8thアルバム『f』はポップセンスを損なうことなく、自身のルーツを露わにした福山雅治、10年目の傑作

『f』('01)/福山雅治

今月は大物アーティストの新作ラッシュだが、その中でも6年8カ月振りのオリジナルアルバムということで大きく話題となっているのが、12月18日にリリースされた福山雅治の12thアルバム『AKIRA』だ。当コラムもそれに便乗させてもらって福山雅治のこれまでの作品から一枚を取り上げる。彼のシングルで最高セールスを記録した「桜坂」が収録されており、アルバム自体もオリジナル作では最高売上を誇る『f』が福山雅治の名盤であろうと脊髄反射的に本作をチョイスしたのであるが、今回初めて『f』を聴いてみて、彼のアーティスト性がよく分かる、原典にも近い作品であることを確信させられた。

当代の随一のポップスター

「天は二物を与えず」とは言うが、この人のことを考えると“ことわざにも例外があるのだなぁ”と何かしみじみとさせられてしまう。優秀なシンガーソングライターというのはそれだけで楽曲制作と歌唱という才能を兼ね備えた存在であるがゆえに、ヒットした持ち曲を持っているというのはすでに天から二物を与えられていると言っていい。それなのに(?)、みなさんご存知の通り、彼は50歳をすぎた今でもイケメンランキング的なものでは常に上位に選ばれているので、ここでさらに一物が加わっていることになる。

また、俳優としてテレビドラマ、映画で活躍していることも周知の通りで、これでもう一物。もっと言えば、彼はラジオパーソナリティーとしても安定した人気を誇っている。デビュー当時から自身の番組を持ち、現在も3番組が放送中であるからして、ラジオでの顔も一物と言ってよかろう。これだけで五物。麻雀なら満貫である。まだある。声がいい有名人ランキングなどでも上位にランクされたりする上に、写真家として作品展を開いていたりするので、あれやこれやと探ったら倍満(十物)は確実だろう。もしかすると数え役満(十三物以上)に届くかもしれない。親なら16,000点オールである。数え役満は当然のこと、倍満ですらなかなか上がれるものではない。卓を囲む他のメンバーが実力者であればなおのこと、である(芸能界、音楽界はそういうところ)。麻雀をしない人には何のことかさっぱり分からないかもしれないが、とにもかくにも、福山雅治は比類なき当代の随一のポップスターである、ということである。

上記ポップスターの“ポップ”とは“ポピュラー音楽”という意味であり、字義通りの“一般的に知られている”や“大衆的な”という意味としても、わりと何も考えずに“ポップ”という言葉を使ってみたのだけれども、ポップスター・福山雅治の音楽がすなわち大衆的なのかと言ったら、これが必ずしもそうではない。そこが彼の興味深く、奥深いところではないかと思う。シングルでは「Good night」(1992年)以来、アルバムでは『Calling』(1993年)以来、ずっとチャートでトップ10入りを果たしているアーティストを捕まえて“必ずしも大衆的ではない”とは何事かと自分でも承知はしている。言い換えるならば、老若男女、誰にとっても分かりやすい音楽だけを提供しているわけでない──そんな感じだろうか。アルバム『f』だけに話を絞れば、歌の主旋律に関して言えば難解なものはほとんどないと言っていいし、サウンドにしても過度にノイジーなものや実験的なものもない。おそらく他の作品でもこのラインは大きく変わってないだろう。しかし、かと言ってここに収められている楽曲が、全ていわゆるJ-POPと呼べるものかと言ったら、そう単純なものではないのである。

ここからは“if…”の話。もし、このアルバム『f』が未発表のまま、その収録曲のいくつかを福山雅治以外のアーティスト、あるいはバンドがコピーして、それを福山ファンが初めて聴いたとすると──これは筆者の勝手な想像ではあるが、全員が全員、無条件に“素敵!”や“カッコ良い!”とはならないように思う。さすがに“嫌い”とはならないまでも、“渋い”といった感想が多くなるように予想する。また、福山雅治の音源をまったく聴いたことがない人に──できれば、勝手な先入観で食わず嫌いしてるロックオヤジが望ましいが、その人にアルバム『f』聴かせたとする。たぶん、“なかなかいい音、出してるじゃん”みたいなことを言うと思うし、“このギターフレーズは…”とか“このブラスセクションは…”とかうんちくを語り出すのではなかろうか(ていうか、これは今でも試せる可能性もあるのでやれる人は是非トライを!)。

