ぎでの3試合登板で防御率10.13。2年目以降は1軍登板すらなく現役生活に別れを告げ、2018年からチームで打撃投手を務める。

野村氏がプロでのきっかけを掴めなかったひとつには故障の“悪循環”がある。ルーキーイヤーから右肩痛でつまずくと、心機一転で挑んだ2年目も1月に右肩を痛めて出遅れた。リハビリをへて調子が上向いてきた頃、今度は夏場に右足内転筋の違和感でペースダウンした。

中日2014年ドラ1右腕も…落合GMからは「即戦力で取ってない」

即戦力のドラ1に求められるのは、一にも二にも結果。野村氏は、高卒社会人2年でプロ入りしていたため1年目は大学3年生の世代だったが、当時GMだった落合博満氏から「お前を即戦力ではとっていない。1年目は1軍で投げなくてもいい」と言われたこともあったが、周囲の目はそうでもなかった。野村氏も「とにかく結果を出さなければいけないと思った」と振り返る。

出だしの遅れを取り戻そうと、前のめりになり過ぎて無理をした結果、再び故障につながったのではないか――。野村氏はあくまで「自分の体が弱かっただけ」と自らを責める。その一方で「しっかり考えて行動するというより、とにかくいい球を投げることだけ、結果を出すことだけしか考えていなかったです」と振り返る。一度立ち止まって自らが置かれている現状を省みることなく、ただ目の前の結果を求めた一面ものぞく。

“たられば”はない勝負の世界。もちろん、選手自身の能力やプロとしての適性、運など内外の様々な要因が重なって短命に終わってしまった側面もあるだろう。ただ、「ドラ1」という特別な立場が与える期待や責任、重圧があるのもまた事実……。活躍しようが、不本意な成績で終わろうが、最後まで注目される存在なのは間違いない。(Full-Count編集部)

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