西武ドラ2左腕が背負う故郷・青森からの期待 38年前に聖地でノーノー喫した母校から初のプロ

西武からドラフト2位指名を受けたNTT東日本・佐々木健【写真:宮脇広久】

高3夏に左肘痛「あの時無理をさせなくてよかった」

西武は6日、ドラフト2位で指名したNTT東日本の最速152キロ左腕・佐々木健投手と都内のホテルで交渉し、契約金7000万円、年俸1350万円で仮契約を結んだ(金額は推定)。プロ球界では数少ない青森県出身で、母校の木造(きづくり)高からは初のプロ野球選手ということで故郷からも熱い期待が寄せられている。

青森出身といえば、西武OBでロッテ在籍を最後に今季限りで現役引退した細川亨氏(元捕手)、西武で同僚となる外崎、ロッテの種市らがいるが、極めて少数派だ。佐々木は「僕の幼い頃は、青森からプロ野球選手なんて夢のまた夢。最近少し増えてきている中で、自分もその一員になれてとても光栄です」と照れた。

岩手の富士大、社会人を経て入団する即戦力候補だが、故郷への思いは格別だ。「地元の人口も、母校(木造高)の野球部員数も減っていると聞いているので、僕がプロ野球選手になることで注目してもらい、部員が増えればうれしい。母校に協力できることがあれば、やっていきたい」と語る。

木造高は38年前の1982年の夏、春夏を通じて唯一の甲子園出場を果たしているが、初戦で佐賀商のエース・新谷博氏(後に西武、日本ハムで通算54勝)に9回2死までパーフェクトに抑えられ、27人目の打者が死球で出塁したものの、結局ノーヒットノーランを喫し0-7で敗れた。この一戦は当時全国的にも話題になった。

佐々木の恩師で、現在、木造高の野球部長を務める成田崇範氏は、前日の5日に本人から電話であいさつを受け「地元にとっては甲子園出場以来の大きな話題です。我々はなんとかもう1度甲子園に出場してヒットを1本打ちたい、名誉挽回したいと頑張っています。佐々木のプロ入りは励みになります」と大喜び。たった1度の甲子園は佐々木が生まれる前のこと。現在49歳の成田氏にとっても小学生時代の出来事だが、歓喜と痛恨の両方を含んで、地元にくっきりと刻まれた伝説なのである。

木造高の野球部長を務める成田氏「当時の佐々木は、とにかく物おじしなかった」

成田氏は佐々木の1、2年生時に野球部長、3年時には監督を務めた。「当時の佐々木は、とにかく物おじしなかった。年1回、6月上旬に関東遠征をして強豪校と練習試合をしていましたが、気後れする選手がほとんどの中で、佐々木だけは平然としていた。よほど自信があったのか、それとも天然だったのか……」と苦笑交じりに振り返る。

実際、佐々木はこの日の記者会見でも、プロで対戦したい打者として、楽天・浅村と日本ハム・中田の名前を挙げ、「威圧感があるが、どこまでチビらずに戦っていけるか楽しみです」と言い切っている。木造高の“エースで4番”だった佐々木だが、3年の夏は左肘を痛め、3回戦で敗退している。

「佐々木自身が『上(大学生、社会人)で野球を続けたい』と言っていましたし、プロのスカウトからあいさつを受けていたほどだったので、私は『壊すわけにはいかない』ということを第一に考えました」と当時のことを思い出す。こうして佐々木がプロのスタートラインに立ったことで、成田氏は「あの時無理をさせなくてよかった」と万感の思いを抱いている。

今オフに日本ハムから金銭トレードで獲得した吉川らとともに、慢性的な左腕不足解消の切り札として期待されている佐々木。故郷からのエールも背に受け、精いっぱい腕を振る。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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