まぁ、随分と大袈裟な“if…”を語ってしまったけれど、それほどに福山雅治を俯瞰で見た時の人物像と、アルバム『f』に収められた音像とに──あくまでも個人的には…と前置きするけれども──いい意味でのギャップを感じるのである。

「桜坂」をアルバム前半に配置

オープニング曲、M1「友よ」からしてそうである。渋い。アコギのかき鳴らし、歪んだベースの音は実にワイルドでカッコ良い。楽曲を構成している楽器はこのふたつに加えてカホンだけと極めてシンプル。それでいてグイグイと迫って来るような音像で、とてもスリリングだ。一発録りだという。

《友よ走れるか 風のような街を/熱い鼓動を感じるか いまもまだ》(M1「友よ」)。

歌詞もアツい。少なくともクールではない。人によっては暑苦しいと感じかもしれない。外形などから想像するスタイリッシュなイメージと真逆…とまでは言わないまでも、硬派なロックミュージシャンであることがうかがえる楽曲ではあろう。

ただ、福山に限らず、アルバム作品ではこういうことはままあるので、“掴みはこんな感じね”なんて思いつつ聴いていくと、次は14thシングルとして発表されていたM2「HEAVEN」。ラテン調のナンバーで音像も完全にそれなので、本来なら泥臭くなっても仕方がないと考えられるのだけれど、聴き応えはそうでもない。それは歌のメロディーなどに関係しているのかもしれないが、おそらく彼の歌声によるところも大きいように思う。独特の艶っぽさがあるのである。セクシーと言ったほうがいいかもしれない。男性アーティストでこういうタイプのヴォーカリゼーションを聴かせる人はなかなかいない。M2「HEAVEN」はそんなシンガー・福山雅治の一面を打ち出しているナンバーと言えると思う。続くM3「Venus」はハワイアン調。軽快というか、しなやかというか、誤解を恐れずに言うのであれば、やや軽薄な雰囲気すらある楽曲だ。こういうポップさもまた彼の持ち味ではあるのだろう。もともとテレビドラマの劇中歌として他者へ提供したナンバーであって、そのセルフカバーなのであえてそんなふうに歌っていたのかもしれないが、いずれにしてもM1~M3までで三者三様、表情の異なる楽曲を提示しているのは、天が何物も与えた男ならではのことなのかもしれない。

そこから、佐橋佳幸と小倉博和によるギターユニットである“山弦”とのセッションから生まれたというM4「蜜柑色の夏休み」、さらに福山雅治の最大のヒット曲であり、平成を代表するナンバーと言っていい、M5「桜坂」へとつながっていく。オープニングで若干の違和感をリスナーに与えつつ、それ以降ではバラエティー豊かな楽曲の中に彼にしか成し得ないキャラクターをしっかりと注入。そして、本作がリリースされた時点ですでに福山雅治の代名詞となっていた「桜坂」に着地させる辺りが、アルバム作品として『f』の優れたところではないかと思う。前半の展開に安心感がある。M5「桜坂」の前にM4「蜜柑色の夏休み」を置いているのもいい。“山弦”が奏でるクリアなギターのアンサンブルと一点の曇りもないピュアな歌詞で構成された、それだけでも十二分に高貴なイメージのM4「蜜柑色の夏休み」が、この上なく強力な露払いとなって、M5「桜坂」を呼び込んでいる。ここはもう、ファンならずとも降参するしかない見事な曲順ではあろう。

ルーツロックへの憧憬

さて、“彼の興味深く、奥深いところ”と前述したのは、これ以降である。M6「Escape」からは、M1「友よ」で感じた硬派なロックミュージシャン像が全開になって来る。M6「Escape」はソウル、R&B;要素も取り込んだカントリー風ロックチューン。フィドルやバンジョー、アコーディオンの鳴りが印象的で、これがスタイリッシュではないとは言わないし、十分にポップなのだが、カントリーロックそのものは、[元々は、1960年代から1970年代のロック・アーティストがカントリーミュージック、フォーク、ブルーグラスなどの要素を導入した作品群から発生した。バーズやボブ・ディランのカントリー・ロック・アルバムが先駆けとなり、その後アメリカ西海岸出身のバンドであるCCRやイーグルスによって人気が確立した]というのだから、本作リリースの時点で先端の音楽ではなかったことは間違いない([]はWikipediaからの引用)。また、カントリーロックが多くの日本人にとって馴染みのあったものだったかと言われたら、それもそうではなかったであろう。一部好事家たちの支持──特に1960~1970年代をリアルタイムで過ごしたロックファンの中には当該ジャンルのファンはいただろうが、一般層にまで深く浸透した音楽ではないと思う。福山雅治自身は1969年生まれで、1970年代にしても彼が物心つくかつかないかの頃なので、リアルタイムで熱心に聴いたというわけではなかっただろう。それなのに、こういうタイプの楽曲を自らのアルバムに収めるということは、遡って音楽を漁るような、真摯な(?)音楽ファンであったことはうかがえる。

M7「HEY!」はキャッチーなサビメロを持つ、いかにもシングル曲らしいナンバーであり、“New Century Mix”とある通りアルバム収録にあたってミックスし直しているそうだが、楽曲全体から感じるのは隠し切れないルーツロック感である。これもまたベーシックにはカントリーやブルースがある。打ち込みも使っているが、バンドサウンドが主体であることや、モータウンっぽいドラミングが出て来たり、アウトロではゴスペルっぽいハーモニーを響かせたりするところにも、福山雅治の本性を垣間見れるのではないだろうか。これまたシングルナンバーのM8「Gang★」は、ブラスセクションをあしらったゴージャスなR&R;で、パッと聴いただけでも彼のルーツロックへの憧憬が分かろうというものだろう。それだけでも十分なのに、この楽曲の[ギター・ソロは本場アメリカのロカビリー・ギタリストによるロサンゼルス・レコーディングである]というから、その音色に相当なこだわりを持っていたことがよく分かる([]はWikipediaからの引用)。

結論を先に言ってしまえば、以降、M9「dogi-magi」、M10「Blues」、M11「Carnival」……と、どんどんサウンドが泥臭くなっていき、福山雅治のルーツミュージックが露わになっていく。これがアルバム『f』の本質、本性と言ってもよかろう。村上“ポンタ”秀一率いる“PONTA BOX”との一発録りによるM10「Blues」は文字通りブルースであり、歌メロはマイナーで、キャッチーでもポップでもない。間奏部分では明らかなアドリブを聴くことができる、結構マニアックなナンバーだ。M11「Carnival」、M12「家路」はM10「Blues」ほどにはマニアックではないけれども、Bob DylanやThe Bandからの影響を隠すことなく、むしろ堂々と披露している印象だ。M13「春夏秋冬」はエキストラトラックであるそうなので、アルバム本編とは少し趣が異なるのかもしれないが、「春夏秋冬」はそもそも[福山がデビューのきっかけとなったオーディションで歌った想い出の曲]というのだから、フィナーレはまさしく彼のアーティストとしてのスタート地点、言わば“エピソード0”の露呈である([]はWikipediaからの引用)。

個人的に注目したのはM9「dogi-magi」。渋めのオルガンが印象的な、これもまたブルースフィーリングあふれるナンバーではあって、メロディ、展開、サウンドのどれも、当時にしても結構古めであったことは否めないものであろうが、全体の聴き応えがまったくと言っていいほど泥臭く思えない。ルーツロックではあるものの、脱臭されているというか、血抜きされているというか、特有の“えぐみ”みたいなものがほぼ感じられないのである。ミックス具合によるところか、コード感か、はたまたバッキングボーカルとして参加している松本英子を含めて楽曲全体の世界観がそう感じさせないのか。それが何故かは上手く分析できないけれども、M9「dogi-magi」をアルバムのこの位置に置くことで、M10「Blues」以下が誰もがすんなりと聴けるようになっているように思う。思えばM2「HEAVEN」にもM7「HEY!」にもそういう側面があった。M2「HEAVEN」であればラテン、M7「HEY!」であればカントリー、ブルースが感じられるものの、そこばかりが突出している印象がない。その辺は意識的にチューニングしていたのではなかろうか。仮にM2「HEAVEN」、M7「HEY!」、M10「Blues」でもルーツロック感を押し出していたとしたら、アルバム『f』の印象は大分変わる。おそらく大衆性は今よりは薄くなったに違いない。自身のアルバムだからと言って自らの趣味性だけを前面に出すのではなく、ギリギリのラインでポップさを注入したのだろう。上記の楽曲からはそんなことが想像できるが、その辺もまたトップアーティストの奥深さが感じられるところではある。

TEXT:帆苅智之

アルバム『f』

2001年発表作品

<収録曲>
1.友よ
2.HEAVEN
3.Venus
4.蜜柑色の夏休み
5.桜坂
6.Escape
7.HEY! (New Century Mix)
8.Gang★
9.dogi-magi
10.Blues
11.Carnival
12.家路
13.春夏秋冬

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